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弱い立場の人が暮らしやすい社会こそ

10/20加筆修正。

年収の壁 支援強化パッケージ と謳い上げつつ、具体的なことはまだわからない政策がある。

私個人の持っている印象は、
第三号被保険者の縮小・廃止に向かって舵を切るつもりかな…?
というもの。

第三号被保険者…健康保険の被保険者であり国民年金第二号被保険者(厚生年金被保険者)である者の配偶者であり年収が130万円未満である者が、配偶者の健康保険の被扶養者かつ国民年金第三号被保険者の手続をすれば認定される立場。

日本年金機構のHPでは、第三号被保険者について、以下のように説明されている。

国民年金の第3号被保険者は、ご自身で保険料を納付する必要がありません。
これは、配偶者である第2号被保険者が加入している被用者年金制度(厚生年金保険や共済組合など)の保険者が集めた保険料や掛金などの一部を基礎年金拠出金として毎年度負担しているためです。(国民年金法第94条の2,同94条の3,同94条の6)


私がこのことを知ったのは、社会保険労務士試験対策答練セミナーの教室でだった。
択一式の選択肢のひとつに、
国民年金第三号被保険者の保険料は、納付されていない。
というのがあった。
ああまたこれか。はいはいはい。専業主婦が国賊のように貶められているこれね。ごめんね生きてて!と、やけくそのように思いながら、その選択肢をマルとした。しかし講師の解説では、その選択肢はバツだった。
その講義の後で、私は思わず講師の所に行き、「ありがとうございます!!これで私は、自分を許してやることができます!!」と言った(※別に講師がその制度を作ったわけではないが言わずにはいられなかった)。

国賊まがいの言われようをしてきた。
タダ乗りだ、寄生虫だと。
だけど、夫は転勤族で、身内はおろか知り合いさえ一人もいないところにだって家族帯同で引っ越してきた。私には持病があり、子ども達の社会は甘くない。転校生は、まず初めにいじられ、試される。下の子は中学生の時、3人グループに後をつけられて、動画にとられ、youtubeに投稿されたことがある。さすがにクラスの友達が、「あのやり方は酷い。削除してもらった方がいい」と教えてくれた。上の子がその動画の内容を確認して削除依頼を出し、並行して私は中学校に話をしに行った。中学校の対応は早く、すぐに動いてくれ、投稿者に命じて本人による削除をさせてはくれた。
※youtube殿。まともな研究者やまともなジャーナリストの投稿に対して言論弾圧のようなBANにいそしむよりも、こういう悪質な意図のものを取り締まってはいかがか。
各家庭が落ち着いていない状況で、専業主婦悪玉論を展開してどうするのだろう。ああこの国は、少子化対策と言っても更に少子化を促進する為の対策をしているのだろうな。
都道府県が変われば教科書も変わる。下の子は、以前の中学校の書類不備により、単科目ではあったが1か月間新しい教科書がもらえないままだった。1か月経ってやっと子どもが私に告げたので、そこからの手続となった。高校受験対策は、それまで居住していた都道府県で積み重ねてきた成績の調査書が判断基準として役に立たなくなるという梯子外しに遭う。上の子は、理系特化の進路を志望していたので国立高専(現在は、独立行政法人国立高等専門学校機構だが)進学で5年間寮生活をすることができ、父親の転勤による学業への影響を回避することができたが。
子どもが中学校の途中での転勤は進路を考えるうえで大きな問題をもたらしうるため、転勤族家庭は特に子どもの成績を上げるよう自助努力で補わなければならない。

つい転勤族のことばかり書いてしまった。自分の立場となるとどうしても熱くなる。反省。でもこれらは、ほんの一部分・氷山の一角だ。

共働き家庭も、大雨の日に綱渡りをしているような死に物狂いの日々だと思う。

先日、出勤の際、すぐ前を走る車の様子が気になった。前方車両が発進してもしばらく停まったまま動こうとしないことが幾度もある。前の車のルームミラーに映る運転者の視線の行き先が、前方ではないように見える。目を伏せているようにも見える…?
いちど、助手席に向かって覆いかぶさるように上半身を傾けるのが見えた。
多分何かに気を取られているのだろう。気になるので距離を空けた。
それがきっかけで、思い出したことがある。
3年ほど前の朝、家族が、3台玉突き事故の一番前になって追突された。最後尾の人は、後部座席に設置したベビーシートに1歳児を乗せ、振り返りながらその子に朝食を食べさせていたという。車を運転しながら。1歳児を保育施設に預けたら、出勤する予定だったらしい。

もちろん、だれもがそうではないし、その人も、その日に限ってだったかもしれないけれども、おさなごを預けて働くのは常に忙しく、緊張の連続であろう。
しかし、
「今は共働きが当たり前」・「第三号被保険者はなくすべき迷惑な存在だ」
と言い慣わされてしまうと、人は、そう思わなければならないと刷り込まれてしまうのではないか?
誰しも、人生の中で、思うように動きが取れないとき・仕事ができない時期に陥ることはありうる。
第三号被保険者は、そういう時期にある人・そういう人を守り家庭を維持している人を保護し、簡単には窮地に陥らせない・格差を拡大しない制度ではないか。
やり玉にあげられがちなのは主婦だが、思いがけず失職した夫が、第二号被保険者である妻の扶養に入って第三号被保険者になり、就職先が見つかるまでの間を家族が経済的に困窮せずに落ち着いて暮らせる例もある。

問題なのは第三号被保険者という制度ではなく、保護される必要に迫られなくなってからもその制度の恩恵にあずかり続け、例えば10月も半ばを過ぎれば「扶養の範囲で働きたいので」と勤務先に調整を申し出て勤務時間数・勤務日数を極端に減らし、年末の忙しい時期に向けて勤務先が人手不足にあえいでいる(まあ、勤務先の方も、非正規ばかり増やさず正社員の雇用を基本とすれば…とも言えるけれど)、というやり方ではないのだろうか。
これまで守られてきて、若い世代のはしごを外すことに加担するのは、恥ずかしいふるまいではないだろうか。

保険者は、第三号被保険者というお荷物:第二号被保険者の被扶養配偶者という制度がなくなれば助かると考えるだろうか…?

現在の世情は、「『強い民意により』第三号被保険者という『旧時代の遺物である制度』を無くす」というストーリーのもとに動いているかのように思える。
政策は、『民意の後追い』というストーリーを必要としているように思えて仕方がない。
郵政民営化のときもそうだった。その前後に、ゆうメイト(郵便局の期間雇用職員)として働いていて、郵便局職員たちは世間の視線に委縮して硬直しておびえているように感じた。そうなると人の感情としては、弱い立場に負の感情を向ける。本務員たちの不満は、期間雇用職員に向けられやすかった。

弱い立場の人は、声が上げにくい。その、おずおずと遠慮がちな声は聞こえない。その立場の人たちの不満は、不安は、悲しみは、どこに向けられるだろうか。
弱い立場の人が暮らしやすい社会は、人を否定しない。
誰もが弱い立場になりうる。いつそうなるかわからない。

自民党政治が、まだまともだった時期に作られた制度を、簡単に否定するのではなく、今は落ち着いてよく考える時期だと思う。


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