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月と六文銭・第八章(2)

~それぞれの日曜日~(1)


 実はこの時初めて、武田は日本にいる組織の人間と直接やり取りをしたのだ。共同で狙撃したわけではなく、武田の逃走を助けてくれたのだ。

 武田が狙撃に成功した瞬間から、いつ警察が自分を逮捕するか分からなかったので、公安職員がテロリストが持ち去ろうとしていた文書をかき集めている間に、イヤホンを通じた組織の工作員からの指示に従って逃走した。

 国会議事堂の地下から参議院議員会館の下を抜け、地下鉄南北線を横切り、プルデンシャルタワーのマシン室まで辿り着いた。途中、イヤホンの向こうの声に従って、狙撃銃を分解して部品を捨てながら来たのだが、最終的には狙撃銃の基部が手元に残ってしまった。狙撃銃や機関銃などは基部にシリアルナンバーが刻んであり、製造者が特定できるよう管理されていた。そこから販売業者と購入者が判明する仕組みにしてあって、銃犯罪防止の一つの仕組みだった。この基部を武田はボイラー室にあった大型ハンマーで叩き潰し、ボイラー横の廃材の中に放り込んだ。

 武田はボイラー制御室のロッカーからメンテナンス会社スタッフの作業着の入った袋を取り出して、取り敢えず狙撃犯のユニフォームを脱いだ。廊下の反対側にあるシャワー室にシャツとパンツで向かい、サッとシャワーを浴びて下水の匂いを洗い落とした。武田は袋に入っていた下着をつけ、作業着に着替え、狙撃班のユニフォームはゴミ捨て場の焼却予定袋に突っ込んだ。このビルはビル内で生じたゴミをビル内で燃やして、暖房の熱にしていたのだ。多分本日中にゴミは燃やされてしまうだろう。

 作業用のグローブを付け、武田はビル3階にある総合管理室に向かった。そこで、組織の工作員と合流し、クリップボードを渡され、二人で施設課長の所に向かった。


 総合管理室に入室するとともに、武田は工作員と一緒に元気な声であいさつした。
「お疲れ様です!」
 工作員は武田を連れて、メンテナンス終了のサインか印をもらうため、施設課長の机の前に立った。
「ご苦労さまです」
「芝浦空調の真田と内藤です。
 作業が終わりましたので、引き上げます。
 確認印をお願いします」
「はいよ」
 施設課長は内藤と紹介された武田が差し出したクリップボードを受け取り、チラッと真田と武田の顔を見たが、机の引き出しからシャチハタを取り出し、3枚にポンポンポンと押して返してきた。
「それでは失礼します」と真田が頭を下げた。
「失礼します」と武田が頭を下げ、カバンに書類をさっと入れて回れ右をした。
「おお、そうだ、来月も今くらいの時期になりますか?」
 真田が課長へと向き直り、はい、その予定です、と言って軽く会釈して、武田に続いて管理室の扉を出た。


「真田、さん?」とワンボックスに乗りながら武田は、真田と名乗った組織の工作員に話しかけた。
「初めまして、ですね、アルテミス。
 今回のアサインメントの成功、NSRの予想通りでしたね。
 うまい具合に公安も振り切れましたし。
 尤も、向こうは文書の回収で追跡どころではなかったでしょうけど」
「こちらには幸いだった。
 本当は焼けた方がよかったんじゃないですか、あの文書?」
「あれは日本政府にとっては爆弾みたいなものだから、逆に日本政府がいつまでも持っていてくれた方がいい、というのが米国の判断なのでしょう」

 真田が運転するワンボックスカーはビルの地下から地上に上がり、青山方面に向かって走り、武田は表参道駅前で降ろされた。アサインメントの全容を知らされていない武田は、テロリストの狙いは非核三原則に関連する密約の証拠とだけ言われていたが、あの文書には何が書かれているか詳細は知らなかった。

 武田が真田と名乗った組織の人間を見たのがこれが最初で最後だった。真田なんて本名ですらないだろう。向こうも自分の名前を知らされていない可能性もあった。日本国内でコードネームで呼ばれるとちょっと不思議な感じがしたのも事実だった。

 そして、今回は急なアサインメントだったこともあり、自分で退路を確保する時間がなかったから組織が導いてくれたわけだが、自分は使い捨ての駒でないことに対する安心感が生まれた。

 その反面、いくら自分の腕=狙撃の技術を誇示する機会だとしても、アサインメントの本質を考えずにチャレンジングな部分だけに注目してはいけないことを肝に銘じた。


 武田はその後の選挙の動向、日米安保更改の過程を見て、あの文書が国会議事堂の地下文書庫に存在し続ける重要性を感じられずにはいられなかった。

 狙撃の翌日、貸金庫の中身を確認したところ、約束の金塊が届けられていた。500グラムの金塊が4つとオーストリア政府金貨が1枚。その時の報酬は1千万円だったのだが、内訳が射撃(射殺)1発につき300万円プラス地下を走った苦労代と本部が伝えてきた。

 金の量の端数を金貨で払ってくれたわけだが、一人でも撃ち損じていたら、1発幾らなどと言ってはいられなかっただろう。また、民自党政権転覆をもくろんだテロリストの命の値段が1人当たり300万円とは、人の命は随分安いものだな、と武田はため息をついた。

 あの時気にしなかったのだが、全く表に出てこないテロリストの活動を米中央情報局(CIA)が把握できたのは、情報分析を外注しているNSRからの報告によってだった。ノース・スター・リサーチ社、通称NSR、は世界中の自然災害が政治経済に及ぼす影響を予測するために設置されたと同社のウェブサイトに記載されていた。本部はニューヨーク市内、リサーチデータセンターのありかは公開されていないが、コネチカット州のどこかにあるらしいとのことだった。

 どうやってNSRが今回のテロリストのことを把握し、国会議事堂の地下文書庫を襲撃することを予測できたのだろうか。明らかに同盟国である日本国内でCIAが諜報活動を行っている証拠だが、日本政府は何も疑問を持たないのだろうか。

 余談だが、武田はオーストリア政府金貨(ウィーン交響楽団の彫刻がされていることからウィーン金貨「ハーモニー」と呼ばれている)を貸金庫から持ち帰り、恋人のぞみのためにペンダントヘッドを作ったのだ。なかなかオシャレなものが出来上がったのだが、のぞみももらった当初は、まさか1オンス(当時15万円分ほど)の純金が自分の首にぶら下がっているとは思ってもみなかったらしい。

 政治には関わらないと決めたのだ。あの文書のことはもう放っておこう。そう思いなおして、武田は炭酸水を取りに立ち上がろうとした時、携帯電話にメールが届いた音を聞いた。

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