見出し画像

今月読んだ本 (6)

2023年9月

今月もkindleで読んだ本の紹介から。今月読んだのはCHRIS MILLER "CHIP WAR" 。日本では「半導体戦争」の書名で出版されています。かつての世界では原油をめぐって戦争が起こったが、現代では半導体をめぐる戦いが生じている。世界の将来に大きな影をおとしている米中の対立の、全てではないとしても、その主な要因が半導体をめぐるものであることは、半ば常識になっています。この本は、そんな情況をそもそもの半導体の出生地点にまでさかのぼって記述した、波瀾万丈の栄枯盛衰物語でした。実に面白くて勉強にもなりました。

 ページを開くと、まるで大河小説の巻頭であるかのように、登場人物一覧表が登場します。モーリス・チャン、アンディ・グローブ、パット・ハガティ、ジェイ・ラスロップ、カーバー・ミード、ゴードン・ムーア、アキオ・モリタ、ロバート・ノイス、ウイリアム・ペリー、ジェリー・サンダース、チャーリー・スポーク、レン・ジュンフェイ。ソニーの盛田昭夫さんを除いて、ほとんどが馴染みのない名前ばかりですが、この本を読み終えた後は、ちゃんと誰が誰だかわかるようになりました。もちろん、みんな半導体産業を語る上で忘れてはいけない人たちばかりです。ノーベル賞受賞者もいるし凄腕のビジネスマンもいる。例えば、ゴードン・ムーアはあの「ムーアの法則」で有名な人物ですが、半導体メーカー、インテルの共同創業者でもある。モーリス・チャンは、現代の半導体産業のトップリーダーと言っても過言ではない、台湾のTSMCの創業者。レン・ジュンフェイは、現在、アメリカから実質的に閉め出されている中国最大のIT企業である、華為(ファーウエイ)の創業者です。

 これだけの多彩な人物が登場する中で、我が盛田昭夫さんが最初の登場人物であった事はうれしいことですが、それには理由があります。若い人はもう知らないかもしれないが、かつて日本は世界の半導体市場を席巻していたのです。元々、半導体産業はカリフォルニア州パロアルト付近で生まれました。シリコンバレーという名称はそこから銘々されたわけですが、その地において軍事産業や宇宙産業に支えられて急速に拡大したアメリカの半導体産業に対して、後発の日本は半導体の最も初期の形態であるトランジスタをラジオに応用して民生利用の道を開拓し、ついにはウオークマンでアメリカを含む世界を制しました。その象徴であった盛田さんはアメリカでも最も尊敬されるビジネスマンの一人になったわけです。

 そんなソニーを先頭に、東芝や富士通といった企業が安くて高品質な半導体でアメリカ半導体産業を圧迫し、アメリカの半導体産業は窮地に陥ります。そんな時、盛田さんは極右とされていた政治家、石原慎太郎と共著で「ノーと言える日本」を出版します。これがアメリカの人々の愛国心に火を点けました。アメリカは対抗策として、韓国や台湾に、日本に負けない安くて高品質の半導体をつくれる企業を育てます。それらの対策が今や実を結んでいることは明らかですね。アメリカ国内においては、たとえばインテルは従来の半導体製造をあきらめ、当時勃興期を迎えていたPCの世界に経営資源を集中しました。インテルはCPUでマイクロソフトと手を組みます。その結果はみなさんご存じの通り。日本で一世を風靡した「インテル入ってる」というキャッチフレーズは今も記憶に残っています。日本はこの方面でも敗北することになります。

 などという面白いエピソードがこの本には満載です。振り返ってみると、かつての日本は現在の中国の姿そのものですね。戦後の日本はいちおうアメリカの同盟国だったので、徹底的に潰されることはありませんでしたが、中国はそんなわけにはいかないかもしれない。まあ、巨大な中国が潰されることはないでしょうが。さて、現在まだ進行中の半導体戦争はこれから先どうなるんでしょうか。その中で、すっかり影が薄くなっている日本の半導体産業はどう生き残るのか。なかなか興味深い問題ですね。なお、この本はビジネス書なので、半導体の科学技術的な面の話は出てきませんでしたが、現代の半導体の主力である集積回路においては、かつてのトランジスタは今や一つ一つはウイルスよりも小さくなっているんだそうですね。ナノという単位が出てくる。どうやって製造しているのか想像もつかない。もうSFの世界です。

