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35 有楽町のサムズアップ天丼

 ドンブリめしが好きだ。
 というか、ぼくはごはん(白米)とおかずで食事をするというのがそんなに好きではないので、ドンブリめしのように上に何かを乗せたり、カレーのように汁的な何かをかけたものが好きなのだ。
 牛丼、かつ丼、親子丼、うな丼……ドンブリめしにもいろいろある。なかでも好きなのは天丼だ。
 神保町でマニタ書房をやっていたときは、何度も「いもや」のお世話になった。あそこは天丼が安くて美味いのはもちろんだけど、セットで付いてくるしじみの味噌汁が嘘みたいに熱くて、たいへん素晴らしかった。
 ご存知のように残念ながらいもやは閉店してしまったわけだが、そのあと、九段寄りの裏道に元いもやの店員が開いた「天丼屋」という店ができたと聞いて、すかさず行ってみたことがある。
 たしかに、天丼は本家となんら変わらぬ美味さだった。けれど、味噌汁にがっかりした。しじみ汁じゃないごく普通の味噌汁に変わっていて、しかもあんまり熱くなかったからだ。そんなところにケチをつけられても店主は「知らんがな」と言うだろうけれど。

 結局、ぼくの天丼は「てんや」に落ち着いた。神保町の名店いもやと比べちゃ悪いけど、てんやはてんやで十分美味いと思う。何より安いのがいい。てんやの良さは以前にも書いたのでここでは深入りしないが、ひとつだけ書いておくと、お持ち帰りの容器だけは改良してほしい。
 てんやの天丼お持ち帰り用の発泡スチロール製容器は、ちょっと変な形をしていて、中にみっちりごはんが詰まってるときは安定するけれど、どんどん食べ進んでごはんが減ると、宙に浮いたお新香入れの部分とごはん部分とのバランスが崩れて、バコン!とひっくり返りそうになるのだ。だから、ちょっと食べては端に寄せ、ちょっと食べては端に寄せ、と変なことをするハメになる。なんだこの話は?

 ぼくは松戸の実家から通っていた専門学校がJR蒲田にあり、そのあと就職した会社はJR田町が最寄り駅だった関係で、1980年からの5年間ほどは、山手線(もしくは京浜東北線)の東半分のお世話になった。
 元々が両国生まれの両国育ちだから、盛り場といったら錦糸町か、秋葉原、御徒町、神田、有楽町あたりまで。なかでも好きだったのは有楽町だ。映画を見るならほぼ必ず有楽町か日比谷へ行くし、JRのガード下のショッピングモールにはローディプラザという公開スタジオがあって、そこでいろんなバンドの演奏を生で見ることができた。ジューシィフルーツ、ビジネス、SKINなどなど。
 なにより有楽町が好きだったのは、中古レコード店「数寄屋橋ハンター」の存在だ。さすがに学生時代はまだレコード集めに狂ってはいなかったが、社会人になってからは廃盤歌謡曲の魅力に目覚め、せっせとハンターに通い詰めた。
 まあレコードの話をしていると長くなるし、本題から逸れまくるのでこれ以上はしない。それより天丼である。

 有楽町駅の中央口を南側へ出たところに、いまは閉店してしまったけど「フルーツ百果園」という果物屋があったのは、けっこう覚えている人も多いのではないか。そしてその真向かい、いまはITOCiA(イトシア)という大きなデパートになってしまったけど、かつてはその場所に小さな立ち食いそば屋があったのだ。
 店名は覚えていない。ぼくはそのそば屋が好きで、映画鑑賞やレコード掘りで有楽町を訪れたら、いつもそこで食事をしていた。働き始めたとはいえまだ安月給で、小遣いの大半をレコードに費やしてしまうような人間だから、贅沢な食事はできない。だから外食といえば決まって立ち食いそば屋を利用していた。
 でも、その店で食べるのは、そばでもうどんでもなく、いつも天丼だった。

 ヘッダに挙げた写真はごく普通の天丼だけど、その立ち食いそば屋の天丼はちょっと違っていた。注文すると、店員さんがおもむろにかき揚げをトングでつかんで、そばつゆの大鍋にボトンと落とす。その間にドンブリへごはんをよそって、やがてそばつゆでビタビタになったかき揚げをつまみ上げて、ごはんに乗せる。これで一丁上がり。
 普通の天丼のような衣のカリカリ感とは無縁で、ビタビタのグジュグジュだけど、若き日のぼくの胃袋には、これがやけに沁みたのだ。
 何も指定せずに「天丼」とだけ言えば、上記のようにかき揚げが出てくる。でも、天ぷらは他にえび天、ナス天、イモ天、ちくわ天といろいろあるから、それを指定すればそれぞれの天ぷらを天丼にしてくれる。
 店員さんがポイッと鍋に放り込んだえび天は、一旦浮かんだあと、衣につゆが染み込んでいくにしたがってくるりと姿勢を変える。その様子は、まるでサムズアップして溶鉱炉に沈むターミネーターのようだった。
 イトシアの前を通るとき、ぼくはいつもあの天丼の味を思い出して、腹がきゅうっと鳴る。


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