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30 カップヌードル逆再生

 いちばん好きなカップ麺といえば、なんといっても日清のカップヌードルに尽きる。これは共感してくれる人も多いだろう。
 カップヌードルを初めて食べた日のことは、いまでもよく覚えている。発売されたのは1971年。ぼくがそれと出会ったのも、発売されてそう間もない時期のはずだから、10歳のときだ。
 当時は両国の社宅に住んでいて、自分の家では犬を飼う経済的な余裕などなかったが、隣接している社長の家で犬──名前を〈チビ〉という──を飼っていた。コイツを散歩させるのは、ぼくと姉と、あとはその時々で近所の友達数人が連れ立っての役目だった。散歩コースは、両国の家から西へ進み、隅田川沿いを南下して新大橋を渡り、浜町公園でひと通り遊ばせたら帰ってくるというものだ。みんな交代でチビの紐を握り、おしゃべりしながらのお散歩だ。
 ある日の夕方。散歩から帰る途中、タクシー会社の敷地内に、見慣れない自販機があるのが目についた。近寄ってみると、発売されたばかりのカップヌードルの自販機だった。当時の価格は100円。もちろん消費税などない。即席ラーメンが大好きなぼくは、もう食べてみたくて仕方がない。家に帰れば夕飯が待っているのを知りながら、自販機に100円を投入した。
 覚えている人も多いかもしれないが、初代のカップヌードル自販機は、出てきた商品の蓋を開けずとも、そのままお湯入れ口に置いてボタンを押すと、上からノズルが出てきて紙の蓋をズボッと突き破り、一定量までお湯を入れてくれる仕組みになっていた。
 で、そこから3分待たねばならない。チビは姉たちに預け、ぼくはカップヌードルのお湯をこぼさないよう、そっと持ってみんなの跡をついていく。ちょうど3分ほど歩いたところに江島杉山神社(通称:弁天様)があったので、そこで食べ始めた。発売当初のカップヌードルにはプラスチックのフォークが付いてましたね。
 小学生のガキがコップのようなものを持って、フォークで何かを食っている。当時にしてはとても不思議な光景だったことだろう。少し離れたところで作業をしていた土木作業員のおじさんが寄ってきた。

「ぼうず、何だそれ? 何食ってるんだ?」
「おじさん、これはラーメンだよ!」
「ええっ! いま、そんなもんがあんのかよ!」

 とにかく美味かった。サッポロ一番より、出前一丁より、チャルメラより、これまで食べてきたどんな即席ラーメンより美味いと思った。以来、小・中・高・専門学校・社会人を経て、還暦オーバーの現在に至るまで、カップ麺を買うときの第一候補の座は、カップヌードルが揺るぎない(たまに浮気はする)。

 で、ここから話は少し変わる。
 いまやカップ麺は保存食、非常食として定着し、調理技術の発達も相まって様々な種類のものが売られている。そんな中で気になるのは、有名ラーメン店の味を再現した商品群だ。札幌の「純連」、熊本の「桂花」、湯河原の「飯田商店」などなど、いくつもあって、それなりに売れているのだろう。ぼくもたまには気まぐれに食べてみたりするのだが、本家で食べるのとまったく同じ味、というわけにはいかない。お湯で戻すカップ麺なのだから、それは仕方のないことだ。遠くていけない店の味を、とりあえず食べた気分になれる、くらいの感覚で受け止めておけばいいのだろう。
 ところでカップヌードルである。
 もしもカップヌードルが、日清オリジナルの商品ではなく、元はどこかの名店の味を再現したものだったとしたらどうだろう?
 有名店のすごく美味いラーメンをカップ麺化したら味が落ちてしまうわけだが、カップヌードルはカップ麺でありながら、あんなにも美味い。夢のように美味い。ならば、カップ麺として再現される前の、本家のお店で食べられるカップヌードル(そんな名前ではないと思うが)は、どれほど美味いものだろうか! もう想像するだけでヨダレが出てくる。
 カップヌードルはあの麺がいいのだ、ああの謎肉がいいのだ、あの海老の固さがいいのだ、という意見はあろう。ぼくもそう思う。でも、それは一旦置いておいて、考えてみてほしい。カップ麺にすることであの程度の美味さに「落ちて」しまったカップヌードルの、そうなる前のものすごい美味さであろう本家の味を。そんな本家はどこにもないんだけど。
 ぼくに料理のスキルがあったら、その幻の「本家カップヌードル」を作ってみたい。

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