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神須屋通信 #15

フェリー 大分の旅(臼杵と別府鉄輪温泉) 

0101(土)曇

●朝は、数ヶ月前に買ってあった赤ワインで乾杯。生協で買ったおせちと数の子と雑煮。年賀状は20通ほど。今年は喪中で年賀状を出さなかったので、代わりに寒中見舞いを出す。●昼前に、例年通り、近所の土生神社で初詣。寅の絵馬がついた破魔矢をいただく。帰りに、兄の家によって新年の挨拶。娘一家は、オミクロン株もあるが、長女が中学受験なので来ず。老人一人のお正月。●今年は、元旦恒例の天皇杯サッカーがないので、見る番組がなかった。結局見たのは、衛星を含めたNHKの番組ばかり。今年こそテレビ離れしなくては。

0102(日)晴

●今日も寒い一日。朝から、恒例の箱根駅伝。第3区が始まったところまで見た。昼前に家を出て、大阪駅から神戸駅。土生神社以外での今年の初詣は、この2年間一度も行かなかった神戸の街を見たいと思い、初めて行く湊川神社を選んだ。湊川神社は、明治以降に創設された楠木正成を祭る神社だが、明治神宮や橿原神宮よりもかなり規模が小さく、社殿がコンクリートで有難みがなかった。●神社周辺に適当な店がなく、結局、昼食は三宮に戻ってから。それも、地下街でやっと見つけたてんぷら屋で食べた。食後、神戸の街を散策。安藤忠雄さんが神戸にも寄付した「こども本の森」、第一突堤にできたアクアリウム、阪急三宮駅の高層ビル、等々を見ることができた。●帰宅後、箱根駅伝のハイライトを見る。往路優勝は青山学院だった。1年生が活躍したのはさすが。

0105(水)曇

●今年最初のコナミスポーツ。日常生活が戻ってきた感じがした。●昨日、コロナ感染者が久しぶりに1000人を越えたと聞いたのが、今日は2000人を越えたという。そろそろ第6波襲来か。アメリカでは1日100万人というから、桁が違いすぎるのだが。来るにしても、これが最後の波になってもらいたいものだ。

0106(木)曇

●amazon primeで、「鬼滅の刃 遊郭編」のつづきを見る。●その後、kindleの読書。例によって、小説内小説が始まった。驚嘆すべき面白さ。さすが、ホロヴィッツ。●コロナ感染者、なんと今日は4000人を越えた。なんというスピード。確実に第6波。ブースター接種を急がないといけない。岸田首相の指導力の問題。

0107(金)晴

●茶屋町の白山眼鏡で検眼してもらい、新しいレンズを注文した。検眼の結果、近視は進んでいないが遠視が進んでいて、レンズと視力が合わなくなっていたということだった。だから、新しいレンズは度数を下げる。今の眼鏡では、確かに運転免許はぎりぎりだという。もっと早く気がつくべきだった。毎年の人間ドックでは注意されなかったのだから仕方ないのだが。●今日の感染者は6000人を越えた。大変なスピード。9日から、沖縄、山口、広島に「まん防」が発令される。これらの地域はいずれも米軍基地のあるところ。今回の感染の発生地は米軍基地。

0108(土)晴

●71回目の誕生日。デヴィッド・ボウイも同じ誕生日。プレスリーも金正恩も?誕生日だからといって、いまさら一年の計画を立てるような年齢ではないが、一応、それらしいことを書いておくと、今年こそは、10年間も勉強していて初級レベルを越えられない中国語を、なんとか中級レベルにしたい。それと、構想中の短編小説を二つ、(それぞれ、中国の周作人と李氏朝鮮の申叔舟を主人公にしたもの)を書きたい。そして何よりも、今年一年を元気に過ごして、出来れば海外旅行をしたいと思う。それにはコロナに収まってもらわないと。現在のところ、欧米諸国は大変な状況だし、日本は第6波に入りかけている。オミクロン株の感染力は強力だ。重症化率が低そうだということだけが希望。でも、私には糖尿病という基礎疾患があるから油断できない。●シドニー・ポワチエ死去。94歳。黒人初のアカデミー主演男優賞。「夜の大捜査線」が好きだった。

