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神須屋通信 #13

令和3年11月 日本列島コロナ小康

1101(月)
●車に粗大ゴミを積み込んで、午後、清掃工場へ持ち込んだ。
●夕食前に、10月分の神須屋通信を修正して、noteに投稿した。投稿してから、日記の日付が11月になっていたことに気づいた。修正の方法がわからない。
●大阪のコロナ感染者、なんと一桁になった。東京も含めて、全国の都道府県が一桁の新規感染者。どうなっているんだろう。日本では、ウイルスが変異してしまったのか。専門家も原因はわからないそうだ。
●世間の話題は、衆院選の結果について。自民党は実質勝利だが、小選挙区で敗退した甘利幹事長が辞任、後任は茂木外相。事情通によると、外相の後任は、岸田首相の派閥で今回衆院に鞍替えした、林さんになるらしい。これで岸田政権盤石。選挙に負けた立憲民主党では、どんな動きになるんだろう。

1102(火)     
●天王寺に出る。ハルカスのジュンク堂書店を経て、中国語教室。全員出席。
●井上章一+本郷和人「日本史のミカタ」読了。建築史の専門家である井上さんがこんなに歴史に詳しいとは知らなかった。井上流京都史観vs.本郷流関東史観の対決。本郷さんもタジタジの場面もあって、とても面白かった。素人ならではの大胆さと視野の広さが井上さんの美点。
●敗退した立憲民主の枝野代表が辞意を表明。替わりはいるのだろうか。今回は、小選挙区では共闘の成果が出たけれど、比例区で大幅に議席を減らした。要は、政党としてのブランド力がないということだろう。地方議員の数に表れる、足腰の弱さは言うまでもないが、代表のイメージは大事だ。枝野さんは生真面目すぎて人間としての面白みがなかった。つまり、華がなかった。

1104(木)
●prime videoで、クレイグ版007シリーズの撮影裏話をまとめたイギリスのドキュメンタリーがあったので見る。新しくボンド役に決まったクレイグが当初は不評で、それが、撮影中のパパラッチによる水着姿の逞しい肉体美がショーン・コネリーを思わせて、一気にイメージが上がったという話が面白かった。これは、第一作公開前の話。もちろん、第一作「カジノロワイヤル」は大ヒットした。
●井上章一+佐藤賢一「世界史のミカタ」読了。さすがに世界史を新書一冊でカバーするのは難しいが、斬新な視座の提供という点では十分な面白さだった。将来、日本がイスラム化されるかもしれないという話にはドキドキする。
●新庄が日本ハムの監督に就任した。一週間程前に、この話を聞いた時にはまさかと思ったし、本当らしいとわかった時には、日本ハムは勝負より興業を選んだのかと思ったが、よくよく考えると、新庄監督は悪くないアイデアかもしれない。世間の注目が美人をつくるように、日本ハムも再び輝き始めるかもしれないから。

1105(金)
●午前中、家内に車で送ってもらって、貝塚市の関西自動車学院へ。二ヶ月前に予約してあった、高齢者講習を受講するため。参加者は70歳以上74歳以下の8名。二組に分かれて、実習と講習。私は、最初に実習する組になった。さらに二人ずつに分かれた。最初の二人が終わって、いよいよ私たち二人の番になった。私がはじめに運転席に。何十年ぶりかの教習所での、慣れない車種での運転。隣に教官が座っていて、とても緊張した。一時停止の注意を受けたほかは、なんとか課題をこなしてほっとする。テストではないので、落第の心配はなかったわけだが。
●実習の後、高齢者講習の仕組みなどについて講義があったが、交通法規などについての講習はなかった。そのかわり、視野や動体視力をはかってくれた。眼鏡は0.8~1.0くらいに調整しているのだが、動体視力は0.2だった。年齢としては、やや劣っているらしい。注意しないといけない。というわけで、無事に修了証明書をもらった。
●中根千枝さん死去。94歳。その著書「タテ社会の人間関係」は、人類学という学問の面白さを初めて教えてくれた本だった。また、中根さんは初めての女性東大教授だった。現在、東大に女性教授は何人いるんだろう。

1107(日)
●午前中、半月ぶりのスロージョギング約30分。晴天。まだ暖かい。
●阪神は巨人に連敗して、CS敗退。負け惜しみではなく、CSは必要ないと思う。リーグの覇者がそのまま日本シリーズへ行くべきだ。アメリカの真似をする必要はない。
●夜は、「青天を衝け」と「王女ピョンガン」を見る。どちらも面白い。

