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1年の間に母も父も死んでしまった


2017年12月末に母が死んだ。癌の緩和ケアセンターに入院し、3週間目のことだった。

私はワゴン車に父と子供を乗せて、病院までの1時半の距離を毎日のように往復した。

母は、痛みを緩和する為のモルヒネを投与されながらも、最期の最期まで生きようと、出された食事を必死で食らい、食べ物がのどを通らなくなったらエンシュア・リキッド(液体タイプの経腸栄養剤)を飲み。動けなくなったら終わりだと、病室のトイレまで2メートルの距離を歩いて用を足し、歩けなくなったら上半身だけでもと、病室のベットを利用して腹筋運動をしていた。

最高にかっこよい、母らしい最期だった。

それから9か月後の、2018年9月中旬に父が死んだ。

父の部屋は、新聞と食べ終えたカップ麺やコンビニ弁当、焼酎の空ボトルが散乱する「汚部屋」と化していた。

母が死んでから、父はめっきり老け込んでしまった。外に出なくなった。人付き合いもほぼ、しなくなった。

兄と同居していたが、会話は朝晩の挨拶など必要最小限のものだけだった。男同士だし、それは母が逝く前からそう変わらない。むしろ会話の機会は増えていたとも思う。

父は既に定年退職しており、基本的には家で過ごしていた。母が死ぬ前から、昼食が済んだくらい、酷いときには10時頃から焼酎を飲むようになっていた。病院には行っていないが、アルコール依存症だったと思う。

家の中で、トイレやキッチンとの往復程度しか歩かず、常に布団に寝転んで、目が覚めているときはテレビを見、昼間から焼酎を飲んで眠る。食事も気が向いたときにカップラーメンなどに箸をつける程度で、まともに取らない。たばこはやめない。歯も磨かない。顔も洗わないし髭もあたらない。風呂も1週間に1回程度。そんな生活だったようだ。

人と話さない。歩かない。多くの時間を横になって過ごす。

そんな生活を半年ほど続けた結果、父はまともに歩けなくなり、座っていられなくなり、体に床ずれができ、痩せて頬がこけた。定期的に通っていた病院にも行かなく(行けなく)なった。

記憶力や思考力も大きく低下し、予定もないせいか曜日や日付の感覚も狂っていた。父は67歳だったが、認知症を発症しているのでは?介護が必要では?と思えるような状態となった。

私が上述したような「父の異変」に気付いたのは、母の新盆で帰省した8月。母が亡くなった後、別れたのは2月。たった6か月、半年で大きく老け込んだ父に驚かされた。たまに電話やメールのやり取りはしていたが、声も発言も変わりなく、元気としか思っていなかった。まったく違った。

父は生物として生きていたけれど、「生活」は成り立っていなかった。

帰省中、父の「生活」を再度成立させる為の解決策を考えたけれど、何も浮かばなかった。自分の家に帰ってからも考えたり調べたが、なるようにしかならないと諦める他なかった。苦しかった。

帰省から半月経った9月の初め、兄から「父が脳梗塞で入院した」との連絡があった。肺炎にもかかっていた。肺炎の回復を見ながら脳梗塞への対応をとる、肺炎が悪化したら命が危ないかもしれない、とのことだった。

私は実家から遠く離れた自宅で色々な想像をめぐらせた。

脳梗塞のため、父の身体には麻痺する箇所も現れた。危機を脱し退院する場合は介護施設に入るしかない。兄1人で身体が麻痺した父の介護は出来ない。私にも生活があり、実家とは現実的な距離もあり通ってフォローすることは出来ない。無理に背負おうとしたら、兄や私の生活が破綻してしまう。

幸い、父の年金は多めなのでお金の心配は薄いが、果たして父が入所出来る施設は見つかるのだろうか。施設がなくても退院はしないといけない。こちらの都合が悪くても、「介護せざるを得ない」局面を迎えるかも知れない。

父に死んでほしくはない。でも、生きていて、父に「良いこと」はあるのだろうか。兄にとって、私にとって、父が生きて退院することは「良いこと」なのだろうか。

死んでしまった方がお互いにとって良いんじゃなかろうか。私は父の回復を祈りながら、父の死を願った。

その1週間後、肺炎による呼吸器不全のため、父は死んだ。

早すぎるという気持ちと、介護という負担を負わずに済んで安堵した気持ちとが半々だった。悲しくはなかった。

9か月という時間の中で、母と父の死を看取ることになったのだが、その経験から感じ気付き考えたことがある。

兄が同居していたが、父は「孤独死」だったと思う。父のような最期を迎える人は、決して少なくないし、今後増えると思う。

また、「介護」が必要になる前の「老化していく段階」への支援や「老化防止策」、「自分が老いて死ぬまでの備え(教育)」は全然足りていない。

自由に動かせなくなる手足、重くなっていく身体、ポロポロと抜けていく歯や髪の毛、増えていく飲み薬や医療費、落ちていく思考力や記憶力、先に逝く大切な人たち。崩壊が叫ばれ減額されていく年金、不足する介護施設や病院。高齢者を労らない、活躍の場所もない社会。その先にあるのは死。

両親の病気や死をきっかけに、親の老後や介護について真剣に考え、自分の持つ想像力をフルに働かせて考えた。

正直、自分は父のような最期は迎えたくない。病気になっても衰えても、母のように最期まで生き抜きたいと思うし、子供たちの負担にはなりたくない。

結論で言えば、私は、主体的に家事や育児に取り組まず仕事に専念し、私を「ワンオペ育児」に追いやり孤立化させ苦しめた夫を笑えない。私自身が、親の老後や介護について、高齢化していく社会に対して、まったく主体性が伴ってなかった。

”自分のこと”ではなく、”遠くのこと”だった。

そして、”自分のこと”として老後を考えると、妊娠出産育児と結構似ていると思う。

勿論、個人差はあるが、妊娠した時のつわりの不快感。お腹が大きくなっていくにつれての不自由さ。産後の体調不良や体形体質の変化。病院にかかる費用。足りない保育所。仕事の第一線から育児へと追いやられる自分。稼げないのに高い教育費用。育児に理解のない社会。

それでも育児は、子供の成長が生活の変化や楽しさ、発見につながる。保育所や幼稚園から小学校、中学校、高校と段階もあり、成人するまでとか大学を卒業するまで、約20年踏ん張れば…といった終わりも見える。親である自分も若いので、新しい情報や仕組み、技術(SNSやAI、VR)を取り入れることも難しくない。基本的には身体も健康な方が多いだろう。

老化や介護は光が見えにくい。深い闇があるように思う。

その闇に穴を開けて、光がさすように出来ないかな、風穴が開けられないかな、と思う。

暗い夜に見る月や星は美しい。

人工的に星を作るのは難しいけれど、人工衛星は存在している。夜空に咲く花火も線香花火も、イルミネーションも夜景も、自然ではないが美しいと思う。

夜の恐ろしさと美しさを知ることで、朝の、昼の、夕の、美しさや楽しさは変わるとも思う。

現在の日本で、そういう流れというか動きみたいなものを作れないかな。そういう新しい仕組みが作れないかな。ゼロベースで最初から考え直して。

考え方ひとつだけど、ピンチはチャンスでもある。

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多分、11月頃に書いた文章なのですが、書いてる途中で何が書きたかったのか分からなくなり、お蔵入りしていた下書きです(^^;)

1年の間に両親を亡くしましたが、私は元気です。

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