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月と六文銭・第十四章(56)

 工作員・田口たぐち静香しずかは厚生労働省での新薬承認にまつわる自殺や怪死事件を追い、生保営業社員の高島たかしまみやこに扮し、米大手製薬会社の営業社員・ネイサン・ウェインスタインに迫っていた。

 組織が用意していた隠れ家=セイフハウスで仮想身分である「高島都」を脱ぎ、ウェインスタインの上司であるオイダンが、パートナーであるデイヴィッドを殺した犯人だと目星をつけて証拠集めを始めた。

~ファラデーの揺り籠~(56)

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 オイダンとウェインスタインの二人がよく行く六本木のキャバクラは郵便局方面に1本入った「ZEEK(ジーク)」だった。派手な店の多い六本木にあって、どちらかというと銀座のような雰囲気で落ち着いていて、年配者にも楽しめる店だった。英語のできる日本人、韓国人、中国人のホステスもいて、客層は日本駐在の外国人や出張で来ている客も結構いた。
 オイダンとウェインスタインはいつも1時間ほど飲んでから出てくる。そして、オイダンはタクシーでホステスとどこかへ移動し、ウェインスタインはホテルに戻っていくのが通常パターンだった。
 今夜はオイダンをフォローして、何か裏がないか確認しないと。田口はオイダンとホステスが乗ったタクシーを尾行した。タクシーは六本木通りを真っ直ぐ麻布方面西麻布交差点を目指して走った。広い通りでよかったと田口は思った。これなら交通量が適度に多くて見つかりにくいが、こちらも見失わない程度だった。
 なんのことはない、まっすぐ進んだ先にあるハイヤット・グランド・トーキョーに到着し、二人はオイダンが取っていた部屋に向かった。

<へぇ、大手ファーマの部長ともなると五つ星をラブホ代わりに使えるのね>

 田口はいつもの毒のある表現を使った。
 オイダンの部屋での行為をデイヴィッドの監視ビデオで確認してあったので、ベッドの中で彼が紳士なのは分かっていた。しかも、セックスを"軽い運動"と表現していたのも頷けるように、そんなに必死にならなくても女性を絶頂に押し上げた後、自分もしっかり達していた。
 オイダンは軽く汗をかく程度なのに、女性は気を失うほど達していたことも映像で確認していたが、あ、ちょっと待って!もし、万が一、オイダンもウェインスタインと同じ能力を持っていて、特殊な電磁波で女性を絶頂に押し上げていたとしたら?

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 オイダンはシカゴのレイク・サイド総合病院で生まれていた。分娩予定のコントロールに新型の薬剤(ステロイドの一種か?)を使用し始めていた時期と一致していた。胎児に大きな障害や異常は報告されなかったものの、知能指数の高い子、運動神経が非常に発達した子が一定割合で生まれていたことが報告されている。
 どういう薬剤なのよ、それ?そんなもので超能力を持った子供たちが生まれるというの?
 しかし、ロシアや東欧の独壇場と言われたチェスの世界ランキングに初めて入った米国人もイリノイ出身だった。海軍特殊部隊にシカゴ出身の隊員だけで組織された"ラ・サール"なるプラトゥーンが存在すると言われている。いくら大きな湖があるとはいえ、イリノイなんて内陸州で船乗りが自然に生まれ育つ環境ではないのに、海軍に特殊部隊があるのも変な話よね。
 1963年以降に生まれ、理系の大学に優秀な成績で入学し、その後工学系や宇宙開発の現場で活躍している人材にはイリノイ出身者が多いとされている。
 元はイリノイ州が定めた数理系教育要領のお陰との説が強かったが、1980年代に入るとそういった学生が消えていき、今では教育要領ではなく、個人的素質がたまたま発揮された結果とされている。
 そして、ヴィンセント・オイダンはこの世代に属している。彼はステロイドで脳に変化が与えれたのか?ん、ちょっと待って、母親がそれを摂取している必要がある。
 ウェインスタインの場合、妊娠中の母親が交通事故で意識不明の重体となったため、新薬を投与したりして、子が生まれるまでをサポートしたと記録にあった。
 では、オイダンの母は何か新薬の治験に参加したのだろうか?あの記録ではそこまでは言及されていなかった。
 
 まずはオイダンに話を聞いてみないといけない。しかし、自分は直接顔を出すのはまずい。今から六本木のお店に女性工作員を潜入させて情報を聞き出すには時間がかかり過ぎるだろう。
 今夜はオイダンの愛の巣を確認したから、韓国の工作員に監視してもらい、日本に戻ったら確認作業を続けるしかないか。

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 田口はホテルのラウンジで1時間ほど様々なインターネットの記事を読み漁った後、二人の帰りを見逃さないよう早めに席を立ち、ロビーの柱の横で観察していた。
 出てきた!ちょうど1時間と40分、エレベーターからオイダンとホステスが降りてきた。まだ上気した顔のホステスを見ると今夜も"紳士"オイダンはきっちり女性を"天国にエスコート"したのね。
 田口は足早にロビーの右端のドアから建物を出て、オートバイに向かった。目の端でオイダンが先にタクシーに乗り、ホステスは後から乗って、ホテルスタッフがドアを閉めていた。

***現在***
 普通なら女性を先に乗せてから男性が乗るものだが、女性がやや長めのスカートを履いている場合など、車内での席の移動が難しい場合は男性が先に乗って、女性は移動の少ない扉側に乗せてあげるのが上級マナーだ。女性が降りる間に支払いをするにはちょうど良いこともある。

「とにかく、日本男性はマナーを知らない!
 荷物は持たない、ドアは開けない、エレベーターは先に乗っちゃって奥の方に立っちゃうとか、どうなっているの?」
「お怒りご尤もです」
「滝さんは本当に素晴らしかったわ」
「静香さんの一番は滝社長なのね」
「あ、ははは、つい力が入っちゃった!
 本当の紳士でしたよ、滝さんは」
「お布団の中でも紳士だったの?」
「ええ、それはもう!ふふふ」
「妬かないよ」
「別に妬かなくたって、哲也さんは私を全力でイかせてくれるでしょ?」
「それはそうだが…」

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***再び回想へ***
 オイダンとホステスを乗せたタクシーは真っ直ぐ六本木通りを走り、右折して「クラブ・ジーク」に戻った。オイダンは携帯電話で何かを見ながら外で待っていた。退勤する手続きをしたホステスが再び合流し、オイダンと腕を組んでオイダンの宿泊先のホテルに向かった。彼女はブラウンのカーディガン、グレーのスラックスで出てきたが、多分この後、あの黄色のフェラーリで送ってもらうのだろう。
 そうか、ウェインスタインは8時から10時、オイダンは10時以降にあの車を使っていたのか。それでウェインスタインはホステスを持ち帰りせずにホテルに戻り、バーでピックアップした女性をドライブに連れて行っていたのか。高島都=私の時もそうだった。アフターファイブでもウェインスタインは上司オイダンを立てていたのか。
 大胆な推測だが、合っているような気がする。とにかく本部に自分の推測を送ってみよう。今夜もオイダンに関する結論は出ないだろうし、ウェインスタインの処置も未定だ。彼らが韓国から戻ってきたら準備を万全にして対処しよう。
 その間、アルテミスを起動しよう。ドスィエを見る限りでは車への狙撃は問題なさそうだ。火器が問題かな。いや、弾丸の種類が課題かな。これも本部に相談しておこう。
 彼が評判通りなら、オイダンは終わったも同然だ。ウェインスタインの方は私自身できっちり処置したいからこそ、こっちもきっちりシナリオ通りに動いてもらわないと。

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