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妙晶について

はじめまして、慈泉寺の妙晶です。 仏教を市井へ広めることが専門の僧侶「布教使」として、法話を主とする布教活動を行ってます。 また、その傍らで、社会の中に活きる僧侶となるべく、その在り方を日々模索中。 絵を描いたり、WSをしたり、お手紙書いたり、お話ししたり、いろいろやってます。 そんな妙晶の活動を、ざっくりまとめました。 どうぞ、よろしくご覧くださいませ。 *************** プロフィール ・1995年1月17日生まれ、香川県出身。 ・高校卒業後

    • 墨色の法衣と緑髪

      私のトレードマークにもなりつつある「緑髪」 これについて、最近は特に「して良かったなぁ」と強く想う。 これによって「偏見」や「差別を受ける身」になれたからだ。 どれだけ一心に職務へ励もうと「目立ちたがり」「不良」「仕事を利用して売り込んでる」、そんな罵倒を受ける。 ようやく得始めた実績も「若くて女の僧侶は珍しいから」「たまたま外見や才能に恵まれただけ」と、努力は認められない。 これがちゃんと耳に届く状況に在れたことは、真宗僧侶として本当に良かったと想う。 そうじゃ

      • 掛けられた想い

        大切な先輩が亡くなった。 今以上に駆け出しで、誰にも相手にされず孤軍奮闘していた頃、初めて「一人前の僧侶」として認めてくれた人だった。 僧侶という仕事にプライドを持ち、やり甲斐を持って全力で取り組んでいる人だった。 だからこそ、そんな人に「貴方なら信頼出来る」と任せて貰えたことが本当に嬉しくて、支えになった。 「大切な場を預かる」という気持ちは「大切に作り上げ、守る姿」を見せて貰えたからこそ、受け取ることが出来た。 今の私の胸に宿る矜持は、この先輩から頂いたものだろう

        • 『まだわからないだろうけど』

          私は、社会生活において相手を問わず異議は申し立てるタイプだ。 しかし、それが成立することはあまり無い。 「対話」が成り立たない。 そもそもの聞く耳が持たれないのだ。 これは、僧侶になった当初に打ちのめされ、「対話には論だけじゃなく『向き合おう』と思わせるだけの存在であることが必要だ」と強く感じた。 だからこそ、努力を積んできた。 「無視されない存在」に成りたかった。 しかし、結局言われたことは「私達は多くの経験を積んできた大人だ」「若いお前にはまだ分からないだろうけ

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        記事

          「世の中、汚ねーなー」

          ヤフコメに「トー横キッズと気が合いそう」という書き込みがあったので、行って来たなう。 雨天もあって、残念ながらトー横キッズとは遊べなかったけれど、そこそこ満喫旅が出来た気がする。 「東京は降りる駅によって人が全然違う」 前々から思っていたことだけれど、今回がそれを一番実感した。 関わり方や距離の詰め方、「人それぞれ」はもちろんあるけれど、地域性が間違いなく有るなぁ…と。 住んでいるからそう成るのか、そういう人だからそこに住んだのか、不思議である。 歌舞伎町で働いてい

          「世の中、汚ねーなー」

          春季永代経法要@慈泉寺

          様々な御縁を頂き勤まった、此度の春季永代経法要。 新しい試みといえばそうなのだけれど、どれも「なるべくして成った」ような、どこか懐かしさがよぎるありのままの帰結であった。 そして、それは「歴史の踏襲」から来る影響が大きいように想う。 伝統文化を受け継いだ人々によって、演じられる数々の業。 「大切な人との別れを受け、何も失わずに生きることは出来ないと実感した。でも、貰ったものを守り繋ぐことは出来る。失うからこそ、貰ったものを大切にしたい。」 法話であれば「念仏相続」と

          春季永代経法要@慈泉寺

          「生きなくて良い」という救い

          ふと思い立ち、過去載せて頂いた新聞やらをまとめてみた。 有難いことに、25歳から様々なメディアへ取り上げて頂いて、想像以上の記事が集まった。 ところが、去年の下半期からペースダウンが目についた。 それもそのはず、2022年はひさしぶりの希死念慮が猛威を振るい、死なないことで精一杯だったのだ。 折角良いペースでやれることも増え、チャンスに恵まれていたのに、余裕が無くてなにも出来なかった。 その事実がまた首を絞めて、あれよあれよと自殺志願者。 起こる全てが死ぬ理由に繋が

          「生きなくて良い」という救い

          御守り

          「梛(なぎ)」という木がある。 その葉は葉脈が縦に走り、引っ張っても切れにくく丈夫であることから「縁が切れない」「御縁を結ぶ」縁起の良い木であると重宝されてきた。 そんな梛の木を御神木とする神社が京都に在り、名を「元祇園梛神社」という。 この神社は全国的にも珍しく「元祇園梛神社」と「式内隼神社」という二つの本殿が境内に隣り合い建っている。 そんなおおらかさがなんだか好きで、数年前からお正月にはこの神社へ詣り「梛の実」というおみくじを買って帰るようになった。 梛の実は

