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【下川】運がよかった話です

こんにちは。お久しぶりです。しばらくnoteを休みましたが、休みすぎました。これから日記と記憶を頼りにまた書きますね。

下川町で運がよかった話をします。

2020/8/6、小清水町を出発しました。この日にヒッチハイクで乗せてもらった、それはそれは大変面白い人に2020年12月に手紙を出したら返信がありました。わーいわーい

小清水町の次は紋別に向かいました。友達の家にお世話になりました。また会おうね

その次は興部の牧場に向かう予定でしたが、前日(2020/8/6)の夕方に電話があり、キャンセルになったという連絡を受けました。だから、これから3日間の予定がなくなりました。隙間なく埋めていた予定にぽっかりと穴が空いてしまったんです。僕は電話でキャンセルと聞いて数秒残念に思ったあとすぐ、心がわくわくし出しました、予定のない旅ができると。

僕のイメージにおける旅といえばまさに「放浪」です。「定住しないでさすらうこと」です。今までの僕の行動には放浪感のない部分があります。泊まるところを事前に決めているからです。ただ、移動手段がヒッチハイクなのは放浪感が高いと思います。だから、誰かに「いま僕はなにをしているのか」を説明するとき、旅とは答えません。農家巡りと答えておきます。足袋をしている、いや旅をしていると言えたらすんなり伝わると思うのですが、自分自身腑に落ちないので言えません(ちなみにぼくは五本指靴下を履き古しています。週に1回は誰かに穴空いてるよと嘲笑われます。別によいのです穴が開いていたって。積丹のたかのふぁーむに落ち着いたら穴あき5本指靴下を縫います)。

とここまで書いてふと思いました──泊まるところを事前に決めていても、それは旅ではないか。歩き旅でも自転車旅でも移動できる距離から目星をつけて宿を予約することはできます。野宿すると痛い目にみるおそれがありますから。自身の安全を確保するために然るべき行動だと思えてきました。それに、移動手段がたとえ公共交通機関や自分の車だとしても旅になるとさえ思えてきました、さっきあんなことを書いていたのに。なんだか旅の捉え方がこの時間で驚くほど変わりました、せっかくですから前の段落の文章を残しておきましょう。ここで改めて旅とは何かということを書くつもりはありません。下川で運がよかった話をしないと。ただでさえ書くことが溜まっているんだから。

友達の家にもう1日泊めてもらって、2020/8/8に紋別を出発しました。あてのない下川へ。ヒッチハイクで3台乗り継いで午前中に下川の街中に到着しました。雨が降っていましたので、バスの待合室前で降ろしてくれました。中には本棚がありました。「ミニ^2ぶんこ(みにみにぶんこ。「^2」は2乗を表す)」といって、もう読まなくなった本を本棚に置くと誰かがそっと借りていくシステムの本棚です。返却期限はありません。ただし、返却しなくてよいという訳ではありません。僕は井上ひさしの小説を借りました。そしてまだ持っています。返しますいつか。

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下川町といえば林業が盛んだ、というイメージを僕は持っていました。また、僕は林業に関心があります。山のことももっと知りたい、知らなければならないからです。人間は技術を駆使して動物の器官を真似していますよね。たとえば蚊の針を真似して注射針とか、ヤモリ(イモリ?)の足の裏を真似して、子どもや大人が行儀悪くペロペロしないよう、内容物がくっつかないようにしたヨーグルトのフタの裏とか。では、山の真似をするのもいいでしょう。物質の循環するシステムを編み出したいですね。そうでもしないと、これから生活することは難しいと思います。

で、せっかくだから下川の林業従事者にお話を聞いてみたいと思って林業組合の住所を調べるとなんと、大きなバックパックとホルンを持ったとしても余裕で歩いていける距離に林業組合があるではありませんか。雨宿りできるし林業組合が近くにあるし、素晴らしいところに降ろしてもらった。ああ運がいい。以上運がよかった話でした。ちゃんちゃん。いや、まだ終わりません。

