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日本人て何なのか〜土を制する者〜

先月の台風、じつは飯村さんのところかなりの大ピンチでした。

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これは台風翌日にみささんが送ってくれた写真なのですが、おわかりいただけますでしょうか、暗渠の水がもう地面と変わらない高さまできて・・・

しかしいちごハウスはギリ無事というスーパーミラクル。

良かったです。

そもそも水田は川がないと始まらないわけで、ここも土手の向こう側には那珂川という大きな川が流れています。

台風で、そこの堤防が決壊しました。

わたしはそれを聞いてもう「飯村農園に水が入りませんように」と全身全霊、我が全霊力を総動員してオリジナル加持祈祷をくり広げていたのですが(冗談ですそんなわけねえだろ)、なんとか寸前で水がひいたと聞いてほんとに安心しました。

こういう自然災害は無差別です、自然は方程式のみで動いてるので徳の高い人も低い人も関係なく襲います、311の津波がそれを証明しています。

それでもわたしのように現代ですら大災害に対しては非科学的とわかっていても「鎮まれの儀式」をしたくなる、これもまた遺伝子に残る先祖の記憶なのかもしれません。

さて、前回書いた「自然法則の会in水戸〜新米食べようの会〜」では、食べすぎてマンガのようにお腹まんまるになったみんなで、食休みの散歩でもするかというわけで、その決壊した那珂川を見に堤防まで歩いていうという、大人の社会見学の時間にすることにしました。

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それまで青天が広がっていたのに、堤防についたら急にこんな不穏な空になってて、雰囲気が一変しました。

写真中央左の白いシートがかかってるところ、あそこが決壊地点です。

那珂川の水面は画面右奥にチラッとうつってるのですが、それが台風当時は右側の緑の草ゾーンまで川の水面になっていたわけで、その水圧と破壊力に耐えきれず、白いシートの部分が崩れてそこから一気に田園地帯に水が押し寄せていったことが想像できます。

みささんのスマホの画像越しに同じ地点を撮影してみました。

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無言になってしまいました。

いったん自然が大きく動いたとき、それは人の力ではどうしようもないのだと、その場にいることでリアルに感じました。

そういえばいつも飯村さんちまでくる道路も台風当時はこんなでした。(画像byみさ)

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たしかにこの日もこの通りを通ってきましたが、いまでこそ何事もなかったかのようですが、よく見ると道路沿いのコンビニはガラスが割れ、内装工事中で、通りの両脇の畑も無残なことになっていました。

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なのでこのように、近くの田んぼもまだ水が完全に引いてないので、まるで田植えの時期みたいにいい感じに水が張っちゃってますが、ほんとなら秋の刈入れ後の田んぼではありえない異常な光景でした。

現代につながるすべての主要な文明は、大河から発生しています。

それは農耕するのにどうしても必要なゆたかな水源、つまり大河から離れるわけにはいかなかったからです。

大河は定期的に氾濫し、田畑や家、家畜や人を押し流しました。

しかし大河のもたらす肥沃な泥土が、人々に大きな実りをもたらすのもまた事実です。

そうなると古代の王は必然的に、土木事業を第一の命題にせざるを得なかったわけです。

人々を水から守り、豊かさのために水を正確に操ることができる者が帝王。

中国の伝説の王朝に「夏」という国があります。

その開祖は「禹王」という人で、山々を歩きながら川を工事し、国を災害から守った賢君でした。

彼こそが中華の原点であり、中国では聖人扱いで、いまだに禹王信仰が残っています。

日本でも徳川家康が大規模な土木事業をやりました。

関東は利根川や多摩川や江戸川が最終的に注ぎ込む土地でとにかく水害が多く、それが長いあいだ関東に主権が移らなかった原因で、それを大幅に改良したのが家康でした。

家康は利根川を東京方面ではなく千葉茨城方面に流れるよう護岸工事をして、その水源を利用したのが水戸藩であり、以降茨城は関東の重要な食糧庫として存在してきました。

土木事業とはこのように、人々にゆたかさと安心安全をもたらしてきたものでした。

さてわたしは中国五行論が好きでオタクなのですが、学問のなかでしかし土木は業の深い職業という解釈があります。

なんでかな?とその理由を考えたとき、やはり土木事業は人類の文明進化に欠かせないと同時に、権力者の特権でもあるからではないかと思いました。

なぜなら古代から土木事業の権利を得れば、支配者もしくはそれに近い地位が得られる仕事だからです。

現代に至るまで、いまだに不動産業や建設業などが経済界で幅を利かせているのも原点を辿れば人類の農耕文明の成り立ちに理由があります。

そもそも栽培には土地がいる。

自分が住む家を建てるための土地がいる。

なるべく条件の良い土地がいる。

そして大水に対抗するための土地がいる。

土、土、土・・・

豊かさのためには土を我がものに、それは人類が「土」にかけてきた呪いとも言えるのかもしれません。

だから五行論では土=財となっているのも納得です。人間界では土を制することが物質的豊かさに直結するからです。

土は水を剋します、大河を制圧できるのは土だけ。

しかし同時に土は欲望の化身でもあり、水の象徴である帝王の品格を堕落させ、破壊的な土剋水はすべてを腐らせる泥水となって結果的には全体を死へと向かわせます。

なんのための土なのか、それを忘れたら、ただの奪い合いです。

だから何事も「どう使うか」が肝心です。

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そういえば、博士は土を発酵させる天才でした。

どんな化学汚染された土地も、発酵の力で必ず無毒化していた博士。

権力闘争のために土を悪用する人もいるけど、博士みいに土の力を最大限に発揮させる善人もいる。

それくらいに人は、良くも悪くも無限の才能と無限の選択を持って生まれてくるのだと思います。

人間てやはり、すごい生き物だと思う。

猿の上位変換からスタートして、ここまで進化してきてるのは、本当にすごい、わたしたちはとてもすごい種としていま存在してる。

その知性と創造性を破壊的に使うことはとても残念なことです。

楽しい楽しい収穫の食卓から100mしか離れてない水浸しの田んぼと崩れた堤防を、物悲しい空の下で見ていたら・・・

人間はこのあとどうなっちゃうんだろうと思って、ずっと考えてしまいました。

#日記 #エッセイ #自然災害 #農業 #環境問題 #台風 #那珂川 #禹王 #土木 #人類と文明  




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