0109(日)曇

●ANTHONY HOROWITZ "Moonflower Murders"読了。4年連続の海外ミステリベスト1。だから、4年連続で年頭最初に読む本(kindleだが)に選んだ。この「ヨルガオ殺人事件」は、"Magpie Murders"「カササギ殺人事件」の続編。前作と同じく、小説内の事件と現実の事件(どちらも小説なのだが)が交錯する。日本語版では上下2巻になっているように、一作で二作分が楽しめた。ホロヴィッツの圧倒的な名人芸については、いまさら言うまでもない。今回も完全に脱帽した。これほどサービス精神に満ちたミステリは他にない。●夜は、今夜から始まった「鎌倉殿の13人」と「王女ピョンガン」。前者、さすが三谷脚本。まったく新しい頼朝と政子像だった。キャスティングの妙もある。小栗旬の若き義時も魅力的。ますます今後の展開に期待が高まった。

0112(水)曇

●夕方、フェリーで行く別府2泊3日の旅に出発。何年ぶりかの阪神高速で、午後4時過ぎに南港ATCにある「さんふらわー」のフェリーターミナルに着いた。手続きを終えたが、出港は夜7時、車両の乗船は6時からなので、それまでの間、これもずいぶん久しぶりに、ATCの内部を見物した。コロナ以前から寂れつつあったが、いよいよ寂れている印象。平日の夕方という時間帯のせいもあるだろうが、閉店している店も多かった。●「さんふらわあ あいぼり」は定刻に出航。予約してあったデラックスルームに荷物を置いてすぐに、船内のレストランへ。ここで夕食バイキングを食べた。ビニール手袋をして料理を各自皿にとる。料理の種類も味もまあまあ。客は少なかったので、コロナ感染を気にしなくてもよかった。●食後、部屋でテレビを見ながら少し休憩。明石海峡大橋をくぐった頃に、家内は部屋の風呂、私は船の大浴場で風呂に入り、いつもよりも早めに就寝。明朝は早く起きないといけない。

