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ユニの言葉から

『マイディアミスター 私のおじさん』。
ユニが言う。
「私が(夫のドンフンに)電話をかければ、「家族で食事している」と答える。
そこに私はいないのに」
と。
ドンフンは、3人兄弟の次男。『家族』とは、老母と兄弟。

「母の入院費は出せなくても、
あなたのお母様の新居には3000万ウォンを惜しまず出した」
と。


なんとも、言葉にできないのだけど、ただ、
心の中で、ユニと似通った気持ちを感じる。


別に、
だからといって不倫などしたいと思ったことはいちどもないし、

ドンフンを非難するような気もないし。

ただ、

そういうの、あるねえ…と、心の中でユニとまばたきを交わすのを感じるだけ。
たくさんの女性たちと、同じ思いを共有しているのを感じるだけ。

いいとか悪いとかではなくて、
そういうの、あるねえ…。

ユニが言う。「司法試験に受かったとき、この街を出ようと決めた。でも、あなたがいやがった」。

後渓って、都会に見えるんだけど、
街の大半が顔見知りで、なんらかのつながりを持っているらしい。

以前3年近く住んだ地方都市に似ているような気がする。

夫の転勤により移り住んだ私に、
「こんなにいいところに来れて良かったね」
と、優しく言ってくれた人たちもいた。
でも、数ヶ月後PTA役員選出で名簿が配布され、推薦方式で私が中3のクラスの役員に選出された。
知り合いなどほとんどいないのだが。
顔も知らず話したこともない人も、私の名前にマルをつけたわけだ。
理由は、
「よく知っている人には悪くて、知らない人の名前を選ぶ」
ということ。
その土地の、それが常識らしかった。

「ここの地域で良かったね。
ここのへんは、『余所者』はあまりいないから、安心だし」
と、ある意味究極の『余所者』のはずの私に言ってくれる優しい人たち。

子どもたちの社会でも、
意見が対立すると、無条件で周りが相手につき、孤立させられるとのこと。
どうして、かというと、
「だってあいつとは幼稚園の頃からの知り合いだから」
と、やや すまなげに、
しかし、それは避けようもなく仕方のない正当な事情だ、という調子で、答えるのだという。

あるとき、新聞に連載されている土地の民話には、

昔、橋のたもとに人柱をたてることになったが、誰を人柱にするかで頓挫していた。
皆、顔見知りで親しかったからだ。
そこに、旅人が通りかかったので、村人みんなで旅人に事情を話して頼み込んだ。
旅人は、
「わかりました。私には身寄りもいないので
人柱になりましょう」
と答えて、生き埋めになってくれた。
皆は、旅人に感謝して手厚く供養した。

という話が載った。


………おそろしや。

だんだん知り合いが増えるに連れ、
「ここは、どこにどういう知り合いや血の繋がりがからまっているかわからないから、うっかり失敗できないから、ほんとうのことでも言えないの」
と、話す人も増えてきた。

後渓って、それに似たところがあるんじゃないだろうか。

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