1111(木)
●瀬戸内寂聴さんが一昨日なくなっていたことがわかった。99歳。大往生だろう。この年齢で、死の直前まで現役の作家だった。人生こうありたいものだ。私は瀬戸内さんの良い読者ではなく、小説で読んだのは谷崎賞を受賞した「花に問え」くらいだが、横尾忠則さんが素晴らしい挿絵を描いた「奇縁まんだら」は単行本を買って愛読している。これは、瀬戸内さんが親交のあった文人らを回顧したエッセーを数冊にまとめたもので、どれもとても面白い。瀬戸内さんは貴重な歴史の語り部でもあった。徳島に旅行した時に文学館をおとずれ、当地での瀬戸内さんの存在の大きさを改めて実感したものだ。ご冥福を祈る。
●丸橋充拓「江南の発展」読了。岩波新書の中国史シリーズの中で、特に評価の高かった一冊。「はじめに」と「あとがき」に、丸橋さんのこの小書に書ける熱意のようなものが伝わってきた。素晴らしい仕事だと思う。中国の多様な歴史について、いろいろと蒙を啓かれた。

1112(金)
●セパ同じような展開で、セリーグはヤクルト、パリーグはオリックスが一敗もせずに日本シリーズに進出が決まった。下剋上などがなくてよかった。先日も書いたが、リーグ・チャンピオンが日本シリーズを戦うべきである。それにしても、過去2年間最下位だったチーム同士の日本シリーズなど、前代未聞だろう。

1113(土)
●藤井聡太くんが4連勝で竜王位を獲得して、史上最年少19歳で四冠になった。もう人間界に敵はない。彼とコンピュータの対戦を見てみたい気がするが、まあ、やらない方がいいだろう。

1114(日)
●午前中、スロージョギング約50分。絶好のランニング日和。
●小室夫婦がニューヨークに出国した。日本のメディアは最後の?大騒ぎ。

1116(火)
●午後、大阪駅から環状線で大阪城駅へ。ほぼ2年ぶりに大阪城公園を散歩。秋景色。紅葉はないので単調だが、落葉を踏みしめて歩くのが気持ちよかった。よみうりテレビの新社屋も初めて近くで見た。
●森ノ宮駅から天王寺へ。ジュンク堂横の喫茶店で休憩。その後、中国語教室。全員出席。
● Delia Owens"Where the Crawdads Sing"読了。日本語題名は「ザリガニが鳴くところ」。ザリガニという言葉のひびきはよくないが、詩的な文章の小説だった。この小説は「このミス」ベストテンの2位、本屋大賞では海外部門で1位となって、日本でもベストセラーになった。確かに、よく書けたミステリには違いないが、ノースカロライナの沼沢地帯という、日本ではなじみのない風物を舞台にした詩情豊かな教養小説であり、自然賛歌の叙情詩であり、ボーイ・ミーツ・ガールの恋物語でもあって、別にミステリ仕立てにしなくても、立派な作品になったと思う。著者は高名な動物学者で、この小説は70歳に近くなって初めて書いたものだという。たぶん、ミステリファンだったから、ミステリ仕立てにしたのだろう。

1118(木)
●午後、「日本沈没」など、録画してあったテレビ番組を見た。NHK衛星の「すこぶるアガるビル」という番組が東京のいくつかのビル建築の見所を紹介する番組で、建築ファンの私にとっても、予想外に面白かった。シリーズになるといいな。

1119(金)
●大谷翔平くんが満票でMVPに選ばれたと伝える朝のワイドショーで、読書家でもある大谷選手が中村天風を読んでいるという話をきいて、中村天風著「運命を拓く」をkindleで購入した。良い年齢をして、ミーハーなことである。さっそく読んでみると、その前書きに天風小伝が書かれていたが、なんとも驚くべき生涯だ。これは楽しみな読書になりそうな予感がする。
●今夜は、ほぼ皆既月食だという部分月食を見ることができた。ほんものの皆既月食よりも、珍しいのだそうだ。