訪問する前に組合にウキウキしながら電話しました。・・・。はて、繋がりません。なるほど、土曜日だからか、でも誰かいるかも。ということでバスの待合室を出ました。折り畳み傘を差します。足元は長靴を履いていますのでなんのその。組合に到着しましたが、駐車場に車は1台も停まっていませんでした。インターホンを鳴らしましたが返事はありませんでした。「誰もいないのか。」呆然としました。なにせ下川には誰も知り合いがいませんから。どうしようか。雨降っているし。

林業組合の向かいに平べったくて落ち着いた黒色の新しそうな建物がありました。行ってみました。観光協会の建物で、土曜日も開いていました。中に入って物色しました。特産品が置いてあること、求人の掲示板があること、移住相談のための部屋などなどがありました。一通り物色し終えて、せっかくなので観光協会の方とお話しました。どういう取っ掛かりで話し始めたのかは忘れましたが、僕がどういう人なのか、相手はどういう経歴の人なのか、今日はお祭りがあるけど簡易的に行われるといったことを話しました。最後におすすめのランチを紹介してくれました。ナポリタンが有名な喫茶店、歴史あるうどん屋さん、何十回も食べに行ったことのあるカレー屋さん。名前を伝えるだけでなく、お店にまつわるエピソードも添えて教えてくれました。なんて親切なんでしょう。

僕がピンと来た、いいえピンどころではなくビンビンに反応して瞳孔がわずかに大きくなり声が裏返るほど興奮して即決したお店はカレー屋さん。名前は「MORENA(モレーナ)」。「モレーナの主人は旅人だった。」この言葉に僕の心は奪われました。旅先のインドで、主人がフラメンコギターをインド人に教える代わりにカレーの作り方を教えてもらい、そのレシピで作っているそうです。また自分の描いた絵で個展を開くそうです。旅人で料理人で音楽家で画家。ビビります。でも会ってみたいですよね。「いってきます。」僕は観光協会をあとにしました。

バスの待合室の丁度向かいにある、パンも置いてある老舗の素敵なお菓子屋さんでパンを買い、桜ヶ丘公園という大きな公園でゆっくりしずかに食べました。これからカレーを食べるくせに。公園には木彫の作品がたくさんありました。おそらくみなさんの想像よりはるかにたくさん、そして大きい作品がありました。

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(ここからは12/13以降に書いた)

モレーナまでまあまあ距離がありました。こんなときはヒッチハイクしたくなりますよね。雨は止んでいました。たまに振り返って、僕と同じ方向へ走る車が来るのを確認したら立ち止まって、もしくは歩きながら親指を立てました。「親指を立てる」というのを取扱説明書並みに細かく描写するとこうなります。「任意の手の親指以外の指を折り畳み、親指を上に向けて立ててその腕を水平に車道側に突き出す。」この指言葉が「あなたの車にタダで乗せてくれませんか」という意味になっているということをほとんどの国民が知っているのが不思議だと思いませんか。僕は思います。ようは親指を立てるだけです。たったこれだけで僕の意図が伝わるなんて。まあ、今回は誰も停まってくれませんでしたけど。歩いてモレーナに向かいました。

看板がありました。手書きですね。

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舗装道路から外れて、林の中の砂利道を進んでいきます。轍に水溜まりができていました。しばらくすると開けた草原と砂利の駐車場、そして家屋が二棟見えてきました。そこで僕は毛足の長い白い大きめの犬に吠えられました。番犬でしょうか。僕がゆっくり歩いて近づくと、犬は静かにしてこちらをじっと見ました。僕たちは見つめあって、しばらくの間見つめ合いました。先に飽きて目をそらしたのは、僕。お店に入りました。

バックパックやホルンケースがお店のものに当たらないように気を付けて一番奥の机へ進みました。店内にはいろんなものがありましたが、覚えているのは、大きい机一面に並べられたノートやスケッチブック、壁に立て掛かけられたギター、CDプレーヤー、テープも流せるラジオ、壁に掛かった絵画、そして新得の農家宇井さん(ゲルを設置している農家)がミュージシャンとして出演するというチラシ。「繋がっているなあ」僕は興奮しました。ふんふん

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(ここからは2021/1/16に書いた)

