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友達はいなくても恩人はいる(多数)

数年前から友達が激減しました。

友達とは趣味や職場などが共通していて多少プライベートまで把握していて気があう人のことをさすのだと思いますが、一緒にいてまあまあ楽しい反面、友達は対等であるという前提を逆手に取って次第に礼節がなくなったり、個人的なコンディションの上下をそのままぶつけてきたり、薄暗い比較や嫉妬や依存などの面倒ごとを持ち込んでくる存在でもあるのだと気付いてから「友達いらないな」と思うようになりました。

なんとなく一緒にいて楽しいだけの相手は、孤独感は紛れるかもしれないが成長がありません。

ある時から無駄な人間関係に時間を費やすのはやめにして、本当に必要な人を選ぶ生き方にシフトすることにしました。

友達がほぼいなくなったのに、いまのほうが人間関係はずっと広がった気がします。

虚勢を張ってるわけではなく、本当にそう思います。

友達の代わりに自分が得たのはたくさんの恩人です。

恩義のある人を大切にしようと意識してから、人間関係のすべてがありがたいものへと変わりました。

自分に何かを教えてくれた人、自分を助けてくれた人、自分に幸せな体験をさせてくれた人、あるいは厳しくとも自分を良い方向へ導いてくれた人のことは絶対に忘れない、大きく感謝するとともに、いつか別のかたちでお返ししようと静かに機を伺うようにしていると、ふとした方向からそのチャンスがめぐってきて、あのときはありがとうございましたと恩返しをしていく、すると相手が大変喜んでくれてまたわたしになにかの大きな幸せをくれる、こちらもそれに応える、そのくり返しをしていたら、いつのまにか本当に貴重な人とのご縁だけが少しずつではあるけれども確実に広がっていくようになりました。

恩返しの応酬は、ゆっくりなリズムです。

たとえば何かしてもらったとき、その場で焦って返そうとする人がいますが、その心の原因が罪悪感であったりするとそのご縁は消えます。

やろうとする意思が天国なんだから、相手の好意が不快なものでなければありがたく受け取ればいい。

いつか別のかたちでお返ししよう、と思っていると、しばらくしてその人が以前ほしがっていたものを自分が偶然手にしたりします。

本当にそういうことが起きます。

相手に好かれようとか嫌われたくないとかいう変な欲を出さずに、相手がどういう人なのか謙虚な気持ちできちんと意識を向けていると、より精度が高まります。

そうしてお互いの必要なタイミングで相手がズバリなものをもたらしてくる、という奇跡的な力学が全方位的に連鎖していくのが、恩人の人間関係です。

そこには何の約束もありません。

恩返ししたい、という気持ちは純粋な自発性です。

勘違いしてる人は原因からして間違っていて、自分の安心感を満たすための一方的な好意を押し付けておきながら相手から何の反応もないと一転して「やってあげたのに」と不満を持つ。

それは勝手なエゴであり、相手の反応に主軸を置いた強迫観念の世界です。

結果「余計なこと」「大きなお世話」「詮索」になっていくわけです。

恩人の世界は余計なことは一切しません。

お互いがお互いの恩人であるという関係性は、お互いが相手に全く何の期待もしないからこそ成立します。

何も無いときはまったく静かなものです。

しかしたとえ一年に一回しか会わなくても、その瞬間はゆたかなエネルギーが広がるしあわせな関係性なので、それで充分なのです。

相手へのリスペクト、応援、信頼は、物理的な時空を超えるものだと思います。

出したものが返るというのは、人間関係でも同じです。

恩人の人間関係とは、つまり自然法則にそった人間関係のことです。

自分を無駄に疲れさせる相手、自分を不幸にする相手にエネルギーを使うのをやめて、自分に元気や感動をくれる人に意識を向ける。

やはり法則はひとつなんだなと、あらためて思います。

#日記 #エッセイ #人間関係 #友達 #恩人 #自然法則

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