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成人式の想い出

2024年に成人されるみなさま
おめでとうございます。
みなさまの未来が明るく輝かしいものでありますように。

我が家も次男が成人となり、親としての役目の山はある程度これでひと段落かな?と思っている。

ふと振り返り、私の成人の時のことを思い出すと、あの時にはよくわかっていなかったことがたくさんあるので記しておきたいと思う。

当時、私は広島のバス会社のバスガイド。
1月は比較的仕事が少ないとはいえ、その日が仕事なのか休みなのか、半月前にならないと判らない為、成人式に出席する予定などまったくなかった。

たまたま前日は仕事が待機だったので、会社が主催の式に出席をした。
服は制服だったが、髪の毛があまりに決まらず、仕方ないので前髪をあげて大きな髪留めで止めたら、とてもじゃないけど成人とは思えぬ幼さになった。

会社で成人式をしてもらったよ、と実家に電話をしたら
明日のこちらで行われる式に出たらいいのに、と母が言う。
明日も仕事は待機。休みを取ろうと思えば取れる。
「じゃ、帰ろっかなぁ」程度。
たまたまちょっと前に友達の結婚式に出席した時に買ったスーツで出たらいいか、と持って帰った。

ところが。

母は私の為に振袖を作っていた。
自分の行きつけの美容室さんに無理を言って予約も入れていた。
昨日の今日で、私は出る予定もなかった成人式に、立派な振袖を着て
出席させてもらった。

ここで何度も書いているが、母は私の実の母ではない。
私が12歳の時、父が再婚して、縁あって私の母になってくれた人である。
34歳という若さで、12歳の難しい年頃の娘の母になった人。

着るかどうかもわからない振袖を作り、私がもしも出席した時にいい思い出になる様に。
お金も相当かかっただろうに。
貸衣裳でいいのに。
どんな気持ちで作ってくれたのだろう。
血が繋がらないが故に、肩身の狭い思いをさせる訳にはいかないと思って
黙って用意してくれていたのだろうと思う。

その当時も感謝はしたけれど。
今になったら、どれだけ私を気遣い、母親として覚悟を持って向き合っていてくれたのか、と、書いていても泣きそうな気持になる。

私には、その母のDNAは流れてはいない。
だけど、母が育てる事が出来た娘は私だけ。
足元には遠く及ばないが、少しでもあの温かくて強くて広い心を
自分の中に植え付けたいと切に願う。

忙しさに忘れがちな事だけれど。
呪文のように唱えたい
「あの母に育てられた私なのだから」と。

お正月は帰れなかったので、どこかでちょっと実家に帰ろうと思う。
そしてあたらめて「あの時はありがとうね」とお礼を言おう。

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