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「あなた」という特等席

なぜ、公に放たれるサイトで
文章を書くのか。

なぜ人は歌って、描いて、踊って
それを公開するのか。

なぜ、ひとりごとより
誰かに聞いてもらうと、気持ちが落ち着くのか。

なぜ、わざわざ知らない人の意見に
突っかかるのか。

SNSをほとんど見なくなって1ヶ月。
ネトフリ等のサブスクも解約し、
テレビも映画も見ない。

不便なく過ごせている。

それでも、時々こうして
ネット上に何か書きたくなる。

なぜだろう。
日記なら、自分のテキストソフトで
書けばいいものを。

表現することで、
自分の存在を認識したいのかもしれない。

発信する場所がある = 世の中の一部である ことを。

少なくとも私は、こうやってnoteに書いたものが
ネットの海に放たれて
どこかの誰かの目にふれる可能性が発生することにより
世の中とのつながりを感じたい。気がする。

フリーランスで、仕事はすべて遠隔で、
日本でも、ここでも、
気軽に話せる友人が少ないのもある。


最近ジャンプ+で読んだ漫画
『なんにもない、なんでもない』に、
ぐっときたセリフがある。

ポケットに入れて、つど読み直したくなるような。

物語の結末に関係するので
ここには書かないけれど
ぜひ読んでほしい。

近所のおじいさんと、
目に見えた不幸がないけど
なぜか毎日しんどいことに
モヤモヤする女子中学生の話。


この漫画を読んで、改めて
人間てちっぽけだなぁと。

大きなシステムの
いち構成要素にすぎない。

大したことないからこそ、
好きにしたらいいなと。


だからって、
暴力や殺人はどうかと思うけど。

地球の外から見たら、それすらも
ただの事象だ。悲しいけど。

私たちが、それをどう捉えるか。
 
それだけ。


生まれ変わることが
あったとしても、

その名前で、その肉体と環境で
「あなた」を生きてるのは、今のあなただけだ。

偶然でも、その身体に宿ったなら
「あなた」を満喫するのも、アリだと思う。


何かを成し遂げなくてもいいし、何もしなくていい。

何かをするのもいい。

何歳でも、意外といろいろできる。

60歳でハワイで資格をとり、
マッサージの仕事をはじめた友人もいる。


どう生きても、
「あなた」も「私」も「彼ら」も
これっきりだ。

いつか終わる。


世界中で、あなただけが
「あなた」を体験できる。

すごく、特別な存在に思えないだろうか。


ぜひ「あなた」という
特等席を満喫してほしい。

私も、生理2週間前のPMS中は
息してればOKの「私」の体験を、
悔しいと思いながら、
満喫している。

正直うんざりもする。

本当はバリバリ仕事したい。
つくりたいものもたくさんある。

自分の弱さを責めても、女であることを責めても、
「私」という設定は変わらない。

じゃあ、その中でどうするか。
そんなゲームをしている。

これも、地球の外から見たら
全然大したことないのだ。

だから、死ぬとき後悔しないことだけ
最低限やってればいいのかもしれない。

Don't take life too seriously.

みんなも、それぞれの
人生ゲームがあるんだろうな。


写真は、先日訪れたイタリアのヴィーガン猫カフェ。
Romeow Cat Bistrot という、名前まで洒落たカフェでした。
ローマにあるからローミャオて。良すぎる。。

イタリアとフランスの猫カフェについても
後日を記事を書きたい。


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