0113(木)曇・雨

●6時半に起床。身支度をしてすぐにレストランへ行き、朝食バイキングを食べた。船は予定通り、別府国際観光港に7時前に接岸した。接岸後、車で待機していたが、大型トラックが多くて下船に手間取り、7時半過ぎの下船になった。●まず目指したのは臼杵の石仏だった。国宝の磨崖仏である。今回の旅で私が一番行きたかった所。別府から大分市を通過して一般道を臼杵へ。これがまずかった。朝の通勤ラッシュに遭遇。正直なところ、大分がこんなに大都会だとは想像していなかった。途中、コンビニで休憩しながら、結局、臼杵に着いたのは10時を過ぎていた。●臼杵の石仏群は、想像していたよりも小さく、しかも、険しい山上の崖ではなく里山のような場所にあった。しかも、ちゃんと立派なお堂の中に収まっている。かなりイメージとは違った。でも、ひとつひとつ石の仏様たちの顔をながめて歩くと、さすがに素晴らしいものばかりだった。国宝に指定されたのも納得。こんな場所に、誰がかくも見事な石仏を彫ったのか不思議な気がした。これも信仰の力か。なお、この時、石仏を見物していたのは、私たち夫婦二人だけだった。国宝二人占め。●次に向かったのは、臼杵市街にある「野上弥生子文学記念館」だった。臼杵市の名誉市民だった野上さんは、99歳という天寿をまっとうしたこと、また、文化勲章を受章した文学者であったということで、瀬戸内寂聴さんの先達である。生前、女性の地位向上のために尽くされたということも同じだ。この文学記念館は、野上さんの生家だった。駐車場がなく、仕方なく、隣にある小手川酒造の駐車場に駐めさせてもらった。声をかけようと向かいの小手川商店に入って聞いてみると、野上弥生子さんは、旧姓小手川やえ。つまり、小手川酒造のお嬢さんだったのである。この文学館は小手川酒造が設置運営していた。つまり、堂々と駐車してよかったのだ。それなら駐車場の看板にそう書いておいてくれたらいいのに。気を遣って、名物だという「鯛味噌」を小手川商店で買ったのに。●記念館の一階には、野上さん夫婦の師であった漱石からの書状や野上さんの原稿や写真類が展示され、二階には、少女時代の野上さんが勉強した部屋が保存されていた。入館者は私たち夫婦二人だけだったので、野上さんの生涯を紹介するビデオや資料類をゆっくり鑑賞することが出来た。そして、漱石も野上さんも、筆で書かれた巻紙の手紙の筆跡は見事なのに、原稿用紙に書かれた文字は金釘流なのは何故だろうという疑問を抱いた。私は、野上さんの作品は「秀吉と利休」しか読んでいないので、熱心な読者ではないのだが、晩年の、哲学者田辺元とのロマンスには関心があるし、「迷路」や「森」という長編小説もいつか読みたいと思っていたのだが、この年齢になって、いまさら長編小説を読むのはしんどい。でも、今回の旅をきっかけに、長編小説以外で、野上さんの文章を何か読んでみようと思った。●見学を終えて、臼杵市内で適当な食べ物屋を探すのが面倒なので、別府に戻ることにした。今度は、高速道を選んだ。やはり高速道だ。山の中ばかりで景色はよくないが、往路とは段違いに早く別府に帰り着いた。雨が降ってきた。もう昼をだいぶ過ぎていた。どこか適当な店を見つけて入ろうと思ったが、なかなか見つからない。仕方なく、杉乃井ホテルに行ったら、ガードマンに一週間休業ですと言われた。とりあえず、日産のディーラーでLEAFの充電をしてもらって、その間に昼食の場所を探すことにした。●幸い、充電してもらうことになった日産ディーラーの隣に「大戸屋」があったので、そこで昼食をとることにした。せっかく旅行に来ているのに芸がないことだが、事前に下調べや予約をしていないのでこういう事になる。私たちの旅行は、いつもこんな風だ。●車も私たちも満腹になったので、天候は悪いが、ホテルに行く前に別府の街を見物することにした。行ったのは、「竹細工伝統産業会館」だった。もちろん、家内の希望。私は竹細工には興味はなかった。行ってみたら、なかなか充実した施設だった。展示品も素晴らしい。人間国宝から若手まで、さまざまな作品があった。入館者は私たちだけだったので気兼ねなく見ることができた。でも、私がうれしかったのは、ここの付属施設のカフェ&ショップだった。ここで初老の女性が淹れてくれた珈琲が(もちろん有料)おいしかった。好きなものを選ばせてくれた小鹿田焼(おんたやき)の珈琲カップもよかった。ここで、夫婦して、竹の箸を土産に買った。●まだチェックイン・タイムには早かったが、朝早くから活動して疲れたので、早めにホテルに行くことにした。今回、家内が予約したのは、温泉街にあるホテルや旅館ではなく、中心部からはちょっと離れた、「ダイワロイヤルホテル&リゾート別府湾」だった。たぶん、車の充電ができるということで選んだのだと思うが、結果的には、日産のディーラーで充電してもらったので、ここで充電することはなかった。でも、別府湾の美しい景観を望むこのホテルは、大浴場などの施設を含めて素晴らしいものだった。このホテルには、和洋中のレストランがそろっているが、私たちはフランス料理のレストランで夕食を食べた。少し遅くなったが、私の誕生祝いを兼ねた食事だった。赤ワインで乾杯。この夜、ホテルには東京の私立高校の修学旅行生が宿泊していたが、育ちがいい子供達なのか、騒いでいる生徒は見かけなかった。