1120(土)
●紅葉狩りなら京都へ行きたいところだが、まだ混雑を避けたいと家内が言うので、またまた奈良へ行くことになった。JR奈良駅に着いてまず目についたのは、駅前に建設中の新しいビル。一目見て、隈研吾設計だとわかる。帰宅後確認すると、工作機械大手の森精機の研究所の建物だった。奈良市がビジネスの面でも発展するのは大歓迎だ。
●さすがに、コロナ禍の最中の頃よりは人出が増えた三条通を歩く。ちょっと前に来たばかりの中川政七商店の「鹿猿狐ビルヂング」に寄ったりして時間調整してから、予約してあった「菊水楼」へ。この日は結婚披露宴があるとかで、いつもの(といっても数回して来ていないが)大広間ではなく、初めて入った小さな部屋へ通された。ここも先日入った横浜のニューグランドと同じような寺院風のクラシックな内装の部屋だった。和食の昼膳コースは、さすがに凝ったものだった。糖尿病の私は全てを賞することはできないが、美味だった。でも、私よりも料理の味がわかる家内によると、「ふふ奈良」の料理やサービスの方が、ずっと上だったらしい。
●昼食の後、奈良公園内を散策して、秋景色を堪能した。浮御堂にも行って、先日泊まった「ふふ奈良」の食事棟の建物も塀越しに眺めた。これも隈研吾設計。
●実は、出かける時には目的ではなかったのだが、興福寺の国宝五重塔内部が特別に公開されているを知ったので、見物することにした。拝観料一人千円。藤原不比等が創建した塔は、その後、焼失と再建をくりかえし、現在の塔は15世紀のものらしいのだが、来年から10年間ほどをかけて、120年ぶりに大規模修理をすることになった。今回の特別拝観は、そのための寄金集めの目的もあった。改修期間を考えると、この五重塔内部を見るのは、私にとっては、今回が最初で最後かもしれない。というわけで、大勢の人の列に並んで、この目ではっきりと内部を確かめていた。四本の柱の中心には太い心柱があり、四本柱の間には、釈迦、弥勒、薬師、阿弥陀の仏様たちがそれぞれ脇侍を従えて、しっかりと塔を守っていた。素晴らしい空間だった。
●興福寺を後にして、再び、猿沢池近くの中川政七商店へ。先日訪れた時はガラガラだった猿田彦珈琲が今日は満員だった。それでもなんとか席が確保できたので、カフェオレを飲んでから帰途についた。
夕食は、天王寺に戻ってから、ハルカス地下の「がんこ寿司」で。
●帰宅後、日本シリーズの第一戦を見た。私は関西人なので、オリックスを応援しているが、オリックスが1点先行された時点で、悪い予感がして、見るのをやめた。でも、その後にドラマがあったんですね。オリックス、劇的な逆転サヨナラ勝利。野球も人生も、何が起こるかわからない。
●日本シリーズの替わりに「ブラタモリ」を見た。録画をセットしてあったがリアルタイムで見たのである。今回のテーマは糸魚川市からフォッサマグナについて。タモリも言っていたが、私はフォッサマグナについて大きな思い違いをしていた。その誤りを正してくれただけでも、今回の「ブラタモリ」は、いつものことながら、素晴らしい放送だった。

1121(日)
●森見登美彦「熱帯」読了。「千一夜物語」をめぐる、想像力の極限をさぐるファンタジー小説の傑作。かつての幻想小説においては、哲学的あるいは詩的言語の多用による難解な文体による作品が多かったが、森見さんの小説は、簡明で平易にして的確な描写で記されているところが素晴らしい。若い人たちに支持されたのも当然である。うらやましくなるような才能。

