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このキチガイが凄い!2019

「すげーヤバい人が出てくるテレビ番組」であるところの「クレイジージャーニー」に、とあるひとりの探検家が特集されていた。

そもそもクレイジーは日本語でキチガイである。だからこの番組でスポットが当たる人はキチガイだと言っても差支えがない。
キチガイはここでは完璧な賞賛の言葉だ。

そういえば、「クレイジージャーニー」といば、僕と容姿が似ているとよく言われるジャーナリストの丸山ゴンザレスさんもしばしば出演しており、2015年に僕が大麻所持で逮捕され、執行猶予つきで釈放された直後、丸山さんが新しく始まったばかりのこの番組の中で、ジャマイカのマリファナ生産者に取材するというのをやっていて、自分と容姿の似た人が、テレビの中でよりによってマリファナ畑でルポするのを見ていて、なんだか不思議な気持ちになったのを覚えている。

で、さらに、僕が留置場の中で一緒の房に居た詐欺グループのボス格の方(「前科おじさん」参照)に借りて読んだ本(拘留者同士の差し入れの書籍などの貸し借りは禁止されていたけどコッソリと貸し借りしていた。バレたら怒られる行為)、その彼曰く「この本はよく調べてるね。」と言わしめた「裏社会の歩き方」を書いた著者、丸山祐介さんと同一人物だと知ってまた驚いたという思い出もある。

ゴンザレスさんにいつかお会いすることがあれば、「あの取材旅行、カメラの回ってないとこではガンガン吸ってたんじゃないんすか?どうなんすか〜?」などと身もふたもない質問をコッソリとしてみたいものである。

さて、本題に戻ろう。今回クレイジージャーニーで特集されていたのは、田中幹也(タナカカンヤ)氏。
探検家業界の中でも最高にクレイジーだと言われている雪山冒険家であるらしい。

どのようにクレイジーなのかというと、普通の冒険家は「世界で何番目に高い山」とか「●●大陸横断」「人類未踏の地」のような記録に残るような冒険を行う(そもそも普通の冒険ってなんなんだろう?)ものなのだが、このお方は「山の危険度そのもの」を基準にして登る山を選んでいるのである。
つまり、その冒険の功績が記録に残るとかではなく、とにかく危ない山であることに重きを置いて登山するのだ。クレイジー!

田中さんは中学生のときに登山を始めて、
難易度の高い山に挑戦していたが、25歳のときに自分がクライミングに向いていないことを悟ったとのことである。

「本当に優れたクライマーはみんな若くして死ぬ。よって、まだ死んでいない自分は才能がない!」

とちょっと常人にはよく分からないぶっ飛んだ論理で「このまま中途半端にやっても仕方ない」とスパッとクライミングに見切りをつけ、その後は、冒険家として活動するようになり1995年、30歳の時に初めて、カナダに足を踏み入れ、そこでもクレイジーな冒険を繰り広げる。

 その後は、20年間にわたり厳冬カナダの山脈や平原を山スキー、徒歩、自転車で合計2万2000km踏破。
この功績で2013年に第18回植村直己冒険賞を受賞した。

それからは記録や功績を度外視して、とにかく危険度や難易度だけを求めて冒険し続けることになる。
結果、日本の東北地方の冬山が世界的に見ても超危ないと言うことでそれらに挑んでいる。
その理由は「死の直前の追い詰められたくらいが1番テンション上が一番テンションが上がる」からだという。
とにかく超弩級に極まった人間であることは間違いない。

要はワンミスで死に繋がるような冬の八甲田や白神山地といった超危険レベルの山ばかりに、しかも降雪や吹雪といった悪条件の時を狙って登るのである。

つまり、ゲーム的に言うと、初見難関ステージ、難易度インフェルノ、残機ゼロ、初期装備アイテムのみで、ということ。

しかし、これはゲームならば死んでしまっても「ゲームオーバーになっちゃった。」で、済むが、これは現実だ。ワンミスで人生そのものがゲームオーバーである。

しかも、登山は登山道を登るわけではない。
自分で雪をかき分け、道を切り拓き、山頂に向かってただ「勘」を頼りに進むのである。

上記の条件のうえ、マップ無し、方位磁石無し!

素人にはオススメできない。
いや、プロにも当然オススメできない。

だって、普通に考えて死ぬ予感しかない!

この登山行為は田中さん曰く「自然と戯れる」ことなのだという。
「しぜんとたわむれる」
もっと穏やかに戯れることは出来ないものか…。
小川で釣りとかにしておきたい。

田中さん自体は非常に穏やかで物腰が柔らかいのだが、テンションが上がっても下がっているのか、外観的には全く分からないタイプの本当に淡々とした印象の人であるが、ちょくちょく発言や発想が我々一般的な感覚で考える常識のはるか斜め上を音速で飛び越えている。ヤバさの格が違う。

本当にゲームのようにその場その場に合わせた最善の策を淡々とこなしながら生き延び、登山を進めるのだ。

それが楽しいのだろう。
生きている実感と充実感を与えてくれる行為なのだろう。

そう言われたら、もう「そうなんだ。」と納得せざるを終えない。

このロケの中でも、晴れてきた天候を見て「もうちょっと悪天候を期待していた。今回はイマイチ。」的な発言をしたり、「もっと吹雪いてくれると面白い」などだいぶ斜め上の発言がポロポロ出る。いちいち凄い。