          2022年、振り返り。

          思い返してみれば、今年は年明けからずっと悪意と敵意に曝され続けた一年だった。 割と理不尽な理由で、色んな相手から代わる代わる攻撃を受け続け、なかなかに苦しかった。 しかし、そんな中で学んだのは「反撃」じゃない「自己の守り方」というものだった。 今年、私は「法律」という他者の力に救われることがままあった。 人と人とが共存するために敷かれた法は、社会生活に於ける問題の答え。 ある意味無機質で、しかし、人間に対して大きな力を持つそれは、とても心強かった。 「いざとなれば自

          2022年、振り返り。

          心は学び、優しさを知る。

          図書館での企画が始まってから早一年。 来月は、全校生徒に向けての講演会が開催される。 卒業してから13年、再び学校へ足を踏み入れることがあるとは思わなかった。 来月の講演会場である体育館、私の中にあるその思い出は悪夢に近い。 当時の私は、教室には行けず相談室登校で、登下校やトイレすら他の生徒と会わないよう時間をずらしてしか出来ない状態にあった。 そんなある日、体育館で行事があると担当教師に相談室から連れ出された。 「後ろの扉から覗くだけで良い」と言われたから着いていった

          心は学び、優しさを知る。

          燻る炎と心の器

          喜怒哀楽といった、誰もが持つ心の存在。 仏教では煩悩とも呼ばれ、これを無くすことが悟りにもつながると言われている。 何故なら、これによって人は争い、傷付き、苦しむからだ。 そんな心の痛みや苦悩は己を燃やし、擦り減り、いつしか我が身を焼き尽くしてしまうだろう。 しかし、私たちの心は、そんな感情の炎と共に、それを包む「器」も備えている。 焼いて固める陶器のように、こころを燃やすことで育てられ、硬く頑丈になるだろう。 「言いたいことを言いたいときにいわず、我慢出来るのが大人

          燻る炎と心の器

          葬儀と最後の贈りもの

          先週、大叔父、祖父の兄が亡くなった。 享年92才、肺癌だった。 亡くなる3日前までピンピンしており、体調を崩して入院してからも、誰もが元気になって帰ってくると思っていた。驚きだった。 大叔父とは、7年前の祖父の葬儀で初めてお会いした。 それから、祖父の実家である大叔父の寺へ時折お邪魔するようになった。 昨年からは布教でも呼んで下さるようになり、お会いする度に沢山お話をしてくれた。 祖父とは年子だったが、幼少期に祖父が養子に出されたからか、兄弟というより友達のような感覚

          葬儀と最後の贈りもの

          日本茶会@三段峡

          遅れ馳せながら。 5月1日に広島県は三段峡にて開催された日本茶会へお邪魔させて頂きました。 原生を残し「風光明媚」を地で行くような環境は本当に心地好く、そんな肌馴染みを受けて「やっぱり私は日本人なのだなぁ」と実感させられた。 豊かな自然に五感ごと薫陶され、心もお肌もとぅるとぅるですわ。 特に硬度9の超軟水が素晴らしかった。 お茶もご飯も美味しい、幸せ。 特別名勝、流石です。 また、会場であった夫婦淵は多くの犠牲者を出した遊歩道橋倒壊事故が起きた場所でもあるというこ

          日本茶会@三段峡

          妙好人という在り方について

          庄松同行の情報収集に当たり、とても不思議なことが分かった。 同行は、その存在や逸話を各地に残しているにも関わらず、公的文書には一切現れない人物だった。 「いつ」「どこで」「なにを」したのか、学術的観点からは全く読み取れない。 正に「口伝」のみで受け継がれた存在で、昨年聞いた西村先生の講演会を思い出した。 「歴史に残らない歴史」 人そのものではなく、揺らされた誰かの心のみが遺っているような。 姿は見えないのに足跡が残る透明人間というか、そんな在り方がまた「妙好人らしい

          妙好人という在り方について

          精神文化と在り方について想うこと

          この世には、精神文化と物質文化というものが存在する。 精神文化:人間の精神的な働きによって生まれる文化。哲学・宗教・芸術・法律・思想etc... 物質文化:人間の文化的行動の産物、人工物。 そして、精神文化には大きく分けて3つのはたらきがある。 ・気付き ・導き ・実感(体感) 食事を例にして説くなら、こう。 ーーーーーーーーーーー 「必要だから食う」…物質文化 「この食事で良いのだろうか」…気付き 「私の求める食とは」…導き 「美味しい」「元気出る」…実感(

          精神文化と在り方について想うこと

          高松興正寺別院@報恩講

          高松興正寺別院の宗祖親鸞聖人報恩講ポスター・チラシのデザインを担当させて頂きました。 高松興正寺別院では毎年テーマを掲げており、今年は「今こそお念仏〜ふれあい〜」だそうです。 コロナ禍により人と人とのふれあいが制限された状況で、仏教は如何にして「ふれあい」に向き合ってゆくべきか。 そんな問いに対する一つの味わいとして、デザインを考えさせて頂きました。 * 「三密」「濃厚接触」「ソーシャルディスタンス」 「だから」人とは触れ合えない。 既存の形を封じられ、多くの大

          高松興正寺別院@報恩講