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2022 夏 雨 夜


最近色々な物事がひと段落ついたり始動したりして、人生の節目の一つなんだろ〜な〜と思っている。今までの人生振り返ってみると、大きく2~3年周期で、コミュニティや生きていく感覚が変わるタイミングが訪れる。そういう時に浮かんでくる思考や感情は本能が赴くままに書かずには居られない。

大学生生活の後半はもっぱらGeekSalonというコミュニティでメンターとして生活していた。今は、内定が決まってエンジニアとして次のステップに進むための時間を多く使っているが、まだPythonコースのメンターとして籍を残している。実はこのGeekSalonの運営側のSlackは普段は無料プランなのだけど、たまにトライアル期間で過去ログが全部見られる時期があって、ちょうど今がその時期なのだ。過去に思考過程をほぼ全てSlackに書き残してきたツイ廃メンターにとっては、とても嬉しい時期だ。なので、GeekSalonにどういう経緯でJoinして何をしてきたのかをここでまとめてみようと思った。

まずGeekSalonに入る前にどのような感情だったかを簡単に振り返ると、最悪の状態だった。大学生最初の頃に入っていたサークルは、毎日ともに過ごしていて、家族のような感じだったのを覚えている。しかし、非常に厳しい伝統があり、徹夜は当たり前、皆の前で厳しく人格や能力について追求される出来事があった。そこで自信や生きる気力を失くし、しばらく鬱のような状態になり家から出られなくなった。その後、メンバーとの交流は一切なくなった。同時にその頃想起したのは高校時代だった。大好きだったバスケを足首の骨折で半年できなくなり、部活を途中で挫折してしまった。皆に向かって辞意を表明する勇気がなく、結果として一部のメンバーから「サボり」の烙印を押される。後ろめたいような人目に怯えるような暮らしだった。大学生のサークルでの挫折は、何となくこの時の状況とそっくりな気がしていて、また繰り返してしまったと思った。自分に問題があることなのか、不運なことなのかの折り合いをつけられるほど人生経験がなく、どのように受け止めて良いか分からなかった。

その後は、たまに会うその時々の素敵な人たちを除いて、コミュニティを持たない日々が続いた。そういう時は、内省する時間が多い分、ネガティブな過去の感情に少しずつ苛まれるようになる。失敗続きの自分は不幸者だと思い、人生を諦めようと思ったこともある。うまくいかない原因を全て、子供の頃の家庭環境のせいにしようと思ったこともある。それは、1年くらい家族の会話が無くなり、機能不全の日々があったことだ。お金のトラブルだった。そんな変えられない過去にひたすら足を引っ張られ、自分で自分の状況を悪化させるような習慣を辞めたいとずっと思っていた。人生に深刻な影響を及ぼしかねない危機感だった。そこで口下手な自分は、行き場のない感情の発散を元々好きだった文章に書き記し、Twitterに載せるという手段に訴えた。そして、それを見てくれた人たちから温かい言葉を貰い、話を聞いてくれる人たちもいた。そのようにして少しずつ過去の記憶から脱却して、前向きに行動できるようになっていった。そんな最中に出会ったのが、GeekSalonというコミュニティだった。

受講生として入会する決断は、直感で決めた部分が多かったように思う。過去に挫折があったとしても、それをお互いに認め合い、人生を前向きに生きようと思う人たちの集まりだと感じた。そのまま相思相愛で、流れるようにメンターになる。新人の頃に自分の中で革新的だったのは、心理的安全性という概念だった。今まで、スポーツチーム、学校、部活もサークルも「厳しい」環境で成果を上げるということが当たり前の価値観で育ってきた。リラックスして安心した状態でも成果を残せる環境がこの世に存在したことを初めて知った。そして、ベンチャー企業真っ只中の、新人の育成などもほとんど無いような状況だったけど、ほとんどストレス無く仕事にのめり込むようになった。コミュニティに所属していることと、新しく学ぶことが多い忙しい日々を送ると、メンタルは回復する。過去の記憶は遠い昔のものになっていく。奇しくも、これは3度目の正直という諺がぴったり当てはまる。

