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『楢山節考』考

子供の時分、何かの折に触れて姥捨山の話が出る度に、「そういうときが来たらちゃんとオカン捨てなアカンで」と母は私に言い聞かせたものだった。深沢七郎『楢山節考』を読みながら、思い出すのはそんなこんなで、本を閉じてからは「もしやすると母もこの本を読んだのやもしれん」なんてことを考えたり。

新潮文庫のこの書籍には四作ほどが収録されていて、冒頭掲載の『月のアペニン山』だけは読んでいた。それは掴みどころのない、掌からスルりと抜け落ちるようなイメージが描かれていたが、対して『楢山一』の強度は凄まじい。

成程、描かれる共同体の暮らし、掟の世界は我々の血の中にもその棲処を持っているらしく、終盤に差し掛かるにつれて身体が沸き立つ感覚 一それは痛々しいくらいの一 に襲われた。生き埋めにされた記憶は、未だ事切れていなかったわけだ。

空いっぱいに広がる鉛に押し潰されて、多少の白々しさはあろうとも、雪でも降ってくれないかと俯いた。横柄な曇りである。私はそれを好かん。

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