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月と六文銭・第十七章(10)

10.人間回廊
 The Human Corridor

 上り電車に乗るためにサラリーマンの集団が改札を通り、雑談をしながらホームの東京寄りにダラダラ歩いていた。

花岡はなおかさ、悪酔いよくするよな?」
「そうですか?
 飲み過ぎることは結構ありますけど。
 ははは」
「そうだ、ドラスリが好きな子が真面目で地味な大学生らしい」
「奥さん、モデルだか、元アナウンサーだかで、すごい美人らしいですね」
「恐妻家なのかもしれん。
 恐いからもっと地味でいうことを聞く子を選んだのかも」
「さて、この辺りだな」
「はい、あのマーカーに対し我々が整列すれば、後はSエスが仕事をする」
「本当に百%成功するエスなんているんですか?
 成功した事例だけ取り上げたら、そりゃ百%になると思いますが」
「花岡、お前、しゃべり過ぎ。
 俺が読んだデータでは、今この瞬間、お前の頭を打ち抜いてそのままドラスリの眉間も打ち抜けるほどの腕前だ」
「本当ですか…」

 花岡は黙ってしまった。彼は現場工作員の自分たちが一番偉い的な感覚の"正社員"で、Sエス=スナイパーなんて安全圏から撃つだけで、誰でも訓練したらできる任務だと思っていた。今回のスナイパーはアルテミスなんてカッコつけたコードネームだし、そもそも"契約社員"なんだろ?という意識がある。

「電車が来るから並ぶか」

 これが合図となり、6名は緩やかに3人ずつ2列に並んだ。これで自分たちが指定されたフォーメーションを乱したら、ターゲットであるドラスリーを外すだけでなく、この中の誰かの頭が吹っ飛ぶことになるだろう。
 いや、アルテミスはドラスリーを仕留めるだろうが、頭を打ち抜かれた工作員は死に損である。

<角度1>
ガガァ、ドッスーン

 6人の目の前、いや視線の下、で車が高架の柱に激突して水蒸気を噴き出したのだ。花岡は大量の汗が頭のてっぺんから噴き出すのを感じた。今、高速移動体が自分の耳の横を通り、高架の下の車にあたった。我々の頭と頭の間の距離なんて50cmもない。その間を銃弾を通し、正確に車をて、それを停めた。乗員の怪我の度合いはまだ分からないが。
 この任務を指示された時、なんてバカげた任務!と思ったのだ。一般人が巻き込まれないように我々が駅のホームで「人間回廊ヒューマンコリドー」を形成し、その間を狙撃の銃弾を通すなんて、恐ろしくバカげた作戦としか思えなかった。スナイパーが失敗すれば我々の誰かが死ぬかもしれない、味方に撃たれて…。本部はメディア対策をどうするつもりだったのだろう。

『帰宅途中のサラリーマン、JR船橋駅で銃撃される』

 原因や背後関係を警察が調べているとでも公表するのだろうか?いずれにしても日本に一人しかない超絶スナイパーの腕は確かだ。間違いない…。

 ホームの人たちが眼下の事故をもっと見ようと集まりだしていた。携帯電話で撮影する若者もいる。工作員6名は、事故後の様子がはっきり見えないようさりげなく邪魔をしていた。彼らも群衆同様携帯電話で撮影をしていたが、目的は別だ。インターネットに野次馬らの映像がアップされた場合、誰が撮影したものか分かるよう、撮影している人たちが画面に入るよう工夫して撮影していた。万一作戦が露見するような情報が写っていた場合の対策だ。
 花岡は思った、確かにこんな連中がホームにいたら、狙撃弾は誰かに当たっていただろうな、と。その為の人間回廊だったのだ。