0114(金)晴

●朝食はホテルのバイキング。充実した内容で、ついつい料理をとりすぎた。卵料理だけで、ゆで玉子、スクランブルエッグ、だし巻き玉子と3種類もとってしまったので、ゆで玉子は食べずに昼食に回すことにした。●今日は別府市内の観光を予定していた。私たち夫婦が別府に来たのは13年前の夏以来である。その時は、別府でレンタカーを借りて湯布院や長湯(ラムネ)温泉、さらに黒川温泉を経て、阿蘇・熊本に行ったから、別府市内は、血の池地獄を見物しただけで、ほとんど通り過ぎただけだった。今回は、特に鉄輪(かんなわ)温泉に行くことが家内の希望だった。でも、この日、ホテルを出た私たちがまず向かったのは、13年前から気になっていた、「立命館アジア太平洋大学」のキャンパスだった。大学は山の上にあった。前日に降った雪で山は白くなっていた。大学へ行く道路はところどころ凍結しているように見えた。運転担当の家内は、危ないから引き返そうと言ったのだが、建物だけでも見たかった私が押し切った。ようやくキャンパスに着いた。私は写真だけとって、玄関先で引き返すつもりだったのだが、今度は、家内の方がキャンパスに入ろうと言い出した。日が差してきたので、しばらくしたら凍結も消えると思ったらしい。校門の受付に断って、キャンパス内に車を入れさせてもらった。キャンパス内を自由に歩き回れるわけではないが、キャンパス内の購買施設に、学長である出口治明さんの著作コーナーがあることだけは確認した。結局、気温は上がらず、数枚の写真を撮っただけで、すぐにキャンパスを出ることにした。あまりにも寒かった。このキャンパスからは別府の街並みが見下ろせて、景色はよさそうだが、特に冬などは風が冷たくて、通学は不便そうに思えた。全寮制だったかな?このコロナ禍で、日本では外国人の入国が禁止されている。留学生は日本人並に扱うべきだと思うのだが、このままだと新入生は来ないだろうし、大学の運営はどうなっているのか気になった。●なんとか徐行運転で山から降り、次はいよいよ鉄輪温泉に向かった。今回の旅で最も楽しみにしていた場所なのに、家内は鉄輪温泉という温泉場が別府とは別にあると思っていたらしい。鉄輪温泉は、「別府八湯」のひとつで、別府の鉄輪地区にある温泉関連施設の総称である。そのエリアの中に、有名な「地獄めぐり」の施設が数カ所あった。私たちはまず「海地獄」に車を駐めた。ここの女性ガイドから、徒歩で回れるエリアに数カ所の「地獄」があるので、「地獄めぐり」の周遊券を買うといい、ただし、目の前にある「山地獄」は勝手に営業している施設なので「地獄めぐり」には入っていない、というような情報を得て、安くはなかったが周遊チケットを買うことにした。結局、回ったのは、「海地獄」「かまど地獄」「鬼石坊主地獄」「鬼山地獄」「白池地獄」だった。「鬼山地獄」には大きなワニたちがいた。「血の池地獄」と「龍巻地獄」は離れた場所にあるので、今回は行かなかった。「血の池地獄」には13年前に行っている。現在はインバウンドの客はいないが、これらの諸施設は、海外の観光客も意識して整備されたようで、どこもそれなりに充実していた。観光客も、コロナ禍の中、それなりにいた。私たちは「鬼石坊主地獄」で足湯に入った。●「地獄めぐり」で歩き疲れた私たちは、海地獄でガイドさんに聞いていた、「地獄蒸し工房 鉄輪」で昼食をとることにした。ちょうどお昼時だった。鉄輪温泉で地獄蒸し料理を食べるというのが、今回の旅の目的のひとつだったから、ここは有難い施設だった。木造瓦葺きの風情のある古民家風の建物である。幸い、待たずに入ることができた。料理には何種類かあるようで、自動販売機で切符を買うのだが、私たちは海鮮セットを選んだ。カウンターにチケットを持っていくと、番号を指定され、料理の材料が入った金属のザル、それに調味料と呼び出し用のブザーが乗った金属のトレーを渡された。私たちは10番。蒸気で白くなった別室に、木で蓋をされた蒸気釜がいくつも並んでいた。もちろん、蒸気は温泉の蒸気だ。係の女性がいて、ゴム手袋を貸してくれた。10番の釜の蓋をあけ、中のザルを取り出し、そこに材料を入れて、ふたたび釜に戻して蓋をする。15分後にブザーがなるのでそれまでテーブルに待機するという。15分経って、今度は家内が釜の蓋をあげて、蒸し上がった料理を取りだした。それを別室のテーブルに運んで食べた。料理は(材料を蒸しただけのものだが、)特に美味だということはなかったが、面白い経験だった。ただし、ここではお茶などのサービスは一切ない。お茶は外の自動販売機で買った。●昼食を終えて満足した私たちは、鉄輪エリアを散策してみることにした。ほとんどの道路が石畳になっていて、いかにも温泉街らしい情緒があった。夜になると更に風情が増すだろう。これは最近の日本各地の温泉地に共通のことだが、街並みがずいぶん綺麗になっている。あるいは、昔の温泉地にあった猥雑さが消えている。別府の特徴は、街のあちこちから湯煙が吹き出ていることだが、この鉄輪地区は特にそうだった。道路の下からも湯煙が出ていた。この街はマグマの上にあるのではないかと思ったくらいだ。街のあちこちに、「上人湯」「渋の湯」「筋湯」「鉄輪むし湯」といった公衆浴場があった。説明を読むと、一時廃れていたのを、最近の観光ブームもあって、再建された施設が多いようだった。でも、こういう小さな湯屋をめぐって歩くのも悪くないと思った。●鉄輪地区の道路にはそれぞれ名前がついていた。「みゆき坂」とか「いでゆ坂」とか、最近つけられたような平凡な名称だが、なかに「鉄輪銀座通り」というのがあった。細い石畳の道である。その一角の板塀に小さな金属のプレートが貼られていた。よっと片手をあげる「寅さん」らしき人物のシルエットが小さく描かれている。そこに、こんな文章が書かれていた。「湯治宿を鉄輪では『貸間』と呼ぶ。貸間の軒がせり出し、石畳からは湯けむりがたなびく。通りを抜けると温泉遺産。"寅さんが愛した町”への入り口はここからだ。」NPO法人 鉄輪湯けむり倶楽部が設置した標識だった。「寅さんが愛した町」が気になった。確かに、鉄輪はいかにも寅さんが愛しそうな街並みだ。調べてみると、寅さん映画の第30作「花も嵐も寅次郎」が大分各地を舞台にしていた。ここに鉄輪温泉が登場するのに違いない。私は寅さん映画をコンプリートしているので、結婚前の沢田研二と田中裕子が共演したこの映画ももちろん見ている。でも、細部は忘れていた。旅行から帰ったら、久しぶりに、この映画を見直してみようと思った。

