いつでもフラットでありたい。

朝起きて、すごく長文のラインが入っていて
しばらくフリーズしたのち、わたしなりに向き合って真摯な返信を長文で返した。

先日にあんまりに気になったとあるツイッターの呟きで、一言お節介してしまったから。
そのときの返しからは、あまり入って来て欲しくない領域に無意識にバリアを張ったような空元気で、ちょっとあさっての方向に飛んでいて、あぁ、多分こういうお説教じみた反応は求められていなかったんだなと。同時に、過去の自分がありありと、あぁ、こういう感じだったのかもしれないなぁと。ひとりで勝手に納得していた。こないだスルメの娘さんから言われた、『いっちゃんママは、盾を構えたまま突進してくる感じ』これが妙にしっくりきて思い出す度にじわじわとくる笑
ほんとうだ、盾構えたまんま、いきなり距離感間違えて頭突きしちゃったりするもんだから、
相手が怯むし、怯んだ反応に極端に怖くなって、やっぱりわたしは嫌われ者だから仕方がないんだななんて毎回自分に刷り込んで。
先に嫌われ者だからと思っておくことで、受け入れられない自分をあらかじめ解っておくことで、なるべくなるべく傷つかないようにしてたんだな。でもそれは、同時に 相手を寄せ付けないバリアにもなっていた。ひとが寄りつかなくなる悪循環。でももう、いい加減寂しい世界から抜け出したいから

自分のことをどう思うかなんて相手の勝手だし、まぁ、事実だとしても、ほらねって毎回自分で事実確認する癖と距離を置くようにした。
もちろん長年のクセだし、思考回路としては真っ先に浮かんでくる。でもそこで、ん?ちょい待ちちょい待ち🤚もうそれ、要らない価値観だよね?もしかしたら相手にも事情があったかも、単にタイミングの問題かも?自分は自分を生きると決めたでしょ?って心の中で軽めに訂正をするようになった。
そうするようになって、ようやく冷静にみられることも多くあり、あまり最近は、引きずられることもなくなってきたし、わかってよって意識で誰かのエネルギーを奪う感覚に陥ってしまうときのひとの感じもよりハッキリわかるようになった。なにより自分もいまだに時折そうなってしまうから、なるべく同じエネルギーに引っ張られないように意識して予防線を張っていたりする。わたしはそんなに強くないから、まだあらゆるひとの、そういった総ては受け止めきれないのだ。自分で言うのもなんだが、根が真面目故、キャパオーバーなのにかわすことも知らないフリをすることもできないからモロに食らうのである。そんな今の自分に出来ることは、適切な距離で居ること、しんどいときは本音を伝えること。だからはぐらかして優しくなんてしないし、向き合うときは私なりの真摯な言葉を伝えるだけ。

本当の意味で伝わったかなどわからないし、
似てるからといって、望む未来や価値観が同じなわけでもないから、自分の意見を押し付けるつもりはないが、自分にとっても相手にとっても、きっと今必要なやりとりだったのかなと思っている。

薄皮一枚一枚だけども、
気づけばわたしも 少しずつ 強くなってる。
総てではないにしても、
俯瞰で物事をみられるようになってきている。

反応した分は自分の中にまだ色々と燻りのタネがあることを認識する材料。

この調子でおばあちゃんになってゆけば
いつのまにか大抵のことを受け止められて
どーんと構えていられる存在に近づける筈 笑

あとはゆるりとゆるめたらな。
自分がゆるめたら、理屈抜きで、触れる相手をゆるませてあげられる。包んで癒してあげられるのに。まだまだ理想の自分には遠い。
自分がこわばっているから、相手を緊張させたりこわばらせてしまいがち。これが結局正常なコミニュケーションを阻んでいて、本来のわたしらしく、あなたらしく、そういうコミニュケーションをうまく取れないでいて、其処が本当にいつもいつも哀しい。誤解されても仕方ないけど、誤解はやっぱり哀しい。

それでも多分自分の中の可能性の種として、こんなあたたかな自分が小さいながらも宿っているのは誇らしい。

まだうまくやれなくて
言い方ややり方はキツいこともたくさんあって

誤解もきっとたくさんだろうな。

そんなわたしでよければ末永くお友達で居てね(^^)

わたしは去ったりしない。
いつでも此処にいる。

まだまだ道半ばではございますが。 人生はロールプレイングゲーム。 わちゃわちゃしながらあれこれ綴ります(笑) 以後、よしなに( *´艸`) 唄うたい。たまに絵も。 人を巻き込んでカラフルに。心が動くことを みんなで創造して生きていたいのです 初期衝動と直感と温度を大切に**