思い出話し
人生の出会いからは、それこそ道ですれ違うだけの人から生活を共にする恋人や家族まで、濃度によってさまざまな関係性が生まれるわけですが、そのなかでもやはり「ご縁がある人」とは切っても切れない不思議なつながりが自然と出来上がります。
名古屋にいる山田のパパさん(社長)もその一人なのですが、我が心の師匠・博士とは数十年の古い付き合いというおもしろ紳士です。
初めて出会ったのは5年前くらいで、わたしがたまたま名古屋の栄で仕事をしていたときに「博士のところにいる子が来てるらしい」と聞きつけた山田のパパさんが、息子さん(会社の常務、年齢はわたしよりちょっと上)といっしょにわざわざ会いに来てくれたのでした。
この息子さんのことをわたしは「山田のお兄さん」と呼んでいるのですが、このお兄さんがまたわたしの人生でトップ10にランクインする奇人で、大好きなんです。
このお兄さんの父親だから「山田のパパさん」と勝手に呼ぶことにしてるわけですが、山田家にはもうひとりマミちゃんというめっちゃステキかつ風変わりな妹がいて、彼女とは同い年ということもあり初対面から意気投合して、やはり大好きです。
そんな二人の父親である山田のパパさんも当然相当変わってるのですが、最大の特徴は「やさしい」です。
山田のパパさんは本当にやさしいです。
自身も「ぼくは何をされても許しちゃう」と言ってるので本当にそうなんだと思います、怒ってるのを見たことないです。
山田のパパさんとはこの5年の間、通算5回しか会ったことないですが、5回目となる先週は三重県への泊まりがけの出張で二泊三日いっしょにいました。
気づけば、まあまあ仲良し、相当な信頼関係が生まれていました。
なぜか流れで伊勢神宮までいっしょに参拝したりして・・・
帰りは名古屋駅まで送ってもらってしまいましたが、他の人たちが空港へ向かったので、新幹線で帰るのが自分ひとりだったわたしは最後は山田のパパさんとふたりでドライブを楽しんできました。
ちなみに山田のパパさんはたまたま15年乗った愛車を買い替え、まさにこの出張の日に新車を運転するというすごいタイミング。
最近の車は自動ブレーキとかカメラとかが超進化してて、近未来感がはんぱなかったです。
そんな近未来カーを運転する山田のパパさんの横顔を見つめていたら、たったの5回しか会ってないのに、なんて深い安心感とわくわく感なんだろう!!と思って、とてもおかしくなってきて、わたしはずっと笑っていました。
「ちょっとコーヒーでも飲んでいきましょう」
という山田のパパさんの提案で、名古屋の高速のサービスエリアでパパさんとふたりコーシータイムと相成りました。
博士の思い出話しなど、いろいろ語りました。
わたしは当時、モーターなどをいじる部屋にいたのですが、山田のパパさんもまた事業のかたわら発電機などを研究する人でした。
なので、パパさんはうれしそうに機械の話しをふってくれるのですが・・・
「わたしはほんとにもう〜装置に関しては結局何もわからないままで、お話しなんてほとんどできないですよ」
「いいの、いいの。あなたは卒業生だから」
「いえ、落第生です」
落ち込むわたしを、パパさんはやさしく励ましてくれます。
そしていま試作中という新しい装置をスマホの写真から見せてくれました。
わからないなりに、さすがに2年半も電気小屋にいたら、なんとなく装置を見るポイントは身についてるようで、
「すご〜い!!めっちゃ工夫してる!!」
というわたしのつたない感想を山田のパパさんは素直に喜んでくれました。
「ぼくはこれを最後にしようと思っているの。機械は本当に大変だから・・・」
「装置のことはわからないけど、大変さはわかります、すごく」
そう、装置は本当に大変なのです。何が大変かというと、めっちゃ苦労して組み立てて、いざ!!と電源を入れると、高確率で動きません。
そこからが大変なのです、動かないということはどこかで何かが間違っているわけで、その何が間違っているかを、膨大な配線という配線、磁石という磁石、あらゆるところを全部チェックして、動かない原因を探さないといけないのです。
それはとてもとても、根気のいる作業です。
「あれはほんとに・・・心が折れます」
「そうでしょう、だから装置は大変なの、つかれるよね、それでぼくもこれで最後にしようと思ってね」
山田のパパさんが「装置は大変だ」と言ってくれたことでわたしはとても救われました。
いまもまだわたしのなかではあの頃の出来なかった自分への後ろめたさがあったのですが、山田のパパさんの一言で「そうか、あれはやっぱり大変だって思って良いんだよね」とひとつ自分を許すことができました。
「ぼくのこの装置もね、最初どうしても動かなくて、もう、1ヶ月くらいああでもないこうでもないってやって、それでもだめでね、でもあるとき夢を見たの」
天の扉をノックし続ければ答えは返ってくる、という博士の言葉がよみがえります。
「それであっと思ってすぐ起きて、夢の通りにやったら、一発だよ、動いたの、アハハ」
わたしたちはみんな、ある呪いに縛られています。
それは【何かを達成しなくてはならない】という強迫観念です。
最近わたしは、人はいま生きてるだけで、それだけで十分すばらしいんじゃないかと思い始めました。
生命ってそれだけの価値があります。
生かされている自分、いまこの瞬間にも生命が自分という肉体を通してあらわれていることに、はっとするほど感動することが、命への感謝じゃないかと思っています。
足るを知る、ということです。
そうしてはじめて、限りある人生、自分を大切に生きたい、せっかくこの世界を体験する機会を得たのなら、良い時間を送りたい、とまっすぐに思えます。
その上で「これをやってみたい!!」という気持ちからスタートしたものであれば、それが何であれ、その時点で満点なんじゃないか、とわたしは思います。
「あなたは落第生じゃない、卒業生だよ」
山田のパパさんが、そう言ってくれたやさしい言葉を、わたしはありがたく受け取ることにしました。
どんなに良いことでも、強迫観念でやったら意味がないです。強迫観念は焦りと恐怖を呼び、失敗したくないという欲につながります。
逆にどんな小さなことでも、楽しんでやる、トライする自分を楽しむ、そんな気持ちでやれば、それは天の道になります。
15分のコーヒータイムは、わたしにとっては光が射すような時間でした。
ありがとう、山田のパパさん。
そんなわけで再びゴキゲンで車に乗り込み、名古屋駅で握手して、たくさん手を振ってお別れしました。
五年前、名古屋駅に降り立った過去の自分が、まさかこんなすばらしいご縁を掴んでいまという未来につなげるとは、本当に人生とは、出会いによって、そしてその出会いをどう扱っていくのかによって決まるのだと思います。
山田のパパさんは博士を通じて出会いました、だからもし博士に会えてなかったら・・・
いやその前に、博士という出会いにつながるあらゆる人間関係のほんのひとつでもなかったとしたら・・・
そう振り返ると、わたしのここ10年は、全部正解でした。
もちろん反省も後悔もそれなりにありますが、すべての出会いによって成長できたことは、間違いないわけです。そしてその成長の先に博士がいたのだから、やっぱり自分の過去はそれでよかったのだと、あらためて思います。
人生とは、自分という個性が、たくさんの他人との出会いによって練磨される、ただそれだけの時間なのかもしれません。
そしてその時間はやはり、最低から最高まで、どの周波数もすべて自分を発酵させるすばらしいものなのだと自分が思うことさえできれば、人生はその時点で完璧なのだと思います。
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