 次に読んだのは東浩紀さんの「訂正可能性の哲学」でした。私は昔から柄谷行人さんの読者で、東浩紀さんはその弟子筋にあたる(実際は柄谷さんというより盟友の浅田彰の後継者と見られていたそうですが、)というので読み始めたんですが、東さんが少年の頃からのSFファンで自分でもSFを書き、小松左京の作品集も編んでいるという事もあって、小松左京を崇拝する私は、20歳も年下の東さんの著作をずっと読み続けることになりました。もうかなり長い付き合いです。今では東さんは柄谷さんらの元を離れて独自の道を歩んでいるわけですが、この本を読んだ感想は、東浩紀はやっぱり柄谷行人の弟子だなというものでした。論理の組み立て方が似ているのです。

 この本は、数年前に高い評価を得た「観光客の哲学」の続編だと宣伝されていますが、ルソーの思想を扱った「一般意志2.0」の続編の要素も大きくて、ようするに現時点での東さんの集大成と言ってもいいでしょう。東さんの文章の特徴は明晰で読みやすいということです。カントやハイデガーなどのドイツ哲学はもちろん、東さんが親しんだ、デリダなどのフランス現代思想においても、まるで難解であることが思想の深淵さを表すかのような思い違いがありますが、東さんの文章はまるで違う。「ゲンロン」という中小企業の経営者になったことと関係があるのでしょうか、読者に媚びるのではないが、読者を置いてきぼりにして、自分一人が高みにいるような独善的な文章でもない。伝えたいことを真摯に工夫して伝える、実にまっとうな文章だと思います。

 長年読んできて、東さんの思想は以前とはかなり変化したと思います。成熟というのでしょうか。私が思うに、ルソーはもちろん、ポパー、トッド、ウィトゲンシュタイン、ローティ、クリプキ、アーレントといったようなキラキラした人々の言説を自在に引用しながら刺激的に(魅力的に)組み立てるこの論考の行き着く先は、結局のところ、古代の中国やギリシャ以来ずっと尊重されてきた中庸の精神やソクラテス流の無知の知の思想を現代風にアレンジした、正義の暴走を牽制する、いわゆる「大人の思想」なのではないでしょうか。だからこそ、東さんは右派だけではなく、それ以上に左派リベラルから右傾化していると攻撃を受けるのでしょう。まことに中庸の道は険しい。

 余談になりますが、私は、亡くなったコラムニスト小田嶋隆さんのファンで、彼の文章を読むためだけにツイッター(現在はX)を読んでいたほどですが、その小田嶋さんが東さんに罵詈雑言を浴びせてついに東さんからブロックされる光景を目撃してしまいました。晩年、病に冒されて自制が効かなくなっていたのかもしれません。それにしても、文章が斬れ過ぎる事はあっても、小田嶋さんほどの教養もバランス感覚もある人がどうしてと、それは哀しいことでした。まあ、私は文章を通じてしか東浩紀や小田嶋隆という人間を知らないので、小田嶋さんが東さんのどこが気に入らなかったのかは正確にはわからないわけですが。

 余談ついでにもう一つ余談を。もう10年以上前に出版された 佐々木敦さんの「ニッポンの思想」という実に面白い新書本があります。80年代から0年代までの日本思想史を概観した本です。「ゼロ年代は東浩紀ひとり勝ち」という記述が一部で話題になりました。その本に、柄谷さんと浅田彰さんが主催していた「批評空間」という雑誌から出発した東さんが、そこから離れていった経緯が書かれています。周辺で見ていて、佐々木さんもその成り行きにドキドキしたそうです。東さんは還暦祝いをしたりして、今も浅田彰さんとは交流があるようですが、柄谷さんとはどうなんでしょうか。「訂正可能性の哲学」の中に、日本の左派はアソシエーションなどというモノを有り難がり過ぎるという一文があって、これは柄谷さんを批判しているのかなとチラッと思いました。これも余談。