1125(木)
●ほぼ2年ぶりの同窓会旅行。今回の幹事は私だった。待ち合わせ場所の阪急池田駅からNくんの車で、能勢にある彼の生家へ。大学時代にみんなで遊んだ思い出の地であり、同窓会でも秋に焼き芋をしたことがある。今回は、コンビニ弁当とNくんが淹れてくれた珈琲で昼食。盛りは少し過ぎていたが、紅葉、黄葉が竹林にはえて美しい景色だった。いつもながら、ここが大阪府内だとはとても思えない。庭の柚子の大樹に数え切れないくらい実がなっていて、お土産にみんに五つずつ柚子をもらった。
●能勢を出て京都府亀岡市へ。今回の旅行は幹事の私ではなく、地元を知るNくんに道案内を全ておまかせ。まずは出雲大神宮へ行った。この神社のことは知らなかったが、丹波一宮だそうだ。あまり大きい神社ではないが由緒があり、紅葉の名所のようで、参拝客が大勢いた。ここを参拝し、紅葉を愛でたあと、亀岡駅のすぐ横に昨年出来た、サッカーJ2(来年からJ1に復帰)京都サンガの立派なホームスタジアムを見物した後、すぐ横にある保津川下りの出発地点を見た。寒いし、てっきりシーズンオフだと思っていたら、ちゃんと営業していた。それにしても、船はかなり大勢が一度に乗船していて、かなりの密。コロナの最盛期はどうしていたんだろう。休業だったのかな。
●その後、亀山城址へ。光秀ゆかりの城だが、現在は大本教が所有していて、一部分しか公開されていない。拝観料は一人300円。しかし、静かにゆっくりと紅葉狩りをしたいのなら、ここは穴場だった。石垣と紅葉のコントラストが素晴らしい景観をつくっていた。天守閣の跡地が見られなかったのは残念だったが。
●大本教の事務所受付でもらったリーフレットによると、丹波亀山城は、明智光秀が丹波攻略の拠点として1577年に築城した。徳川期には天下普請によって大規模な修築がされたが、明治の廃城令によって全てが払い下げられ、遺構や石垣まで切り売りされたという。それを憂いた、大本教の教祖、出口王仁三郎が亀山城址を買い取り、信徒を動員して石垣を復元した。
●城址から出て、市役所近くの珈琲豆販売店兼喫茶店で休憩。一人だけカフェオレを注文したのが大失敗。なんと、砂糖がはいっていた。糖尿病の私は当然飲めない。それにしても、いまどき、カフェオレに砂糖を入れて出すとは、専門店なのに。
●この夜の宿泊ホテルは、私が予約した、亀岡湯ノ花温泉の「渓山閣」。万事節約を旨とする私たちの同窓会旅行では最も贅沢な旅館だった。事前に、旅館側から、小学校の修学旅行の生徒が泊まるので、大浴場が貸切になる時間があると聞いていたし、駐車場には大型バスが5台も駐まっていたのだが、旅館内で子供たちと出会う事は一度もなかった。騒ぐ声も聞こえず。ホテルが広いせいなのか、子供たちが大人しかったからなのか。いずれにしても、5時前に旅館に着いてすぐ、子供たちが風呂に入るという7時までに入浴しておくことにした。大浴場は地下。当然、眺望はないが、広々とした浴槽は気持ちよかった。
●この旅館は「もてなし料理」が売り物だという。昔ながらの団体客用の旅館だが、コロナが小康状態の今が稼ぎどきだろう。料理は普通だったが、品数が多く、味もまずまず。席についた時、料理の上にホコリよけの紙がかけられていて、その紙には明智光秀の肖像画(原画はどういうわけか、私の地元の岸和田市のお寺が所蔵している)が印刷されていた。さすがに地元。昨年の大河ドラマ「麒麟がくる」による来客増をみこんだものだったのか、昔からこうだったのかは知らない。
●コロナ禍のため、2年ぶりの同窓会で、池田駅で集合した時からずっと、車中やNくん旧宅で、四方山話をしていたのだが、夕食後、部屋に戻ってからは、テレビで日本シリーズ観戦。普段は阪神タイガースの話題ばかりだが、この夜は、オリックスを全員が応援。オリックスは、ヤクルトに王手をかけられ、この試合を落とすと敗戦が決まる。試合は、一時、5-2となって、これで勝利間違いなしと思ったのに、3ランで同点にされて敗色濃厚。でも、最後はアンパイヤの微妙な判定のおかげもあって、なんとか勝利した。これで神戸に戻れる。というわけで、満足して早めに眠りについた。

1126(金)
●朝、渓山閣を出て、京都縦貫道を走って福知山城へ。その途中、道の駅「京丹波 味夢の里」に立ち寄った。大規模な施設で、ここ自体が観光地でもあるようだ。多くの車と観光バスが駐車していた。この道の駅の隣に、「塩谷古墳公園」があって、Nくんの案内で見物した。ここは、貴重な巫女型埴輪が出土したことで、考古学ファンには有名な古墳群なのだそうだ。古墳ひとつずつは小規模。5、6世紀のものだという。
●福知山城もまた明智光秀ゆかりの城。昨年、「麒麟がくる」で何度も紹介された。天守閣はあまり大規模ではないが、美しく再建されていて、大阪城と同じく、内部は博物館のようになっていた。ここには、20年以上前に母親と家内の三人で来たことがあるが、当時よりもさらに美しくなっているような気がする。天守閣内の一角に、かつて将棋の竜王戦が行われたという狭い部屋があって、当時の羽生竜王らの写真が飾られていた。
●天守閣内の展示資料によると、光秀の丹波攻略は簡単なものではなかったようだ。かなり時間もかかっている。亀山城と福知山城は、丹波国の東西の両端にあって、それ以外にも丹波国内に多くの城があった。城ごとに地元の領主(国人衆)がいたということだから、丹波攻略は大変な事業だったのだ。それだけに、信長から丹波一国を与えられた時は、光秀には大いなる達成感があったことだろう。光秀が信長を討ったのは、ひょっとして、この丹波を取り上げられそうになったからではないかと妄想をいだいた。
●福知山城観光客のための駐車場の隣に、オシャレな店がいくつも並んでいた。コロナ禍がなければ、昨年の大河ドラマ「麒麟がくる」の効果で、多くの観光客がやってきていたに違いない。私たちは、これらの店の中の「魚福」という店でおいしい海鮮丼を食べ、その隣の「城の下で」という名前のランチとカフェの洒落た店で珈琲を飲み。最後は、今回の旅行ですっかりお世話になったN君に、阪急川西駅まで送ってもらって、2年ぶりの同窓会旅行を無事に終えた。次回の旅行は、このままコロナが大人しくしていてくれたら、来年の春、鳥取に行くことになった。