われわれ一般人は「死んでしまう」という事が不安で不安で仕方がないが、田中さんには死への恐れが微塵も感じられない。
とはいえ、それは無謀さでもなく、死を恐れない勇気とかとも違うような気がする。

とはいえ、無謀さだけを武器に敢えて死にに行く、というわけでは全くなく、その状況を的確に捉えて決断し、行動している。

「雪の積もり方がこういう形だと雪崩の可能性がある」「雪の積もった樹の下に行ったらもし雪が落下してきて下敷きになるかも」などと、周囲の条件や状況をから素早く判断して、冷静にそして淡々と経験や知識を使い臨機応変に対応していく。

その決断のいさぎよさ、迷わなさは、自信の表れのようでもあり、「常に平常心なんだ!」とバナナマン設楽が表現していた。
まさにその通り。
日常茶飯事のように生と死を別つ選択を決断していく。
それが「自然とたわむれる」という事なのだろう。

たとえ、事故が起きても最善を尽くし、それでもダメな時にはじめて本人が目標としている「自然と人間のかかわりの限界、境界線を見極める」ことが出来るのだろう。

つまり、死ぬ時に「限界点はここだ」と悟り心の中でテンション爆上げの中、平常心で死んでいくに違いない。
多分、後悔の余地などない。

これは凄い。死ななければ限界にはたどり着かない。生と死のせめぎ合いに最高の興奮を得て、死ぬ時にその目標が達成されるという事だ。

ちなみに田中さんは、普段は高層ビルの清掃の仕事をしていて、見るからに恐ろしく、落下すれば死は免れない、普通の人から見ればすでに死と隣り合わせの冒険レベルの仕事である。

「怖いですか?」と聞かれて「いや、全然怖く無いです」とあっさり軽く答える田中さんだが、その言葉に嘘はないだろう。
その程度の危険では「テンションが上がらない」のであるし、ほどよい危険さに身を置くことにより、軽く楽しんでいるか、最低限の生きている実感がするくらいの気分なのかもしれない。

たとえばエクストリームな記録に挑む運動選手もわれわれ一般の人にとって記録を残せば賞賛されたり、お金が入ったりして、いわゆるゲスな部分での心情の理解、本当の理解ではないかも知れないが、行動が賞賛や褒賞といった分かりやすい目的があると仮定すれば、少し出来るような気がする。でも、それは本当の理解ではない。

もちろん、お金をもらう事は全く悪い事ではなく、そこに経済的な価値が見出されるならば大いにそうすべきである。

とはいえ、多くのエクストリームな選手達も「テンションが上がるから」「面白い」からやっているのであって、プロになっている人がほとんどだろう。

そして、記録に残る事で人々にもその凄さが伝わりやすく、功績が評価されるから活動の資金も援助されやすいのだと思う。

テンションが上がるという事は興奮する、要は、脳の報酬系からアドレナリンとかドーパミンとかの脳内麻薬がドバドバ出ているその状態を楽しんでいるという事になる。

人は死ぬ瞬間に苦しみを緩和するために脳内麻薬がドバドバ出るという話を聞いたことがある。

僕が思うには、その脳内麻薬の作用で臨死体験者がよく言うあの世みたいなものを見るんじゃないかと思っている。

話はそれたが、おそらくこの手の人達は、脳の報酬系がある種非常に高いレベルでしか反応しなくなっているか、薬物にも耐性というのがあり、常習するとキマりにくくなるというのがあるのだが、おそらく脳内でそういうことが起きているだと思う。
脳内麻薬ジャンキーである。

よって「普通の神経ではできないことをやることによって楽しく、ついでにお金も稼いでいる」のだろう。

石野卓球さん曰く「金になるキチガイ」の類の人達だと思う。リスペクトしかない。

番組の中で、冒険なれしたカメラマンと雪山初心者のディレクターが同行するのだが、あまりの厳しさにディレクターが付いてこれなくなり、山頂を前に田中さんは引き返すことを決断する。

そして、その後に「やっぱり山は一人がいいですね。」と言った。

今回断念したことについて「山頂に着いたからといって充実するとは限らない」と語る。

そう、山頂に上り詰めることがゴールではないのだ。
自然と人間の限界点、つまり言ってしまえば、死ぬ瞬間を見極めることがこの人にとっての最高の充実なのだと思い、僕は言葉をなくした。

その後、同行のカメラマンとディレクターを麓に送り届けてそのまま、「やっぱり、もう一回一人で登ってきます」と思い直し、軽い感じでまた山の奥に消えていった。

世の中には凄いキチガイがいるものだ。
僕もわりと普通の人と気が違っている側の人に接してきた人生だし、多少は僕も違っているとは思うけど比較にならない。

クレイジージャーニーは本当の意味での十人十色というモノを毎回見せてくれるし、毎回、さまざまな段違いなキチガイの人が登場するから面白い。
むしろ、その人たちがみんな生き生きとしていることに憧れたりもする。

今回の番組を鑑賞して自分にとっての充実とは何なのか?を改めて考え直すきっかけになった。

ありがとうの一言です。本当にありがとう!