0115(土)曇

●「さんふらわあ こばると」は、予定通り、朝の7時半頃に大阪南港に着いた。その前に船内の売店で買ったチーズとホットコーヒーだけで朝食を済ませておいてから下船。一般道を使って、ゆっくりと岸和田の自宅に戻った。今回の旅行は、新しいLEAFを走らせるために企画したようなものだが、出発前に、オミクロン株のせいか、コロナ感染者の合計が全国で1万人に達したというニュースが流れて、少し不安をかかえながらも決行したのだった。大阪に帰ってみると、感染者数は2万人を越えていた。驚きを通り過ぎる急激な増加である。重症者は少ないというのが救いだが、ブースター接種を早めることが必要だ。厚労省は、例によって、動きが遅い。政治のリーダーシップが待たれる。もう手遅れかもしれないが。●今回のフェリーでの旅行は、夜は、ホテルでの一泊を除いて、揺れる船の中だったし、日中は車の助手席に座っていたので、本を読む時間がほとんどなかった。旅行中に持って行った文庫本、國分功一郎「暇と退屈の倫理学」を読み終えたのは、岸和田の自宅に戻ってからだった。これぞ、欧米哲学の借り物ではない、オリジナルの哲学。先日、國分さんと千葉さんの対談本を読んだばかりだが、そこでも触れられていたように、千葉さんの「勉強の哲学」との共通性を感じた。両人とも、読者の知力を尊重しながらも、基本的に啓蒙的な思想の持ち主なのだ。●共通一次試験の日、東大前で受験生刺傷事件がおこった。わざわざ名古屋から来た高校生が犯人だそうだ。進学校で東大の医学部を目指していたが、成績が落ちたので、人を殺して自殺しようと思ったとか。なんとも呆れたバカものとしか思えない。死にたければ一人で死ね。

