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天使と悪魔・聖アナスタシア学園(15)

第十五章
 ~ここに腕を置いていけ・マサミ~

「ヘレス・ユリカイア、お前は儂が思ったほど賢くはないということか?」

 ゆり子はしてはいけない行為をしてしまったのだ。これまでは本当に忠実なしもべとして、ルキフェルに逆らうことも、彼の言葉に疑問を持つこともなく行動してきたのに、嬉しさのあまり、つい、どうしてそう思われたのか聞いてしまったのだ。
 それをルキフェルは自分の判断への挑戦と受け取ったのだ。

「フェライヤ・マサミン、お前はこの場にいる者は自分の責任で厳選に厳選を重ねて出席させていると言うたな?」

 マサミは珍しく全身から汗を拭き出し、その汗が床につけているおでこから床に広がり始めていた。一生懸命頭を回転させて、なんとかルキフェルが納得する回答を捻り出そうとしたが、どのように答えてもルキフェルの怒りを増幅しかねないものしか思いつかなかった。

 ゆり子は全員の命を危険にさらしてしまったという責任感と恐怖から唇が紫に変色して震えていた。手も震えていたが、なんとか口を開いて、申し開きを試みた。

「大天使ルキフェル様、ユリカイアです、発言をお許しください。あまりの親切、あまりのご配慮、私ごときがそのような扱いを受けてよいものか、確かめさせていただきたい発言でした。決して決して、アナタ様の判断に疑問を挟んだりしたものではありません」

 それはそうだ。私たちが大天使に挑戦するような考えを持つわけがない。それをルキフェル様に理解してもらわないと。マサミはどこかで被害を食い止めないといけないと思い、発言した。

「大天使様、マサミンです、発言をお許しください」
「ほう、申してみよ」
「私が選んだ者がアナタ様の決められたルールに反したことをした場合は、私の監督不行き届きです。まず私めを罰してください。私からその者、今回はユリカイアに彼女の罪の内容をじっくり理解させますので」
「マサミン、お前は降霊の本をよく理解していると儂は思ったが」
「はい、おっしゃる通り、すべての手続きに目を通し、その通りに実行してきたと自負しています」
「ならば、儂が余計な発言をした者の声を奪い、その者を連れてきた者は腕をその場に置いていくことが求められる、と書かれていたと思うが、儂の記憶は間違っているか?」

 マサミは左腕を取られ、ゆり子は一生口を利くことができなくなる、ということだった。17世紀後半の降霊の失敗例と事故について書かれた章にそのような記述が確かにあったのをマサミは思い出していた。

「どうじゃ、マサミン?」

 大天使ルキフェルは優しく、子供を諭すように話しかけた。

 マサミはもう自分たちは一人前扱いされていないことを悟った。赤子以下の存在、ルキフェルの言っていることが理解できない知性の足りない存在と認識されたのだ。もう私たちはおしまいかも…。

「マサミン、お前はこれまでしっかりルールを守り、出席者にルールを守らせ、滞りなく降霊を実施してきた。それは褒めてやる。しかし、儂とて、いつもいつも厳しい条件を突き付けてお前たち人間の限界を試しているわけではないぞ」
「はい、おっしゃる通りです」
「で、どうするつもりだ?」
「ユリカイアにはこれからも声が必要なので、それはお許しいただけませんでしょうか?その代わり、私の左腕と左脚をこの場に置いていきます」
「お前が自分の声を置いていくというのはどうじゃ?」
「は、それは今後、貴方様が地上にいらっしゃる際に我々も貴方様とお話ができなくなって困りますので、声をそのままに、代わりに私の左脚でどうかお許しを」

 マサミ以外全員がこの状況は非常にまずいと気が付いていた。
 ローマ皇帝やロシア皇帝に逆らったのなら、流罪というものがあったが、神に最も近い存在に反旗を翻したのなら、命が助かればよい方で、全身をバラバラにされてテヴェレ川に投げ込まれることにもなりかねなかった。この場合は江戸川か利根川だろうけど、そんな細かいことはどうでもよかった。ようは葬式を出すこともできないような死を迎えるということだった。

 マサミは手を伸ばし、ユリとゆり子とそれぞれ手を繋いだ。
 マサミの手を握り返したユリは彼女の指先が氷のように冷たくなっていると感じた。
 ゆり子の失言がこのような事態に発展するとは全員が予想していなかっただけに、どうしたらよいのか思いつかない。謝罪はした。しかし、口から出た言葉は元には戻せない。人間であるゆり子が神であるルキフェルの判断を疑ったのだ。失礼とか僭越のレベルではない。
 ユリが握ったマサミの手が震えているのが伝わり、彼女が事態収拾に必死なのは分かったが、自分がどうしたらよいのか思いつかないのだ。

「ルキフェル様、マサミンではなく、ユリカイアに罰をお与えください。ユリカイアの声を二年の間、お預けします。私は言葉を発することをやめます」
「いや、私の左腕と左脚はアナタ様の物です。ユリカイアには私からシカと教育を施し、二度と失礼がないように致します」

 煙の竜巻の中の顔がぐっとアップになり、マサミを見つめた。マサミは大胆にもグッと見つめ返した。それこそローマ教皇だろうが、米国大統領だろうが、絶対目を合わせないだろう相手に、東洋の小国のいち女子学生が精神力だけで対抗していたのだ。

「ふん、マサミン、これまでのお前の行動に免じて今回は、今回だけは、ユリカイアに罰は与えないこととする」
「ありがとうございます」
「だが、いくら滞りなく降霊を主催してきたとしても、そこに座す者を選んだ責任は逃れない。つまり、連れてきたお前には相応の罰を与えることにする」
「は、謹んでお受け致します」
「よろしい。マサミン、お前には後程、儂からの罰を伝えよう」

 ゆり子は強く握っていたマサミの手を放した。爪には血が付いていた。強く握り過ぎて、自分の爪がマサミの手に食い込んでいたようだった。
 ユリの手はまだ震えていた。マサミは反対の手でユリの指を丁寧に剥がし、繋がっている手を解放した。

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