祝福された船アンダンテ号のほぼ果てしない旅・ライルとの出会い


 ゲートをくぐる時ライルはいつも何か歴史的大発見があるのではないかという期待にワクワクするのだが入り口あるいは出口というのは周囲に影響を及ぼさないようほぼ何もない宇宙空間に設定されているのが常だから通った途端に異質なものを目にすることなどまずないので今回いきなり目の前に現れた光景つまり何の必要性があってか実際の材質は精査を待つにしろ見たところ樹木と草に覆われた元は飛行船型宇宙船にはかなり驚かされしかも木陰にぽつんと立つ一軒家の小さな木製ドア以外この船には出入り口らしきものが見当たらないつまり船によるドッキングは不可能であり身ひとつで遊泳して行ってあのドアから入る以外方法がないらしいという結論に達した時にはいやそんな筈はないどこかにハッチはある筈だと思うが少なくとも見た目上どこにもそんなものは見当たらず更に驚いたことには単に慣性でそこにあるように見えるそれが実はごくごく僅かながら着実に意図的に移動しているという事実に困惑しつつ見入っているところに資料が届いたとメインコンピュータのシムが告げるので解析を指示しておいて席を立ち戻って来たライルにシムが言うことには件の船に入るには音声入力が必要でそれは通信によるものではなく家のドアの前に立って肉声で指示するのが原則その音声はイフタフ・ヤァ・シムシムだというから思わず笑ってしまいシムシムと復唱したライルに天井から降ってきた不機嫌な声がシステムとは無関係その音の並びが意味するところは開けごまだそうですと言えばああそれは聞き覚えがなくはないこの系統の宇宙では比較的高率に知られている言葉だと返しながらしかし実際にコマンドとして使用されている例は初めて出会ったなるほどさすがは5050の宇宙正確にはTHWbWT5050だがそもそも多元宇宙歴史学において人類の起源を地球とする少なくともそういうことになっているTH系宇宙の分類法としてWbウィンブルドン法即ち或る一時期に地名を冠した有名なスポーツの試合があったかどうかで大分する方法は決して主流ではないがライルが好んでこれを使っているのは試合そのものは分岐に何の影響も及ぼしていないにしろそれが歴史上に現れた前後でかなり大規模な分岐があったのは確かだからで事実それ以前の歴史が完全に一致している例も少なくなくTH系をほぼ二分することができる上にWbを冠する半分の内この試合における晴天を確保する為に魔術と科学技術のどちらをどのくらい利用していたかがその後のその世界における魔術と科学技術の有り方をほぼ正確に象徴するという事実は興味深くそしてどちらが多いかは別としてたいていは10~30対90~70ぐらいのこの数字が稀にどちらかのみということもなくはないが丁度半々というのは他に類を見ないその5050宇宙にして初めて存在するこの船はシムが要約してくれたところによれば新しい船に箔をつけたかった船主と祝福を依頼された魔術師双方の確認不足による手違いで生まれたのだがどちらも悪気はなくその高名な魔術師がそれまでに祝福したのはフェリックスという名の少年やアレグラという名の少女ラッキーという名の子犬やゲイルという名の馬だったということを船主が知らず超高齢魔術師の方も自分の祝福呪文が汝の名が真となるようにという意味だという事実を既に忘れて久しかったので乗客がのんびりくつろぐことを意図してアンダンテ即ち歩く速さと名付けられたこの船は力ある魔術師に祝福されてステーションを離れその最初の航宙が殆ど始まりもしないうちに一連の裁判は始まり持ち主は被告席で臨んだ最初の訴訟つまり乗客との訴訟に勝てなかったのは勿論原告として造船会社を訴えた訴訟にも勝てなかったのは公的機関による調査の結果内燃機関は完全に機能していたからで続く魔術師を相手取った訴訟にも勝てなかったが彼が名声と財産の殆どを失ったのはおそらく拘るべきではない勝訴に拘って魔術師協会の看板たる超高名魔術師の祝福を呪い呼ばわりしたが故にフェリックスやアレグラの子孫が集めた或いはラッキーの飼い主やゲイルの持ち主の子孫が集めた何より下着メーカー暖ガニメデ支社が集めた署名に太刀打ちできずそれが呪いではなく確かに祝福であると公の書類に記載されてしまったからで呪いであったならばそれを無効にする魔法は存在するが祝福に対してそんなものは必要なく故に存在しないという建前がまかり通ってしまったからだが訴訟の開始を待たずして世を去った件の魔術師の曾々々々孫の同情を得られたのは不幸中の幸いで魔術というものは物理の法則を無視しているようで実はそうではないので本来亜光速で航行する船を歩く速さに留めておく為に宇宙空間に廃棄されることになった莫大なエネルギーをもってすればどんな装備も可能であり外面に大気を纏うという移民船クラスの大型船でさえ持ちえない重力を初め要不要に関わらず様々な装備を得ることができたものだから一時は世捨て人たらんとしていた船主の死出の旅は付き合い始めたばかりだった若い恋人の密航によりハネムーンと化し驚異的な妄愛と忍耐力で三年と二か月を船で過ごした二人が帰還した後は外界から完全隔絶され得るハネムーン先として一世を風靡し莫大な利益を得て借金の全てを返済したもののあまりにも隔絶され過ぎるハネムーンは早々に飽きられ需要がなくなり再び負の財産と化したその船はしかしあらゆる事故と攻撃から護られ老朽化さえも免れて既に三千年という宇宙の歴史から見れば一瞬とはいえ人の一生に比すれば永遠にも等しい時間を経て現在は博物館として当初の目的地である冥王星を目指しているが内部の一画は今も宿泊施設として利用可能ということなのでこれまで多元宇宙を忙しく飛び回って来たライルとしてはこの辺でちょっと休暇をとってそのほぼ果てしない旅のほんのひと時に付き合うのもいいかもしれないと思い始めている。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?