 次に読んだのは、柄谷さん他による、「柄谷行人『力と交換様式』を読む」でした。実は、柄谷さんの「力と交換様式」は既に出版されてかなり時間が経ちますが、私はまだ読んでいません。柄谷さんが交換様式について本格的に論じた「世界史の構造」は文庫本で読んだので、続編にあたるこの本も文庫になってから読もうと思っていたのです。それなのに、先に東浩紀さんの本を単行本で買って読んでしまった。柄谷さんの長年の読者としては申し訳ないような気がします。でも、この新書本は、「力と交換様式」がまだ構想中だった時期や執筆中に、柄谷さんが講演会や対談で語られたことが収録されているので、「力と交換様式」についての最良の入門書であると言えるでしょう。それ以外にも、この新書では柄谷さんの自伝的なことがらが語られていたり、柄谷さんがシャーロック・ホームズの読者であることが語られたり、とても興味深い文章がたくさんありました。でも、この新書本の感想を書くより、早く「力と交換様式」そのものを読むべきですね。世界的にも知られた思想家である柄谷さんは、今年、「哲学のノーベル賞」を受賞されましたが、その選考対象になったと思われる「世界史の構造」だけでも、これからも名著として世界で読み継がれることになるだろうと思います。「力と交換様式」はその交換様式論をさらに深めたものだということで、今から読むのが楽しみです。それなら、文庫化を待っていないで早く単行本で読めよということですが。

 再び余談。唐突に加藤典洋さんの名前を出します。加藤さんも私が敬愛していた批評家で、私より数歳だけ年長でしたが、惜しくも数年前に亡くなってしまいました。今でも残念です。その加藤さんは亡くなる少し前に東さんの「観光客の哲学」を高く評価していました。加藤さん自身、「敗戦後論」などににおいて、右からも左からも攻撃された批評家でした。誰でも世間に出る前には先行する人物を批判して登場するものですが、加藤さんの場合は、江藤淳と柄谷行人の二人を批判して批評家として登場しました。意地悪な編集者がいて、若い加藤さんに、江藤淳と柄谷行人をそれぞれ相手にした対談の仕事を持ち込みました。柄谷さんと対談する前に加藤さんはこう考えたそうです。読書量において圧倒的に差がある柄谷さんと同じ土俵で闘おうとしても勝ち目はない。知ったかぶりはやめよう。愚直にありのままの自分を出そうと。実際に対談してみると、柄谷さんは実に優しくて拍子抜けしたそうです。私の好きな加藤さんのエピソードです。

 次は塩野七生さんの「ギリシャ人の物語」。文庫本全4冊のうち、とりあえず出版されている2巻まで読みました。塩野さんとの付き合いも長くなりました。イタリア・ルネッサンスから始まってローマ、さらにギリシャへと。「ローマ人の物語」は全巻単行本で揃えていましたが、数年前に書棚を整理した際にブックオフで処分してしまいました。かさばりますので。そろそろ断捨離を考えないといけない年齢だし、仕方がありませんね。ということで、この「ギリシャ人の物語」は文庫になってから買うことにしていました。

 さて、この二冊で主に語られるのは、都市国家アテネの勃興、繁栄、そして衰退です。塩野さんの脳裏にあったのは、交易国家として生きた後世のベネチアの運命との相似性だったかも知れませんね。第一巻で語られるのはアテネの勃興。隣の大国ペルシャの侵攻を、スパルタを含む、他のポリス諸国の事実上の盟主として見事に退けるという物語。私はかつて、ヘロドトスとツキディデスを読んだことがあるのですが、内容はほとんど忘れていて、覚えているのはペルシャ王クセルクセスという名前だけでした。この第1巻の主人公といっていいのは、アテネのテミストクレスなんですが、その名前は全く記憶にありませんでした。まあ、ギリシャ人の名前は覚えにくいんですがね。彼はいかにも塩野さん好みの好漢でした。塩野さんが、ヘロドトスは戦略や戦術に興味がなかったんじゃないかと書いているのは面白かったですね。だからたぶん、ヘロドトスが書いたペルシャ戦役の経緯が単調で、塩野さんの文章ほどに生彩がなかったので記憶に残らなかったんでしょう。

 第2巻はギリシャ民主主義の絶頂期だと言われるペリクレスの時代からアテネ衰退までの物語です。実はソクラテスもプラトンもこの衰退期を生きた人たちだったわけですが、ペリクレスの死後、27年間もだらだらと続いたペロポネソス戦争に敗れたアテネはスパルタの半ば属国になります。塩野さんこんな風に書いています。