0116(日)晴

●トンガ海底噴火で、日本にも1メートルほどの津波が訪れ、NHKは何時間も関連番組を流し続けていた。トンガの通信が不通になっていて、現地の様子はわからない。今回の噴火で火山灰が地球表面を覆い、地球冷却化が起こるという情報がネットに流れている。本当だろうか。地球温暖化阻止に火山が応援しているということか。所詮は、人間がやることなど自然には勝てない。「人新生」なんて言葉は、人間の傲慢さを表しているだけかもしれない。●ジョコビッチは、全豪オープンに出場できないことになった。国民世論を考えての結論だろう。この時期に、いくらジョコビッチでも、反ワクチン思想の持ち主は容認できない。

0117(月)曇

●阪神淡路大震災から27回目の記念日。正月に神戸で「希望の灯り」を見てきたばかり。●トンガの海底火山噴火で「空振」という言葉を知った。気象庁の専門家でさえ、今回の津波は津波と呼んでいいのかどうかわからないそうだ。自然は神秘。噴火の影響で海底ケーブルが破損したので、現在、トンガとは連絡がつかない。

0118(火)晴

●北村薫「中野のお父さんは謎を解くか」読了。日本の近代文学史の謎をテーマにした短編連作。北村さんにしか書けないミステリ。ホロヴィッツも素晴らしいが、日本には北村薫がいると言いたくなった。●その後、今年最初の中国語教室。それなのに、コロナ感染者急増のため、来月の教室はお休みになった。今日の感染者は3万人を越えて、過去最高になった。各地に「まん防」実施の動き。私自身には危機感はほとんどないのだが。●夕食は、ハルカスのレストラン街「寅福」で。寅年にふさわしい名前の店。空いていた。

0120(木)晴

●71歳の老人が見るべきものかどうか分からないが、prime videoで「鬼滅の刃 遊郭編」の一話と、「進撃の巨人finalシーズン」の一話を見た。prime videoで見たのはそれだけではない。「花も嵐も寅次郎」も見た。大分の風景だけを確認するつもりだったのだが、最初から最後まで楽しんでしまった。若き日の田中裕子の魅力を改めて確認。映画の中でも、変な色気があると言われていた。沢田研二が惚れたのも当然だ。臼杵の石仏がチラリと写り、最後の場面で別府鉄輪温泉が登場した。寅さんならきっと、鉄輪温泉の銀座通りにある「貸間」のひとつに泊まったに違いない。●これもamazonのお世話になり、中古本で岩波文庫の「野上弥生子随筆集」を買った。とりあえず、故郷臼杵についての文章を読んだ。かつて、大友宗麟の隠居城があった街で、長崎や平戸よりも先に、葡萄牙人たちがやってきた街への誇りを述べ、少女時代の街と較べてすっかり寂れたように見える街への懸念を書いている。その他、師である夏目漱石への思いを書いた文章、野上さんが少女の頃に学んだ明治女学校の先輩である相馬良(黒光)について書いた文書が興味深かった。相馬良は、我が愛する大河小説「安曇野」のヒロインである。新宿中村屋の女主人になるが、その前に、夫の故郷である安曇野に西洋文化を持ち込み、その地で育った若き彫刻家の荻原碌山は、彼女に恋して若死にした。●関西の三府県も「まん防」を申請するようだ。相変わらず、感染者は増え続けている。専門家や政府を含めて、オミクロン株に適したメリハリのきいた対策をというのだが、そのオミクロン株の特質を、「重症化しない」という事を主に考えるか、「感染力が強い」を主にするかで、対策は正反対になる。どうやら、政府や分科会は、前者の「重症化しない」を重視しているようだ。経済を回したいということだろう。それなら「まん防」などそもそも不必要だと思うが、世論やメディアが許さない。