お客は僕だけでした。主人が話しかけてくれました。「ごめんねえマリオが吠えて。外にいたでしょ」犬のことですね。「車には吠えないんだけど、歩いてくるのは珍しいから。しかもそんな荷物で。旅でもしているのかい」それから僕が何者なのか、ここに来たいきさつ、宇井さんのところにも滞在していたことなど話しました。そして、主人からもいろいろ聞かせてもらいました。いろんな人がお店に来ること、インターネットで自分のことを知っている人が多いこと、あまりにもマナーのなっていない人は出ていってもらったこと(そんなことが2回あった)、下川町には旧駅舎を再利用した無料の宿泊施設があって、いつの日か来た日本を自転車で旅をしている外国の方がそこに泊まったこと。

(そんなすばらしい施設があるなんて・・・。今夜はそこに泊まろう)

と思ったから、「今日はどこに泊まるの」と聞かれたとき「その無料のところに」と答えたら、主人は人差し指を上に向かって差しました。え、意味が分かりません。主人が付け加えました。「2階、泊まってっていいよ」えー本当ですか信じられないまさかこんな展開になろうとは

ということで、モレーナに泊まることになりました。いえーい。もちろん、タダではありません。畑の草取りをしました。ありがたい話です。これが運がよかった話です。

ここで注意しなければならないことは、モレーナは宿泊施設ではないということです。申し込めば誰でも泊まれるという訳ではなく、主人の独断と偏見というやつです。

主人の親戚の夫婦が毎年この時期に下川町に遊びに来るらしいのですが、今日は到着日ということで、モレーナで宴がありました。僕もその輪に交わらせてもらいました。ありがたい話です。親交のあるイラストレーターの方もいました。

翌日の朝、次泊まるところ(西興部の廃校舎を使ってゲストハウスをしているGA.KOPPER)へ「今日泊まれませんか」と急なスマホで電話をしたら、「コロナでいまやっていないんですよね」とまさかの返答。主人「今日もここに泊まってけ」鮮やかな延長。ありがたい話です。主人に通話中のスマホを貸したら、話に華を咲かせていました。

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日中は川へ釣りをしに行きました。下川町に遊びに来ている夫婦の旦那と下川町の釣り名人とでした。川を跨ぐ橋の近くに車を停めて、靴とズボンが繋がった防水の衣を履き、釣竿や餌、針など諸々のものを持って出発です。しばらく下流に向かって普通の舗装道路を歩きました。夏の日差しがまっすぐ刺さります。左手をみると下川町版万里の長城がずーーーーっと続いていました。石には年月日と名前が刻まれていました。面白いことをしますね下川町。

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別の橋が見えてきて「この辺でいいだろう」ということで、舗装道路から外れて川へ進みました。熊笹やイタドリが旺盛に伸びているのを掻き分けて、急な坂をうまく降りて、やっとの思いで川に着きました。涼しいです。ここから上流へ向かって歩いて、魚のいそうなところを見つけたら竿を降ろします。少なくとも2時間は川と竿と向き合いましたが、漁獲高は僕はゼロでした。旦那は十数匹、名人は数十匹。こんなにはっきりと差が出るんですね。いくら経験がほとんどないといっても、ちょっぴり凹みました。けれど、気持ちの動き方はその凹みより名人への感動の方が大きかったです。凹みがお米1粒だとしたら、名人は夕日を浴びてきらきら黄金色に輝く収穫直前の田んぼ1枚並みです。名人の釣りしているところをもっと見ておくべきでした。

夜はモレーナで主人といろんなお話。音楽もまじえて。主人はギターと歌、フラメンコギター。僕はホルン。僕がモーツァルトのホルン協奏曲第二番第一楽章冒頭を吹いたら、主人がギターでアレンジしました。自然と思い浮かんできたそう。今思い返すと、夢だったんじゃないかというような時間でした。

今回はここまで。最後まで読んでくれてありがとうございました。今までで一番長い投稿だと思います。

僕はいま鶴居村にいます。「ツルイの小屋」の旦那にお世話になっています。明日からは鶴居村のお寺「観音寺」に滞在します。最後に、元日にさっぱりした僕の写真を載せて一旦さようなら。続きを書きます。

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