<角度2>
ガッ、ブッ、ドッスーン

 何が起こったのだ?いきなりボンネットが跳ね上がり、トンネルの横の壁に車が激突した。
 エアバッグから顔を上げた呉がクモの巣のようにヒビの入ったフロントガラス越しにひしゃげたボンネットを見つめた。ラジエーターが潰れたのか、水蒸気?湯気?が上がっているのも見えた。問題は後ろの席からフロントウィンドーまで飛び出していた秦大佐だった。顔は血だらけで、もしかしたら首が折れているかも?いやそうなると死んでいる可能性が…。呉は頭の中で今起こったことを何とか整理しようとしていた。
 自分たちは東武線下のトンネルに入り、JR下に続くカーブに入ったところで突然ボンネットが跳ね上がった。その瞬間にエアバッグが開いて、視界が遮られた。車体が揺れ、左の壁に車がぶつかり、ガラスが割れて車が停まった。エアバッグが開くのが、早過ぎて一瞬にして目の前が真っ白になった。
 大佐は前が見えるのが好きで、助手席のヘッドレストを外してあったため、激突の瞬間前に飛ばされ、フロントウィンドーに頭?顔?をぶつけてしまったようだ。

「大佐?」

 返事がない!これは重大事だ!

「大佐!
 大佐~!」

 大使館には緊急信号が自動的に事故に遭ったことを伝えているはずだ。
 しかし、何が起こったのだ?
 何かボンネットに当たったのか?
 前の車にぶつかった?いや、いなかったはずだ。
 動物にぶつかった可能性は?いや、これもない。
 しかし、このボンネットのひしゃげ具合から見て、何かにぶつかったからひしゃげたのであって、それから跳ね上がってしまったとしか思えない。
 責任は自分が取るが、故意ではないことは確かだ。事故だから日本の警察に原因を調べてもらえばよい。自分たちは何らやましいことをしていないのだから。

飯田はんだすみれの部屋>
 う、痛い。苦しいのではない、痛みが左乳房を走り、今度は心臓をぎゅっと掴まれた感覚が…。
 あの人は大丈夫かしら?
 すみれは最低限しか使用を認められていない携帯電話の通信アプリを開き、中国語で秦江毅に連絡を入れた。
 「君は気にし過ぎ」と笑われるとか、「こんなことに使うなと言っただろう」と怒られるなら、それで十分。あの人が無事なのが分かるなら叱られてもよい。
 しかし、普段すぐに返信があるのに、何もない…。

<角度3>
ガガァ、ドスン

 いきなり前を走る車のボンネットが跳ね上がり、トンネルの横の壁に激突した。すぐ後ろを走っていたオートバイ便のライダーはギリギリで避けられたので、転倒することなく、怪我もなく、オートバイが破損することもなかった。
 外交ナンバーのベンツなんて近づくもんじゃないな。外国じゃあるまいし、外交官を狙ったテロ?
 配達があるから警察が来るまで待ってられない。取敢えず行こう。この事故が新聞に載って何か思い出したら警察に行けばいいや。

<再び角度1、電車のホームで>
「何があったんですか?」

 仕事帰りのサラリーマンに話しかけられた花岡が自分も何が起こったか分からない振りをして答えた。

「なんかそのすぐ下で車が柱にぶつかったみたいです」

 指をさす花岡の隣でサラリーマンはアタッシュケースをホームに置いて、その方向を見つめた。

「おっかないですね」
「そうですね」

 花岡の隣にいた工作員がサラリーマンのアタッシュケースを自分のと入れ替えた。

「ごめんなさい、失礼します」
「お疲れ様です」

 サラリーマンはアタッシュケースを持ち上げてホームの端、市川や東京に近い一番後ろの車両が止まる辺りへと歩いていった。
 サラリーマン氏はアタッシュケースが入れ替わっているのに気が付いている様子がなかった。
 花岡たちは来た上りの電車に乗った。逗子行きの電車だった。
 サラリーマン氏はそのままホームに残り、下り電車が来るのを待っていた。今から佐倉?成田?いや、上総一ノ宮?に戻るサラリーマンなんだろうな。花岡はそんなことを考えながら遠ざかるサラリーマンを見ていた。

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