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月と六文銭・第十八章(21)

 竜攘虎搏リュウジョウコハク:竜が払い(攘)、虎が殴る(搏)ということで、竜と虎が激しい戦いをすること。強大な力量を持ち、実力が伯仲する二人を示す文言として竜虎に喩えられ、力量が互角の者同士が激しい戦いを繰り広げることを竜攘虎搏と表現する。

 武田は英国秘密情報部の取引が上手くいくよう助っ人を頼まれ、劣化ウラン弾の提供および使用を条件に引き受けた。取引場所は恵比寿で情報部員が中国人スパイから得た情報を英国大使館に持込むのが今回の作戦だ。武田は情報部員が無事に取引現場を立ち去ることができるよう援護するのが、今回のアサインメントだ。

~竜攘虎搏~

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「こちらアイランド、シーマン(海の男)はお土産を受け取った」
「こちらアイスィー、シーマンが建物を出る」
「こちらアイスカイ、空は青い、良い旅を」
「こちらアイトップ、ティーマン(中国人)は部屋に向かった」
「こちらアイスィー、シーマンは車で出発」
「こちらアイトップ、ティーマンはエレベーターに乗った」

 一応ここで無事にシーマン(海兵隊のギリー)はタクシーに乗車し、ホテルを出発した。

「こちらイヤー、アイトップ退却して」
「アイトップ、了解した」
「こちらイヤー、アイランド退却して」
「アイランド、了解した」
「こちらイヤー、アイスカイ、シーマンが視界を離れたら退却して」
「アイスカイ、了解した。あと7秒ほどで幹線道路に出る」
「こちらイヤー、確認後、退却されたし」
「アイスカイ、了解した。あと2秒ほど」

 取引は成立、英国情報部員ギリーは無事に取引場所を離れられた。作戦はほぼ成功だ。

「こちらアイスィー、東に向かう」
「こちらイヤー、アイスィー、北から出るよう」
「アイスィー、了解した。北からDに向かう」
「イヤー、アイスィー、了解した」

 Dは代官山のことだ。恵比寿ガーデンホテルの敷地を北門から出て、代官山に迎えとの指示に変更された。

「アイスカイ、シーマン、幹線道路に出ました」
「こちらイヤー、了解した、アイスカイ、退却せよ」
「了解」

 ギリーを乗せたタクシーはホテルの敷地を出て、幹線道路へと右折した。英国大使館のある九段下へと向かうことになっていた。
 そこでギリーの乗ったタクシーが車間距離を誤ったのか、すれ違う時に反対車線のトラックと接触してしまったのだ。道を塞ぐ形で2台の車両が止まってしまった。
 それを視界の端で捉えた武田が指令に報告した。

「こちらアイスカイ、シーマンが転んだ、繰り返す、シーマンが転んだ」
「なんだと!どこだ?」
「北へ2ブロック走ったところだ。
 2台が道を塞いでいる。
 狙われたらまずい」

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「シーマン、降りてカバーを、繰り返す、シーマン、降りてカバーを!」

 ギリーは勝手にタクシーの扉を開けて、目の前のビルに逃げ込んだ。
 日本ではタクシー運転手がドアの操作をするが、諸外国では乗客が自分で開け閉めする。
 ギリーは半ば強引にドアを開けて車を脱出し、すぐ前にあったコンビニに逃げ込んだ。扉や窓から離れ、店の奥の方、レジのあるカウンターの近くまで動いた。入り口の様子を伺いながら指令に無事を報告した。

「シーマン、スモールポートにいる」
「こちらイヤー、了解した。
 さらなる指示があるまでそのまま待機」
「シーマン、了解した」
「アイスカイ、何か確認できるか?」
「こちらアイスカイ、トラックのタイヤがパンクしている。
 衝突の原因はおそらくそれ。
 トラックが狙撃された可能性あり」
「了解。
 シーマン、慎重に行動されたし。
 Dでアイスィーと合流されたし」
「了解。
 シーマン、行動再開します」
「こちらイヤー、アイスィー、シーマンと合流後、ネストに向かえ!」
「こちらアイスィー、了解です、合流後ネストに向かいます」

 巣とは、本国ならば本部のことだが、外国にいる場合は大使館を指す。元々取得した情報を大使館に届ける予定だった。タクシーの事故で、ギリーが直接向かうことが難しくなったことから、一度代官山駅でアイスィーの暗号名で呼ばれる工作員と合流して、一緒に大使館に向かうことになった。

