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いつだって休日は機械仕掛け

バスでは子供のように、窓ガラスに身体を預けて眠った。体感二割ほど増した大地の重力と、安寧への誘いとに引き裂かれたその谷間。夢を見ていた。走っていたのか、転んだのか、泳いでいたのか、沈んだのか。戻ったあとでは何も思い出せやしない。省みると、たしかに夜更かしが続いている。朝、ゆっくり寝ていればいいものを、決まった時間に目覚めて活動するものだから、ゼンマイ人形のように途中で動きが止まってしまうのだ。

マレ=ジョリス『夜の三つの年齢』を読んでいる。魔女のお話なのだけど、なんだか人物の描写であったり内面の焔であったりがスタンダールの『赤と黒』に似ているように感じる。フランスの過剰摂取は宜しいとは言えない。経験上の鉄則である。今夜、自宅で観るつもりであった『太陽がいっぱい(1960)』は要検討といったところか。連休は有限だ。考えなければならない。

というのもこれから、アップリンクで『地に堕ちた愛 完全版(1984)』を観る運びになっているからだ。これもまたfilms françaisであるのだが、そんなことよりも176分という上映時間が気懸りだ。昼間っからの酒呑みにとって、この長尺は一種の試練である。無論、我が膀胱には一寸の信頼も置けたものではないから、出入口のすぐ傍の席をとってある。懸念は中座に尽きない。そう、巻の不十分なゼンマイである。如何せんこの問題とフランス云々の相性は頗る宜しくない。

気合いを入れろ、である。入れるのだ。

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