0121(金)曇

●木村幹「韓国愛憎」読了。私は木村教授のツイッターのフォロワーなので、自分史でもある、この本のことは執筆中から知っていた。私が大学で李氏朝鮮時代の実学について卒業論文を書いていた頃はまだ小学生だった木村さんに、今では多くを教えてもらう立場になった。旅行者として何度も韓国の土を踏んでいるが、私は未だに韓国語の初心者のままだ。今まで何をしてきたのかと内心忸怩たるものがある。この本を読んで、今の時代、学者として生きていくのは大変だなと思うとともに、韓国研究者であっても、英語の能力が決定的に重要であることを知らされた。その意味でも、木村さんが、勤務先の神戸大学の上司の命で、ハーバード大学に留学したことは決定的に重要だった。

0124(月)晴

●柿沼陽平「古代中国の24時間」読了。ローマ史で先例があるそうだが、とても面白い試み。日本の平安時代や中世や江戸時代でも、研究者がそれぞれの時代の24時間を書いてくれるとうれしい。基本的に人間は古今東西変わらないものだと思うが、時代や地域での違いもまた興味深いだろうから。

0127(木)晴

●コロナ感染者があまりに増えたので、家内は太極拳教室を休んだ。大阪も今日から「まん防」。●午前中、高橋源一郎+斉藤美奈子「この30年の小説、ぜんぶ」読了。この二人の対談が面白くないはずがない。それにしても、この二人、いったいどれだけの小説を読んでいるのか。●夜は、久しぶりの、W杯アジア最終予選試合。中国相手だから2-0で勝ったが、なんともダルい試合運び。強い国相手だと負けていただろう。今週はサウジとの試合が予定されている。●コロナ感染者、今日は8万人を越えるかと思ったが、なんとか7万人台ですんだ。でも、突破は時間の問題。現在の日本は、ブースター接種が遅れ、抗原検査キットが不足していること、PCR検査の能力がまったく足りないこと、これだけ感染者が増えている状況なのに、相変わらず鎖国政策を続けていること。留学生さえ来日できない状態。

0128(金)晴

●今日のコロナ感染者数は、初めて8万人を越えた。大阪も初の1万人越え。●埼玉の人質猟銃事件。またも、患者たちから尊敬される医者の生命が愚かな男の犯行によって奪われた。不条理そのものだ。

0130(日)曇

●午後、岸和田市長選挙の投票。今回は無風選挙で、現職の維新市長の再選が決定的だが、一応、対立候補に投票した。勝ち目は100%ない。(やっぱり負けた。同日にあった隣の貝塚市も維新市長。大阪は維新王国。立憲民主党は維新を批判するだけではなく、どうしてこうなったのかを真摯に分析する必要がある。)●amazon prime で、「ゲーム オブ スローンズ」の再来としてアメリカで人気があるという「ホイール オブ タイム」を見ているのだが、どこかで見た役者が出ていると思ったら、かつての韓国ドラマ「春のワルツ」に出ていたダニエル・へニーだった。歳をとって、ますます男ぶりが上がった。彼の母親は、子供の頃養子に出されたという、韓国系のアメリカ人だ。

0131(月)晴

●午前中、三浦雅士「考える身体」読了。敬愛する批評家、三浦さんの新しい文庫本が出たと喜んで買ったら、20年以上前の単行本の文庫化だった。しかも、私がほとんど知らない、舞踊に関するものを中心に、短い文章を集めたものだった。でも、この文庫本のために書き加えられた、あとがきの文章「人間、この地平線的存在」が素晴らしかった。ここに、ベジャール、テラヤマ、ピナ・バウシュのことが書かれている。前二者は知っているが、ピナ・バウシュは知らなかった。早速、YOUTUBEで画像の粗い「春の祭典」を見て、バウシュの凄さを知った。こんなものを生の舞台で見たら、三浦さんでなくても、圧倒されるのは当然だ。舞踊というものの凄さを教えられた。それにしても、こんな時、YouTubeはとても便利だ。●過去最大になったコロナ第6波のピークがまだ見えないうちに1月は終わる。我が家には、ブースター接種の接種券がまだ届かない。

     

     

      

      

     

      

     

     

     

  

     

  

      

       

     

   

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