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『カムイ伝』のこと

自分が好きだった漫画について、つらつらと書いてきましたが、今日は図書コーナーで出会った漫画について。

とある施設の図書コーナー

私が生まれ育った町には「山村開発センター」という施設があり、休憩スペースの一角には、地域の人が本を寄付する「図書コーナー」がありました。
小学校の図書室に飽きを感じた私は、大人向けの本が並ぶそのコーナーをよく利用してました。

図書コーナーには少しですが漫画も置いてありました。『まんが道』と『カムイ伝』の愛蔵版の2種類でした。

まんが道

『まんが道』は”藤子不二夫…『ドラえもん』の人だよな”…みたいな感じで読み始めたら、とても面白くて。表紙はなく、全巻揃ってなかったんですが、夢中になって読みました。

私のコミックエッセイ好きの原点は、姉が小1の時に描いた、姉自身を主人公にした漫画ですが、早い時期に『まんが道』と出会えたのも大きかったと思います。

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カムイ伝

『まんが道』と離れた場所に、『カムイ伝』が置いてありました。『カムイ伝』は被差別部落に育った忍者・カムイを主人公に、江戸時代の農村地域、百姓の農業改革を描いた、興味深い作品です。

白土三平さんの絵、今だと素敵だと思いますが、小学生の頃は「うーん…なんかこわい…」と思っていました。でも読んだ。

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絵柄は好みではなかったけれど、歴史ものが好きだったこともあり、すっかり夢中になって読みました。かなり壮絶な物語でしたが、そのリアル感が良かった。

私はカムイとか忍術の話はどうでも良くて、被差別部落に(「非人」として)生まれ育った少女・ナナと、若い百姓のリーダーとして活躍する正助との恋愛がすごく良くて。身分違いの悲恋ではあるし、ナナも正助も酷い目に遭うんですが、その精神性が美しくて。

大人になった今振り返ると、子どもの頃に私が好きになった作品は、普遍的で大人の鑑賞に堪えられるもの、年齢を重ねるにつれ、評価が変わる作品が多かったように思います。早熟だったのかも知れません。

私が住んでいた町と部落差別

『カムイ伝』に描かれている「被差別部落への差別」は現代にも存在することは、学校の道徳の授業で学んでいました。
でも、どこか遠くの世界にあるもの、「大阪あたりの都市部ではそういう差別もあるんだな…」と思っていました。自分にも関係ある話だけれど、自分の近くにはないものだと、思いこんでいました。

ところが、母の看取りで病院の行き返りをする車中で父と話していたら、むしろ、私が住んでいた地域は部落差別が酷い地域だったことが判明しました。

父が子どもの頃は、そういう差別が目の前で行われていて、嫌だったと。どの家の子どもだとか関係ないと思っていたと。

そういえば母が元気だった時、隣町にある「隣保館」に講演を聞きに行ったと話していました。私の実家がある島根県はハコモノ行政で、色々な建物が建っています。図書コーナーがあった「山村開発センター」も謎の施設だし、「隣保館」も、そういう何かだと思っていました。

調べてみると、隣保館は差別を是正するために建てられるらしく…。部落差別があったことの証左と考えてよいでしょう。

私たちが小学生の頃も、多分、差別は残っていたと思うのですが、全く気付きませんでした。過疎地域だから、保育所から中学卒業まで同じメンバーで、親や兄妹の名前も知ってる遠い親戚がたくさんいるような集団でしたし…。

私の親も、部落差別については一切、語りませんでした。語り出したのは私が親になってからです。

『カムイ伝』を置いた人の気持ち

それが分かると、図書コーナーに置いてあった、町の住民の誰かが置いた『カムイ伝』の意味が、違って見えてくる。誰かの願いのように感じられて。悲痛な叫びにも見えてしまって、自然と泣けてくるというか。

偶然なのか恣意的なものかも分かりませんが、なにかこう、私が住む地域にあった住民の願いのようなものを、私が受け取ったかのような錯覚があるのは確かです。想像すると、不思議な気持ちになる。

何も考えず、好きな漫画を置いただけかも知れないし、
何も考えず、捨てる予定だった漫画を寄贈したかも知れない。

別に、それでも良いのです。
でも、何か、不思議な気持ち、縁のようなものを感じるのもたしかで。

不思議と言えば不思議な、話してみるとそうでもないような、お話しでした。長い。

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