1127(土)
●大相撲九州場所は照ノ富士が優勝を決めた。新横綱からの連勝は、大鵬以来らしい。白鵬もできなかった。(結局、照ノ富士は全勝優勝。) 
●神戸に戻った日本シリーズは、ヤクルトが延長戦を征して20年ぶりの日本一。オリックスは残念だった。ヤクルトの投手陣が予想以上に素晴らしかった。専門家は中村捕手のリードを褒めるが、監督の采配の力でもあるだろう。私は、あの渓山閣の夜以外は、ほとんど見なかったのだが、まれにみる良い日本シリーズだったというのが、多くの野球ファンの評価のようだ。

1128(日)
●朝、スロージョギング約45分。帰宅後、近所で火事があった。この町内に越してきて30年にして初めての経験。家内や近所の人たちと一緒に野次馬をした。10メートルほど近くで消火作業を目撃したのは初めて。幸い、屋根が落ちることはなかったが、そのお宅の二階の部屋は全焼した。
     
1129(月)
●世界中で日本だけ(中国も?)がコロナ禍を克服したような状況だったのだが、急激に新型コロナの変異株、オミクロンが話題になっている。最初に発見されたのは南アフリカだが、すでに世界に拡がっているようで、日本も明日から全世界からの入国を禁止することになった。前政権とは違った、思い切った決断。

1130(火)
●午後、日産のディーラーへ行って、新しいLEAFを受け取った。いろいろ説明をきいたり手続きをしていて、かなり時間がかかった。屋根が黒く車体が真っ赤なツートンカラーのリーフ。半導体不足の影響で、二ヶ月待ちの車がようやく自分たちのものになった。8年間乗ったリーフには、今日でお別れ。年金生活者には高価な買い物だが、走行距離が倍以上に伸びるのはうれしい。世界がEV車にシフトする中で、我が家がEV車を導入したのは早かった。でも、この8年間、国内での普及はほとんど進まなかったように思う。その流れは今後変わるのかどうか。その鍵は、トヨタが握っている。
●立憲民主党の新党首は、泉健太氏に決まった。まずは、お手並み拝見。日本ハムの新庄新監督なみの派手なデビューは必要ないけれど、なんらかのアピールは必要。地道な日常活動はもっと必要。
●北村薫「小萩のかんざし」読了。ご父君の残した青春時代の日記を素材に、著者の「ファミリーヒストリー」を描くとともに、それを越えて、昭和の社会文化史の一断面を描いた、著者のライフワーク「いとま申して」の最終巻。本の厚さも含めて、この巻が三部作の核心だと思う。著者の父親が慶應大学の国文科大学院で学業に励みながらも、まったく就職のあてがなく、絶望的な生活を送るところは、現代のポスドクの人たちの絶大な共感を集めるだろう。でも、この巻の主人公は、誰よりも、父親の師であった折口信夫である。すでに汗牛充棟の折口信夫関連文献の膨大な集積に、また新たに一つの個性的で貴重な資料が加わった。折口信夫とそれをとりまく人物群像の複雑な交流を描いて、それぞれの性格を明らかにする手さばきは、さすがに博識な文学探偵でもあるミステリ作家、北村さんならではだ。それにしても、北村さんのご父君に対する敬愛の思いの深さには心が打たれる。ご父君はついに、師折口信夫の後継者とはなれなかったが、自身の子息を愛弟子として持つことができた。幸福な父子関係だと思う。この三部作は、北杜夫さんが父斉藤茂吉を描いた四部作に匹敵する文学的成果だ。まさにライフワーク。なお、折口信夫といえば、私が敬愛する丸谷才一さんのエピソードを思い出す。書店の店頭で「折口学入門」というビラ見て、喜び勇んで本を手に取れば、それは「哲学入門」だったという話。折口信夫とは、当時、そういう存在だったのだ。天才ゆえの複雑で奇怪でさえある折口信夫を、「小萩のかんざし」という題名が見事に表している。さすが北村薫。この題名の意味は、この小説を最後まで読めばわかる。


     
     

      

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