「こちらイヤー、アイスカイ、何か見えるか?」
「こちらアイスカイ、何も見えないが、トラックのタイヤバーストは不自然。
 撃たれた可能性大。
 シーマンにまだ狙われている可能性ありと伝えよ」
「こちらイヤー、了解」

 こうした状況では狙撃手がまだいて、ターゲットが店を出た瞬間、そのまま頭を打ち抜かれる可能性がある。

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 武田は必死に見える範囲のビルをスコープで見た。あの角度でトラックのタイヤを打ち抜くとしたら、この範囲だろうと目星はすぐについたものの、自分のいるビルから、狙撃地点のビルとの間に別のビルがあったりして、どのビルかを特定できずにいた。
 恵比寿ではいつの間にか東京オリンピックの外国人客を見込んで、やや背の高いのホテルが増えていた。恵比寿ガーデンホテルの周辺も3つのホテルが新規に開業しており、ちょうど幹線道路の一部が見えないようになっていた。

<タクシーを直接狙わず、トラックをストップさせるとは俺に対する挑戦だな>

 武田が得意とするタイヤバーストを目の前だやられた形になった。自分の得意なショットでミッションを邪魔されるのはスナイパーにとっては屈辱だ。

鉄矢ティーシーか?ティーシーに違いない!くそ、どうして予想できなかったんだ!>

 悔やんでも仕方がない。今回は自分の領域で自分のショットを真似されて、ミッションを妨害された。武田は銃を畳み、アタッシュケースに入れて、階段を駆け下りた。

「イヤー、アイスカイだ!」
「こちらイヤー、どうした?」
「中国人スナイパー・張敏正チャン・ミンジェンの仕業の可能性あり」
「なんだと?」
「コードネーム・ティーシー、本名チャン・ミンジェン。
 中国軍のエース・スナイパー。
 日本に侵入している可能性ありとの情報がある。
 奴ならこのショットは可能と思われる」
「あとで確認する。
 取り敢えずシーマンの脱出路確保に全力を尽くしてくれ」
「了解!」

 武田は恵比寿ガーデンホテルの南棟の階段を駆け下り、幹線道路を目指した。手に火器を持つわけにはいかないので、何かあったら、このアタッシュケースを盾としてティーシーを追い詰めるしかない。

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 普通に考えたら、多少強化されていても、殺そうと思って貫通弾を用意しているスナイパーの銃弾からアタッシュケースで自分が守れると思うほど武田も愚かではなかった。高硬度ジュラルミンでできているアタッシュケースではあったが、せいぜい3発しか持たないだろう。後は何もないのと同じように貫通してくるだろうことは予想できた。

<俺はここまで命を懸けてこのミッションを成功させないといけないんだっけ?>

 英国政府との契約ではファイヤ・ファイト(銃撃戦)は仕方がないし、そのための手当てをはずむと言われているのだから、英国工作員ジャン・ギリーを無事に恵比寿から脱出させたいが、その過程で自分が中国人スナイパーに殺されるのは計画には入っていない。

<乗り掛かった舟か。それに"ジェームズ・ボンド"には会ってみたいし>

 イアン・フレミングが創作した諜報部員007号"ジェームズ・ボンド"は元海軍中佐だった。ギリーは少佐ということだが、これが成功したら中佐になるかもしれなかった。そして、彼らが所属するのは百年以上の歴史を誇る英国秘密情報部、通称MI6スィックスだ。

<ついでにこの作戦が上手くいったら英国政府からメダルが貰えるかも>

 これまで武田は表に出ることに全く興味はなかったが、007号は若い時に女王か首相を救ったためにCBO(英国のコマンダー)に列せられている設定だった。
 武田は存在しない狙撃手だからこそ価値があるのであって、公表されたら価値はゼロ、逆に命を狙われる存在となってしまうデメリットもあった。

<やっぱりこんなことを考えるのはやめよう。寿命が縮まることになりかねない>

 武田は必死に走って大通りまで出て、自分が目算を立てた方向のビルを見上げて、怪しい窓はないか探した。

<もう遅いだろう。さすがにこの時間まで留まるほど余裕はないはずだ。しかし、どのビルだ?>

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