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10年ぶりのソウル(1)

WOWPASSと青瓦台

 司馬遼太郎の影響で学生時代から韓国に興味を持っていた私が家内と二人で30数年前に初めて実際の韓国の土を踏んで以来、ソウルに来たのは今回が8回目、「冬ソナ」以来の韓流ファンである家内はその倍くらいは来ているソウルですが、なんと前回から10年も間があいてしまいました。たとえば東京がそうであるように、10年も経てば大都市の様子はずいぶん変わっているはずです。今回はそんなソウルの変貌ぶりを確かめるための旅でした。8月の終わりから9月の初旬にかけて、私たち夫婦は関空と金浦空港を往復する4泊5日のソウル旅行に行ってきました。35度を超える酷暑の大阪から行ったソウルは日中でも30度を超えることがない快適な気候でした。その旅のレポートをこれから4回に分けてお届けします。

 まずは、韓国に旅行する人たちの間で最近話題の"W0WPASS"の話題から。金浦空港に到着した私たちは、A'REX(空港鉄道)と地下鉄を乗り継いで、今回の宿泊ホテルがある明洞に向かいました。電車に乗る前にまずした事は、過去の韓国旅行中に購入して日本から持ってきたT-moneyカードに、空港で両替してあったウォンをチャージすることでした。T-moneyは、日本のsuicaやicocaと同じような交通カードです。私たちのように、ソウルの地下鉄やバスに乗りまくる観光客には必須のアイテムです。でも、私たちの近くで、ほとんどが女性の日本人観光客が集まっていたのは、WOWPASS専用の自動両替機の方でした。WOWPASSカードの特長は、両替機能があるので、日本円を含む外貨でチャージできることです。レストランやショップでキャッシュレス決済ができるうえに、T-moneyの機能ももっているという万能カードです。私たちも旅行前に昨年からサービスが始まったというこのカードのことを知っていましたが、先に韓国に行った家内の知人から必要なかったと聞いていたので、今回はT-moneyだけで充分だと思っていました。 (注)WOWPASSをT-moneyとしても使う場合は、別にウォンでチャージする必要があります。

WOWPASS両替機の前に並ぶ人々(地下鉄金浦駅で)

 明洞にある日系の「ソラリア西鉄ホテル明洞」が今回のホテルでした。その目の前に、昔から観光客に人気の店「明洞餃子」があったので、機内食を食べなかった私たちは昼食と夕食兼用でここで食事をする事にしました。久しぶりだったので、ここが前金制だったことを忘れていて、家内があわててお金を出しました。でも店内を見てみると、客のほとんどは注文と同時に赤いカードを出しています。それで決済している。そのカードがWOWPASSでした。食事を終えた私たちは、すぐにホテルのフロントに行きました。そこにWOWPASS自動両替機が置いてあったからです。ここにも日本人らしい女性達が列をつくっていて、しばらく並んでからやっとWOWPASSを手に入れました。両替機にパスポートの情報を読み込ませて日本円を投入すると、ウォンを現金で受け取るかWOWPASSで受け取るか選択できます。そのようにして日本円で2万円分をチャージしたカードを手に入れました。もっとも、これらの作業をしたのは家内で、私は横で見ていただけでしたが。今回の旅行に関する全ての会計責任者は家内でしたから。

明洞餃子

 その後で、少し小雨が降っていましたが、10年ぶりのソウルの街歩きを楽しむことにしました。明洞はコロナ禍の試練を経て、海外からの観光客も多くて、かなり以前の賑わいを取り戻していました。私たちは明洞から、ここは10年前と少しも変わっていない地下商店街を抜けて、ソウル広場へ向かいました。巨大な波のような形をしたガラスのソウル市庁舎の前に、植民地時代の数少ない遺産建築である、今は図書館になっている旧市庁舎があります。そこに日本では終戦記念日にあたる光復節の名残だと思われる看板が掲げられていました。あなたは韓国近現代史上の人物の名前を知っていますかという看板です。建物の前に、昨年の「梨泰院惨事」の犠牲者たちを悼む献花台のテントがありました。10年前、ここには「セウォル号事件」の犠牲者を悼む同じような施設があって、黄色いリボンで溢れていたことを思い出しました。当時、庁舎には「最後の一人まで」という看板が掲げられていました。まだ行方不明の生徒が何人もいたのです。ここで梨泰院の犠牲者たちに拝礼した後、私たちはホテルに戻ることにしました。途中、ロッテ・デパート地下の喫茶店で休憩しました。家内は支払いにWOWPASSを出しましたが、使えないと言われて現金で支払いました。どの店でも使えるわけじゃないんだなと思いました。

梨泰院の犠牲者を悼む施設

 翌日、かつての大統領官邸で、今は内外の観光客に開放されている青瓦台を見物しました。その後、向かいの景福宮内にある「民俗学博物館」で休憩しました。売店でカフェラテを注文して、支払いをWOWPASSでしようとしましたが、今度ははっきりと、このカードは使えないと言われました。普通は使えるけれど、このカードは使えないということのようでした。日本円で2万円もチャージしたのに、使えないとなると大変です。私たちは急いでホテルに戻ることにしました。とにかく、ホテルのカウンターで事情を話して一緒に対処法を考えてもらおう。どこかの駅ではなく、ホテルでWOWPASSを購入したのは、相談相手がいるということで幸いでした。

