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ステッカー屋をやって気づいたこと

今年の三月に町でステッカー屋さんを見かけてから衝撃を受け、自分もステッカーを作ったり、売ったりするようになった。

それだけで生計が立てられる程ではなく、次の日の昼飯代くらいになったらいいな、くらいの感じでやっているのだが。

シール屋さんに出会った時の話はこちらのブログにある。
http://mandokoro.blogspot.com/2018/03/blog-post.html

最近はりゅうちぇるの刺青問題でツイッターなどがワーワー騒がしいけど、りゅうちぇるが仮に「子供の名前を入れたステッカーを身の回りの物に貼ってます」とか、「自分の服には全部子供の名前を入れたワッペンをつけてます」だったらこんなにも叩かれなかったんだろうけど、ステッカーもワッペンも刺青も剥がせるか消えないかの違いがあるだけで、自己主張の手段であるから、たいして変わらないと思っている。
刺青は入れると痛い、消えにくい、という覚悟の必要なステッカーである。

そういえば、今年の三月まで、自分の中でステッカーという存在を強く意識した事は今までそれほど無かったんだけど、よく考えたら「俺、ステッカー昔から結構好きだったじゃん。」ということに気付いた。
そう、シールって割と子供時代から身近にあったなあと思い返した。

子供の頃はビックリマンや、らーめんばあの覆面レスラーシール、文具屋で売ってるシール、そこら中にシールがあった。
でも、子供の頃のシールは「コレクションの面白さ」だった。思い返すとビックリマンのシールをそこら中に貼りまくる奴はいなかったし、どっちかというとダブったり、レアじゃないものじゃないのを貼ったりする事はあっても、例えばヘラクライストとかヘッドロココなんかのキラキラシール(ヘッド)を台紙から剥がして貼る事は無かった記憶がある。

で、大人になって、シールの何が面白いかというと、冒頭でも書いたけど、そこにその人の自己主張やメッセージが入ること。
キャラクターやブランドだったら、当然、自分が気に入ったものをチョイスしているわけだから、それはやはり「わたしはこんな物が好きですよ」という自己主張の現れなのだ。

インターネットでの通販もしているので、興味ある方はチェックしてくださいませ。
https://chilluminati.booth.pm/

とはいえ、本当に面白いのはクラブやイベントの現場で販売だ。
自分が謎の秘密結社「チルミナティ」に託されてやっているオリジナルのシール以外に、個人で輸入しているシールを現場では並べているんだけど、これらは自分の好みは全く考えずに無作為に、可愛いもの、カッコいいもの、スタイリッシュなもの、などなど、とにかくたくさんの種類を置くようにしている。

この仕事をやって「人の好みは十人十色」という超当たり前の事が、身に染みてわかる様になった。

例えば複数人の友人同士のグループが、僕の売っているシールを見ながら、色々と話している。
「これウケる!」「これヤバくない?」と互い見つけたシールを紹介し合うのは非常に楽しいし、人間、共感を得られたらやっぱり嬉しいというのがあるので、楽しみ方としてすごく良いなと思うのだが、中には「これ、ヤバい!これどう?これ買ったほうがいいよ!」などと、友達に買うところまで求める人がいる。
しかし、残念ながら勧めている人の好みと勧められた人の好みが噛み合っているケースはほとんどない。
興奮して勧めている人に対して、勧められた人は愛想笑いするか、完璧に無の表情になっている事が多いのだ。

ごく稀に「人の好みはそれぞれ違う」と言う当たり前のことが全く分かっていない人がいる。

愛想笑いや、無の表情になっている友人に対して、「うそ!これ絶対やばいじゃん!絶対いいのに!これヤバいよ!」と食い下がって説得めいた言葉を続けるのだが、全て空回り。無駄である。

