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自分が狂ってるか正常なのか分からなくなって来た人達へ

そうでない人は読まないでもよろしいのです。

あと、単純に邪悪でヤバいキチガイに憧れてる人も読まないでよろしい!!

逆に読んでほしいかもと思うのは、売れてないアーティストとかクリエイターとか、中途半端な俺みたいなやつですかね。

突然だけど、狂気という事について考えてみたんだが、狂気ってことは気が狂ってる、つまりキチガイだ。
今、はじめて漢字変換してわかったのだが、「気狂い」と書いて「キチガイ」と読むんだな!

キチガイって、「気違い」と書くと思っていたのだが、気が狂うってキチガイなのだなぁ。

気とはなんだろう?
気とは気なのだと思う。波長とか、周波数みたいな物じゃないかと俺は思っている。
スピリチュアルな話をするつもりはなかった。
そう、「頭がおかしい」と呼ばれる状態を気が狂っている、つまりキチガイ状態だとしよう。

酒を飲んだり、酩酊するとやはり狂気が顔をのぞかせて来ると思う。

それは薬物によって種類が違うし、ひたすら楽しくなるものもあれば、幻覚を見るものもあるという、あるいは万能感に包まれる、なんてのもあるらしい。

その状態はやはり、シラフの状態ではない、気が違っている状態、つまりキチガイの状態であるといっていい。

酒を飲んだり、なんらかの物質を摂取する事が好きな人は、実際のところ、気が違う状態を楽しみたいと思っている。

酒も薬物ですが。


それはそれとして。

酒に酔って仕事をすることは、法律違反ではないし、逮捕されることもないが、社会的にはダメなこととされている。

もちろん、運転を仕事にしてる人は逮捕である。

仕事はシラフでやるものだ。

このように気が違っていては行けない場面では、人間はシラフなのである。

実社会と上手くやって行くためには、シラフで世界と接して行く時間が普通は必要とされている。

しかし、筆者はDJというお仕事(それだけで食えてるわけではないが収入源)をさせて頂いているが、まずお酒が出る職場であることから、当然、「仕事中に酒を飲む奴」なのである。他にもキャバクラのお姉さんやら、ホストのお兄さん、バーのマスターまで仕事中に酒を飲むのも仕事のうち、という人種はたくさんいるだろう

つまり、職種によっては、仕事中は若干気が狂っている状態で働いているという事だ!

これは危ない!
酒を飲んで仕事するなんてけしからん!

でも、それが現実である。酔っ払いながら(度を越さないように、時には潰れる事が仕事な時もあるかも)労働に従事しなければ、仕事にならないのである。
DJでもお酒を飲まない人は沢山いますので、俺の周りの現場での話だけど、大体どこもそんなようなものかと思う、だってパーティーだもん。

そうそう、それがその手の業界では、フツーの事なのである。

そうなるとやはり世間の常識とは、すでにズレている。すでに狂っている。

気を「常識」みたいなモノだとすれば、この状態はもうキチガイである。

一般に狂気と言うと、もっとエクストリームな状態をイメージしてしまう。

言葉が分からなくなったり、わけのわからない事を言ったり、街中で裸で叫びながらダッシュしたり、野外でSEXしたり(これはいる)常識では考えられない行動を取っている状態をイメージすると思う。

が、狂気がその人の環境から醸し出されるものであるならば、すでに狂っている事に気付かないのではないだろうか?

キチガイの要素として、「訳のわからない事を言う」は、つまり、言ってる本人は分かっても、第三者が聞いて「訳の分からない事を言っている」状態なのか、もう本人も何を言っているか分かっていない場合が存在すると言うことだ。相手が分かっていない事を分かって言っているのか、などいろいろなパターンがある。

でも、その中でもアウト、セーフの線は引かれるだろう。人によってはそれでも成り立ってる人はいるだろうしね。

そうなると狂気の線引きがあると考えれば、例えば、「たまに自分でも訳が分からない事を言っている」という自覚状態があり、それが頻繁に現れるようでなければ、まだ世間との折り合いはギリギリついているような気がする。

おそらく、狂ってしまってから気付くことはないのだと思われるし、狂気は静かに迫ってくるし、気付いた時には、いや気付かずとも、すでに狂っているのだ!

それがカルトの洗脳のような人為的なモノでも「狂った」状態はなかなか治らないものだと言うし、環境で時間をかけてなんとなくそうなっていったのなら、もう手遅れだろう。

我々は狂気と正気の境目に気づく事など出来ないし、気付いたところで正気に戻る事など不可能である。

しかし、狂った人間になることへの恐怖はあるだろう。

2019 2日3日、節分の夜に、電気グルーヴ、石野卓球さんが、ツイッターので、クソリプして来たキチガイに対してこう呟いていた。

「でも、お前と違ってこっちは金になるキチガイだけどな。」

「金になるキチガイ」

みんな気が狂う事に恐怖を抱いているかも知れないが、気が狂う事を恐れるべきではなく、「金になるキチガイ」になれば良いのだ!

石野卓球さんはてめえの意見を言うのに俺の名前を出すな!とよく怒っているので、俺も怒られるかも知れませんが、ヤバい言葉過ぎて、長文を書き散らしてしまいました!


とにかくもう「気が狂う」なんて気にせずに!
金になるキチガイになれる保証なんてどこにもないけど、そんなもんは他人が決めて初めてなるものなのである。
運、タイミング、時代、出会い、才能も含めて金になる時が来たらいいよね!と思っているくらいが丁度いいし、気が狂っても努力することは出来るのである。

いわゆる「ジャンル」とか「シーン」ってのは、「金になるキチガイ」を中心に、それを目指して同じようなフォーマットで有象無象が己のキチガイ度を競い合ってる状態と言ってもいいのかも。

別に狂っていても「白痴」になる訳じゃなし!

ありがとうの一言です。本当にありがとう!