 ホテルに戻って事情を話すと、カウンターの女性はすぐにWOWPASSの発行元に電話してくれました。彼女に指示されて家内が電話口に出ると、相手は日本語がわかる担当者でした。ここでパスポート番号とカード番号を家内が伝えると、確認できたから、30分後にカードが使えるようになると言われました。ほっとしました。どうやらカードは無駄にはならなかったようです。それにしても、このカードは遠隔操作でお金の出し入れが出来るんですね。どういう仕組みなんでしょう。いずれにしても、無事にお金が戻ってよかった。後で調べたら、どうやらこのカードは有効化ができていなかったようです。でも、両替した時の元データが残っていたので、ちゃんと復元できたというわけです。そういえば、家内がWOWPASS両替機で作業していた時、順番を待っていた女性が、カードが奥まで入っていませんよと注意してくれたことを思い出しました。でも、領収書が出てきたので、ちゃんとチャージできたと思っていたのです。そんな「大事件」の後、私たちはWOWPASSを大いに利用しました。それ以後入ったどの店でもWOWPASSを使うことができて、これは便利だと実感しました。これからの韓国旅行には必須のアイテムだと納得しました。以上、これから韓国を旅行する人たちの参考になるかと、まず最初にこのエピソードを紹介しました。

「大事件」があった家内のWOWPASS

 余談になりますが、最近、国際クレジットカードのタッチ機能が注目されています。日本では、海外からの観光客に向けてのサービスとして、これで改札を通れるようにした鉄道会社も出てきました。JR東日本はこの動きに反対で、なぜならsuicaと較べて反応スピードが0.1秒だったか遅いので、改札での渋滞につながるからというものでした。でも交通カードとして使うのは難しくても、ショッピングに使うことはできます。ということは、今回、WOWPASSはとても便利だと実感しましたが、これからはタッチ決済のできるクレジットカードがあれば、いちいち両替しなくても、世界中どこでもキャッシュレス決済が出来るようになるということです。日本でもWOWPASSを導入せよという声があがった場合の反論の材料になるかもしれません。まあ、高齢者への配慮なのか、マイナンバーカードには反対だし、いつまでも現金決済がなくならない日本は、世界では周回おくれのランナーであるわけですが。

 ついでに書いておくと、マイナカードを含めて、これらのカードはたぶん全てが将来スマホと一体化することになると思います。今回の旅行で私たち夫婦が10年前と違っていたのは二人ともすっかりスマホ中毒になっていたことでした。手元にスマホがないと不安で仕方がない。そういうわけで、今回のソウル旅行にはwi-fiルータを持っていかないといけないかなと思っていましたが、家内の友人から良いことを教えてもらいました。私たちはUQと契約していますが、その親会社であるAUの「世界データ定額」というサービスを使えば、ルータなしで、安価で国内と同じようにスマホを使えるというのです。アプリを入れ、事前予約して、今回の旅行でそのサービスを利用しました。とても便利でした。まったく日本にいる時と変わりません。逆に、せっかく海外にいるのに、スマホの中は全くの日本だというのは果たして良いことなのかどうかという疑問さえ湧いてきました。でも、限りなく便利を追求してきたのが人間の歴史だから、これはこれで仕方ないことなのかな。

 次は、先ほど書いた「青瓦台」の話を。現職の大統領であるユン・ソンニョル氏が権威主義の象徴であったと、海外の観光客を含めた一般国民に旧大統領官邸を開放しました。北岳山の麓にあるこの青瓦台を見物するのが、私の今回の旅行での大きな目的でした。英語では「ブルーハウス」と呼ばれるこの建物は、まさに韓国の「ホワイトハウス」でした。そんな建物を見物できるのですから、歴史が好きで建築ファンでもある私は朝からワクワクしながら現地に向かいました。地下鉄の景福宮駅前から30分に1本シャトルバスが出ているということでしたが、私たちが着いた時にはちょうど出発した後で、徒歩で10分くらいだと言うので歩くことにしました。景福宮の石塀ぞいの街路は散歩にぴったりでした。

 青瓦台に着いて玄関の方に歩いていくと、案内所らしきテントの中から「予約は?」という声が聞こえて来ました。韓国語ですが、日本語の「予約」と発音がほとんど同じなのですぐに意味がわかりました。予約はないと答えました。私たちが外国人だとわかるとパスポートを見せるように言われ、見せると、手首に巻く、バーコードを印刷した入館証のようなものをくれました。その入館証で館内に入ることができました。よく手入れされた美しい芝生広場の向こうに白亜の建物が見えました。洋風建築に東洋風の屋根。屋根が青瓦で葺かれていて、それが建物の名前の由来になりました。

海外からの観光客も多くが韓服を着ています

 内部に入りました。かつては韓国政治の中枢部だった空間が、今では博物館のようになっていました。それにしても簡素ながらも豪華な空間です。木材も石材も、すべてが第一級の材料で造られていることがすぐに分かりました。それぞれがかなりの広さがある、いくつもの部屋に分かれていました。二階にある、青瓦台の核心的部分である大統領の執務室を含めて、そのほとんど全ての見学が可能でした。一階の部屋では、かつてのこの官邸の主人達、歴代韓国大統領の写真やゆかりの品々が展示されていました。かつて、神戸大学の木村幹教授の「韓国現代史」を読んだことがあります。李承晩から李明博までの歴代大統領の個人史と韓国の戦後史をからめて記述した、とても興味深い本でした。今ではかなり記憶が薄くなっていますが、そうした展示の数々を見ながら、その本の事を思い出しました。それぞれの大統領の青瓦台におけるありし日の姿を想像するのは楽しい時間でした。特に、ともに大統領になった朴正熙と朴槿恵の父娘にとって、この建物で過ごした日々はどんなものだったのか、想像がどんどん拡がって興味が尽きませんでした。


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