「ヤバい、良い」と思ったら人に勧めるのじゃなく、自分で買うのが一番幸せなパターンだろう。

自分のセンスで選んだものを人に買わせようなんて図々しいよ。
「何を自分の好みを人に押し付けてるんだ?」ってことだ。

稀に親密でなくても同じようなセンスや好みを持っている人もいるだろうが、10人いれば10通り、100人いれば100通りの好みがあるのが世の常なのであるが、恐ろしいことに稀に自分の価値観以外の価値観があるという事を分からない人もいるのである。

「残念ながら、あなたが勧めているそれは、自分の好みじゃない」

それ以上でもそれ以下でもない。たったこれだけの話なのだ。

例えば、これが、お互いの好みを知っている、趣味を共有している、生活を共にしているような友達とかカップルとかだとこれが合致している事もある。それはすごく幸福なパターンだ。

たとえば同じ映画やテレビを見ていて、共通の好きなキャラクターがあり、偶然そのシールを見つけた、とか、相手の好きなブランドやジャンルを既に知っており、そこに合致するシールを見つけた時だ。

もちろん僕にも僕の好みがあり、お客さんに対して「なぜこれを選ぶのかよく分からないなー」と思うこともある。というか、そういうパターンが大半なのである。

むしろ「これは絶対売れないかもな。」と思って仕入れてるものを、ピンポイントで選んで買って行ってくれる人もいるから驚く。

「え!こんなの買うのか!?」と思っても僕は口にも表情にも出さない。
その人のセンスを尊重することが全てなのである。

僕はそこで一言「いいっすね!」というだけだ。

その「いいっすね!」はデザイン云々ではなく、その人が「自分の感覚で好みのシールを選んだという事」に対しての賞賛である。

だから、お客さんに「オススメを選んでよ」みたいなことを言われても僕は絶対にオススメはしないことにしている。というか、オススメしてよ、と言われても困るのだ。

ステッカーはむしろ自分のセンスと合致する物を探すのが面白いのであって、最初からその楽しい探索( DJで言う音源のdig)行為を放棄してしまうのは、ステッカーの魅力が分かっていない人だと思うのである。

DJをする人なら分かると思うのだけど、ステッカー選びはレコードやCDのジャケ買いに似ているところがある。
ただし、違うのは音楽が付随しないことで、「ジャケの魅力だけ」が全てであり、そこで価値が完結する物であって、そのチョイスにはその人の好みや願望、メッセージなどが如実に反映するのである。

「ジャケ買い」ではなく「ジャケだけ買い」である。

「オススメを適当に見繕ってよ」みたいな人に対しては、「え!?そんなにあなたは僕のセンスを信用してるんですか?逆に初対面であなたの好きなモノが分かるわけないじゃないですか?選ぶのが面白いんじゃないですか!?そこ面倒臭かったら、ステッカー買う意味ないですよ!」と思ってしまう。

その点、自分の目で見て、何かを感じて、自分でチョイスしたステッカーは素晴らしいものだ。

それをノートPCや携帯や自転車、スケボー、ヘルメット、モバイルバッテリー、携帯電話などに貼ることによって、あなたの持ち物はよりあなたに相応しい持ち物になるのである。

話は戻るが、刺青もそうだと思う。
僕は痛いのが怖いのと、スーパー銭湯が大好きなので刺青は入れないが、きっと刺青を入れる人は、「より自分らしい自分」になるために刺青を入れているのだと思う。

それにたいして誰も文句をつける必要など無いはずだ。
だからりゅうちぇるにあーだこーだ言ってる奴はほんとにしょうもないし、暇人にも程があると思う。

価値観の押し付けほどウザい事は無いし、それが良かれと思ってやっていても、他人には他人の考えがある。超あたりまえ。

共感してもらえると思いこむのは図々しいし、でも共感してくれればそりゃあ嬉しい。

共感はできなくても理解することの重要性。

シール売りを通じて僕は「多様性」の一端を学んだのかもしれない。

ありがとうの一言です。本当にありがとう!