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33 鮮度の対義語は1000℃である

 前回書いたような事情で、ぼくは生牡蠣は食べられないが、生魚は大好物だ。これも以前書いたが、子供の頃は魚が大嫌いだった。でも、大人になって酒を飲むようになったら、魚の美味さがわかってきた。ホッケ、秋刀魚、銀ダラといった焼き魚もいいけれど、刺身はもっといいね。最近はホッピーばかり飲んでるので、つまみに刺身をチョイスすることは滅多にないけど、日本酒を飲むときはやっぱり刺身が欲しくなる。
 これは酒飲みだけに限った話でもなく、日本は海に囲まれた島国というお国柄もあって、全体的に生魚が好きな人が多いでしょう。いや、生魚が好きというか、もっと言うと「鮮度」が好きなのかもしれない。野菜も多種多様なものが獲れるし、魚の種類なんて数え切れない。どこの町に行っても寿司屋がある。基本的には生では食べない鯖でさえ、鮮度のいいものは生でも食べられる。ぼくは茨城県の那珂湊おさかな市場に行ったら、必ず「市場寿し」で生鯖の握りを食うことにしている。
 たぶん、青魚を食べるなら鯖をわざわざ生で食べるよりも、酢締めしたシメ鯖の方が旨味が凝縮されているだろうし、春から出回るシンコなんかも最高だ。でも、鯖を生で食べるという行為には、味の良し悪しだけではなく「鯖ですら生食できる我が国は最高でしょ?」という心の奥にあるナショナリズムが漏れ出ているような気もするのだ。

 下北沢に「都夏(つげ)」という名の居酒屋がある。公式サイトを見ると1991年オープンとあるから、ぼくが最初にゲームフリークに入社した年だ。魚料理の美味い新店ができたということで通い始めたが、あれからもう33年も経ち、いまだに営業を続けているのだから、再開発後の下北沢ではもはや古株と言ってもいいだろう。
 あるとき、発売されたばかりのデジカメ「QV10-A」を友達と一緒に買い、その足で都夏へ飲みに行った。とにかく早く何かを撮ってみたい。どうせなら動くものがいいよね? ということで、メニューの中から「海老の活け造り」を注文した。
 出てきた皿の上では、小ぶりの海老が5~6尾ほど踊っていた。そいつにカメラを向けて写真を撮る。冷静に考えたら当時のデジカメには動画撮影機能なんてないのだから、活け海老にした意味はなかった。それでも、フィルムを現像に出すことなく撮ったそばから見られるというのは非常に感動的で、ぼくらは大興奮した。隣のお客さんや店員さんも「いまそんなカメラがあるの?」と興味津々だ。
 その後、肝心の活け造りを食べようと海老の殻を剥いて、醤油をつけて、口に運んだのだが……噛めない。どうしても噛めない。固いからではない。歯と歯の間でビクビクと動く海老がなんとも薄気味悪くて、心理的に噛めなかったのだ。『包丁人味平』の「包丁試しの巻」で、身を削ぎ取られて頭と骨だけになった鯛が水槽で悠然と泳ぐという有名なシーンがあるが、あれが脳裏にあったのかもしれない。まさか生牡蠣とは違って、こんな理由で食べられない生の魚介類があるとはね。
 結局、その海老は、追加でホタテの網焼きセットを注文し、その網の隅っこに置いて塩焼きにして食べた。

 まあ、そんな活け海老のエピソードはさておき、基本的には生魚が大好きなぼくだけれど、一方で冷たい料理は滅多に食べない。それはこのエッセイを読み続けてくれている皆さんならご存知のはず。マグマ舌人間にとって、「鮮度」の対義語は「1000℃」なのである。

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