 「ギリシャ世界を征服しようと大軍で侵攻してきたペルシャを迎え撃ち、完膚なきまでの勝利で追い返したことでアテネの前に繁栄への道が大きく開かれた年からは七十五年後。その繁栄を維持するだけでなく、さらに強大化するのに成功したペリクレスの死から数えれば、わずか二十五年後。ギリシャといえばアテネ、と言われてきた都市国家アテネは、紀元前四○四年に、滅亡は免れたにせよ、衰退はもはや必至、とするしかなくなったのだ。(略)やはり、ソクラテスの教えは正しかったのだ。人間にとっての最大の敵は、他の誰でもなく、自分自身なのである。アテネ人は、自分たち自身に敗れたのである。言い換えれば、自滅したのであった。」

 アテネはどうして自滅したのか。塩野さんは明示的には書いていませんが、口だけはうまい、愚かで狭量なデマゴーグたちのせい、彼らに煽動された衆愚のせいだと暗示しています。いかにも保守思想家、塩野さんらしい。アテネはかつての栄光に酔い、傲慢になったから自滅したんですね。それはかつての大日本帝国もそうだった。現代のアメリカもこれからどうなるかはわからない。塩野さんの文章を読む楽しみは、そんなことを考えさせてくれることにあります。それでもアテネは後世に人類の規範になる哲学や見事な彫刻作品や美しい壺の数々、そしてパルテノン神殿を残しました。さて、第3巻以降には何が語られるんでしょうね。読むのが楽しみです。

 
 次は本ではなく雑誌の紹介です。「SWITCH」9月号を読みました。ジブリをめぐる冒険という号です。池澤夏樹さんと鈴木敏夫さんの興味深い対談が掲載されていました。ジブリと池澤さんの組み合わせ、これは読まねばということでさっそく購入しました。池澤さんと鈴木さんのお二人は古くからの親しい知人だったことを初めて知りました。ちょっと意外です。そういえば、加藤周一さんの名前もあがっていましたね。あの加藤周一さんがジブリのファンだったことも意外でした。世界中を渡り歩いている池澤さんは今は安曇野に住んでいらっしゃるんですね。安曇野は大好きな場所です。そんないろいろな事を考えながら、楽しく対談を読みました。そして、池澤さんの「君たちはどう生きるか」を観た感想が私とそう違わないことに安心しました。対談の中で、池澤さんが河合隼雄さんの箱庭療法のことに触れておられたのは、我が意を得たりという思いでした。私が宮﨑駿さんのアニメを観、村上春樹の小説を読んだ時に思い出すのは、いつもこの箱庭療法のことでしたから。この両人の作品には、箱庭療法のような効果があるのではないかといういうのが、かねてからの私の持論です。箱庭の意味は誰にも、造った当人にも解らない。でも、それが精神を癒やす効果は確かにあるのです。この療法を広めた河合隼雄先生自身が、どうして効果があるのかは自分でもわからないとおっしゃっていました。今回の宮﨑さんの映画を観て、わけがわからないという感想もあるでしょうが、それに対して、子供は素直に面白いと言っていた、それで十分だという鈴木さんの発言はその事を言っているのだと思います。宮﨑アニメに意味を求めすぎるなということですね。 

 最後に、これも本ではありませんが、今年の4月からテキストを買って、この半年間、ずっとネットでラジオ講座を聞いていた「まいにち中国語」の放送が9月で終わったので、ここで紹介させていただきます。私は講師の加藤徹さんのファンで、加藤さんが講師を務める講座は必ず聴くことにしています。加藤さんは、その著書を読めばわかるように、学者としても素晴らしい仕事をされていますが、ラジオ講座ではまるでコメディアンのようで、毎回楽しく聞いていました。大学ではどんな講義をしているんでしょうね。加藤さんの(自分で書いておられるのかどうか知りませんが)テキストはいつも攻めている感じがして面白いんですが、今回の講座は、なんとSF仕立てのドラマで、とても初心者を対象にしたものではない高度な内容でした。「まいにち中国語」は初級者が対象のはずなんですが。それでも、多くのリスナーは大いに楽しんだんじゃないでしょうか。私も、日常生活とはあまり関係がない大胆な内容なので、例えば、この講座を聴いからといって、中国に旅行に行ったさいに会話に役立つとは思えませんでしたが、とても楽しい半年間でした。中国の声優達もまた素晴らしいんです。この講座は10月から再放送されるようなので、興味がある人は聴いてみてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?