ここからは、メンターとしてしてきたことを簡単にまとめようと思う。結果論ではあるけど、Joinしたタイミングは完璧だった。初め(2020年)は、教材の改善にひたすら取り組むことが多かった。当時の教材はエラーが頻出していて、受講生メンターともに、膨大な時間を取られていた。元々文章を書くのが好きだったので、この仕事に完璧にフィットした。その後コースリーダーや技術リーダーをやり、組織の中で自立心を確立していった。その頃、過去の経験と、今モチベーション高く取り組んでいることを照らし合わせて、自分の持っている価値観が明確化してきたように思う。それは、「必要のない不幸を見ると、アレルギー反応を起こす」というものだった。心理的安全性という概念との出会いによって、過去の厳しさを追求する団体の活動が全て無意味に思えた。むしろ、人類にとって無駄な不幸をもたらしているだけであり、排除すべき対象と感じるようになった。

そして、その琴線に触れることが多かったのは、マーケティングや営業チームのリーダーをしていた頃(2021年)であった。資本主義社会で売上を求める企業体で生きていく以上、マーケティングや営業は避けては通れない。しかし、自分で成果をコントロールするのが難しいことの数字の責任を負うプレッシャーは半端ではない。相当な時間をかけた割に、全然報われない。僕自身含めて、多くのメンターが辛酸を舐める光景を見た気がする。思考をひたすら深めていく中で、そんな状況を解決する最高のソリューションを思いついたような気がした。それは、小さな体験会イベントを毎日開催することだった。構想を思いついた時点で莫大なメリットをもたらす気がしてワクワクが止まらなかった。そして、それは全て現実となった。最初は、たった一人個人でスタートしたものが、1年後、僕がいないところで東京全体のメンター50人くらいで回している。成果を上げていることや自分が作り出したものがどんどん波及しているのを見る過程は素直に嬉しかった。何より、周りの皆が喜んでいる環境に囲まれることが以前より多くなった気がした。でも、過程におけるその喜びも、もっと広い視野で後から見ると内輪なものだったんだなと気づく。

そうやって時間を過ごしているうち、GeekSalonの仕事の枠組みの中で自分が新しく学んだり、体験できることが少なくなっていった。同時に将来のキャリアを真面目に考えるようになる。その間に、どんどん後輩が増え、新しい風が吹いてくる。高校生以来、後輩ができる前にコミュニティを辞めていたので、これは新鮮な感覚だった。そんな後輩たちが議論していることには、ほとんど経験や知識からくる根拠をもとにして自分の考えがあった。それを全面的に伝えてしまうと、相手の成長の芽を摘んでしまうし、上下関係で押し込むような構図が好きではない。自分の頭で考えることが一番その人の成長に繋がると思っていた。たまに価値観が硬直している時に、別の観点の話を振ることもあったが、基本は静観していた。そんなことを考えながら、2年ちょっとメンターを勤めていき、そろそろ身を引くときだなと思うようになった。

GeekSalonで体験できたことは、言葉では表せないくらいのものがあったように思う。夢中になって働くことで、前向きに生きられる手助けをしてくれた。自分が潜在的に持っていた価値観を明確にしてくれた。新たな組織文化を教えてくれた。モノづくりを通して問題解決する過程を体験できた。2年という短い期間の間に、新人、中堅リーダー、顧問?、セミリタイヤのような社会人の一生を疑似体験できた。何より、その時々に出会った面白い人たちと交流できた。2年ちょっとという期間の長さは、ちょうど部活やサークルをやる期間と同じくらいだ。きっとこれで過去の呪縛霊は成仏できたのではないかと思っている。

Mr.Children「優しい歌」

出口の無い自問自答 何度繰り返しても
やっぱり僕は僕でしかないなら
どちらに転んだとしても それはやはり僕だろう
このスニーカーのヒモを結んだなら さぁ行こう
簡単に平伏した あの日の誓い
思い出して歯痒くて 思わず叫ぶ
後悔の歌 甘えていた
鏡の中の男に今 復習を誓う


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