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小学校がなくなるということ

一昨年、地元の小学校が閉校した。
今、うちの娘たちは、スクールバスで20分かけて町の小学校へ通っている。

ここへ引っ越して来たとき、地元の小学校の児童数は、わずか10人程度と聞いていた。
複式学級もあり「そんなに少なくて大丈夫?…」と不安に思った。
一方で、少人数ならではのきめ細やかな教育指導で、地元の小学生たちはよくできる子が多い、とも聞いていた。先生方も含めて学校に集う人たちが家族のようなアットホームさがあり、他所から学校に行きづらくなってしまった子が山村留学をしたり、移住してきたりもしていた。
それを聞いて、1学年42人×8クラス、というマンモス校で育った私は、少人数の学校ってきっとのびのびしてていいんだろうな、長女は少しデリケートだから向いているかもな、と思っていた。
そんな矢先に閉校してしまった。

閉校するとき、地元のじじばばたちは大反対をした。「小学校がなくなると地域が廃れる」と。

うちはまだ子供たちも通っていなかったせいもあるけど、他の親たちも含めて我々世代は「そうはいっても仕方ないよね…」という空気だったと思う。少子化で学校がなくなるのは田舎に限ったことではないし、そういう時代だから仕方ない、と。

同時に、他の僻地の小学校もいくつも閉校となり、昨年度から町の小学校に統合された。
僻地から通う児童は皆スクールバス通学だ。
朝は早く、乗り遅れたら終わり。
放課後も友達と遊ぶ時間はほとんどなく帰ってくる。歩くことが少ないのも気になる。

しかし、他を知らない子供たちがそのことに不満を言うことはないし、なんなら私もスクールバスで小学校へ通っていた(海外で日本人学校へ通っていたため)。
子供の数が5人程度の地元の家庭的保育園で育った子供たちは、最初こそ人の多さに面食らったようだが、仲の良いこができたり、好きなことを見つけたりして、それなりに楽しく通学している。
今後、中学校で部活に入ったり、高校へ進学した場合、この山の上からの送迎をどうするのか?という問題はあるが、他の地元の家族もやっていることだしなんとかなるだろう、と思っていた。

そこへきて、つい先日、うちと家族構成が似ている一家が山の下へ引っ越すと聞いた。
うちの子供たちとも同級生が二人いて、その子供たちのことを「保育園から中学校までずっと一緒だね」と言って笑っていた。
(まぁ、引っ越してところで小学校、中学校は一緒なのだけども)
勝手に同志のように思っていたので、寝耳に水の話だった。保育園も地元から町の保育園へ移るという。

正直、ショックだ。
うちとその家族しかいない保育園なので、年度途中で急に抜けられるのは、最近ナイーブになってきている三女にとってどういう影響が出るのかわからないな、と心配している。
うちの子たちだけとなった後の、先生たちのテンションも気になる。
せめてもう少し余裕をもったタイミングで聞きたかった。

と、色々思うところもあるが、たぶん一番は単純に寂しい。
これからも小中学校は一緒だし、保育園の送迎をのぞけば、顔を合わせる機会は今と大して変わらないかもしれない。でも、同じ僻地にその家族がいるかいないか、では気分的に違う。

以前、地元の小学校が閉校する際にじじばばたちが言っていた「小学校がなくなると地域が廃れる」の意味をジワリと実感する。
こうしてだんだんと人が、とくに自分たちで動ける若い世代が減っていくのだな、と。

今後、うちの子供たちが高校生になる頃に、改めて思いを馳せる。本人たちがどういう道を選ぶのかはわからないけれど、この田舎に住んでいることを理由に彼らの選択肢が狭まることはなるべく避けてやりたい。
そのために真面目に働こう。そう思う。

そうとなれば、よその人のことはおいておいて、自分たちの生活を粛々と、やるべきことをやっていくだけだ。

ここは、子育て世代が少なく、生活は不便ではあるけれど、勿論、田舎には田舎の良さがある。
子供たちには、自分たちの生まれ育ったこの地を好きでいてほしい。この先都会に憧れても、田舎を嫌ってほしくはないし、この地で地域の人たちに見守られてのびのびと育ったことを誇りに思ってほしい。
母はそう願います。


。。。。。。

(田舎の良い面を投稿することが多いけれど、今回はちょっとしんみりする話を書きました)

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