図書館の理念に対する疑問

おはようございます😌

今日のテーマは、図書館の理念に対する疑問

 図書館の理念は、昨日申し上げた通り、

 図書館はすべての国民の知る権利を保証するために必要な活動をする
 
 です。

 そこに対しての疑問は差し当たり3点。

 みんなのため
 無料
 差別のない

 厳しいを超えて無理じゃない??
 率直な想いです。 

画像1

 並べると見やすいです。

 みんなのための、無料の、差別のない図書館
 あなたのための、有料の、差別をするかもしれない図書館

 いや、目指すのは素晴らしいのですが、目標に限りなく近い所為で身動き取れなくなってるし、動き遅いし、対応すべきことに対応できてないし、、文句垂れ垂れ。課題と改善案はおいおい、、

 理想と現実の割り切りが必要では?

 これが私の疑問です。

 まず、みんなのため。

 いいたい。そんなものはないと。その響きよ良さとは裏腹に実に曖昧な言葉です。日本は特にこの言葉が好きです。いいたい。みんなって誰やねん。
 みんな都合のいい時この言葉を使います。みんな持ってるからスマホ買って。みんなに迷惑かけないように。みんなしてるから。非論理的であることは間違いありません。

 図書館は当然すべての人、みんなのためであるべきですが、そうは問屋が卸さしません。一人一人に向き合っていった様々な図書館が生まれた先に、結果として、結果としてみんなのための図書館として存在することはできると考えます。あくまで結果です。

 次に、無料。

 無理やん。無料は税金で賄う、の言い換え。無料は寄付で賄う、の言い換えです。お金は必要です。本当に無料なのは、朝希望とともに目覚めることくらいでしょうか。

 人件費、資料費、備品類費、維持費、その他諸々、ほんまに諸々。

 仮に一年の予算

一兆円の図書館が作れたら、、それはもう、、もうどえらいことになるでしょう。無料も現実味を帯びてきます。図書館に一兆円のお金が流れる仕組みを考えてみます。

 無料は考えなくなることが問題です。仮に図書館の利用料が一万円なら、思いませんか?なんでこんな高いん??ああ、それはしやーないわ、となるかもしれません。私なら行きませんが。

 最後に、差別のない。

 そんなアホな。差別のない人、組織、環境、システム。私の知る限りでは不可能です。自分が差別しないようにと思ってとった行動が差別だったりするものです。誰かへの配慮は誰かへの差別。先ほどのみんなのためにつながる部分もあります。

 私差別しないので安心してください

 こんなことを言える人が1番危ない。なんかで読んだ誰かの言葉です。確かに。

 私差別するかもしれないので注意してください。

 こちらの方がよほど健全ではないでしょうか。

 持てる知識と能力を駆使して配慮は当然するものの、それが不快かもしれない可能性も常に忘れずに改善し続ける。地道でもそうするしかない。

 当事者に意見を求めれば、当事者に対応してもらえれば解決しそうですが、私はそれも危険だと考えます。当事者であるが故に見えないこともある。当事者だからといってその人と境遇が同じなわけではない、似てるだけ。どこまで行っても他人は他人です。家族ですら。
 ここでは理解できるできないでの意味です。家族は家族、大好きです。

 最後にもう一度。

 みんなのための、無料の、差別のない図書館

 あなたのための、有料の、差別をするかもしれない図書館

 下の図書館の延長線に上の図書館がある。私はそう信じます。できることから、届くところから、知っているところから地道に。

 理想は高く腰は低く、大胆かつ堅実に。
 最幸最強の図書館を目指します。

 最後までお読みいただき、ありがとうございます。今日もなんかいい1日をお過ごしください。

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