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『仲秋の坊主喫茶』


仲秋の候、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

私は今日も元気です。


夏の厳しい暑さも落ち着き、朝夕は少し肌寒く感じる日も増えて参りました。

まさに白露と言ったところでしょうか。


この時期は、過ごしやすい季節であると同時に体調を崩しやすい頃でも御座います。

お身体には重々留意下さいませ。

その上で、どうぞ秋の訪れをお楽しみ下さいませ。


なんて、時候の挨拶は四季を持つ日本ならではの文化ですよね。

結構好きなんです、私。


中でもこの『仲秋』はよく耳にされるかと思います。


はい、「仲秋の名月」ですね。

お月見しましたか?

満月の夜はお月見泥棒・夜這いに始まり、古今東西多少のやんちゃを許してもらえる素敵な日です。

はしゃいどかなきゃ損ですよ。

羽目を外しましょう、いぇい。


そんなこんなで、私も羽目を外して来ました。

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イベントです。

香川県は琴平町、金毘羅さんの麓にあります『栞や』さんというお店にて開催させて頂きました。

栞やさんは、本当に本当に素敵なお店です。

私の語彙では伝え切れませんので、どうぞこちらのHPをご覧くださいませ。

香川県へお越しの際は、是非お立ち寄りくださいませ。

むしろ、栞やさんへお越しの際は香川県へお立ち寄り下さいませ。と言いたい。


ぬくもりてぃに溢れる素敵なお店です。

「チャイ子さん」なる美しい猫さんがいます。

素敵です。本当に。


また、『仲秋の坊主喫茶』についても栞やさんの方でブログを書いて下さいました。

こちらも併せてご覧くださいませ。

こちらで綺麗にまとめて下さったので、私の方では個人の趣向に偏ったお話をさせて頂きます。

「イベント内容が知りたいぜ」って方は栞やさんのブログをご覧下さいませ。


私の方は分かり難いぞ。


それでも良い方だけ、GO。



さてはて、そもそもこの話の流れで「坊主喫茶?羽目を外す?えっ?」ってなった方もいらっしゃるのではないでしょうか。

いまいち話の繋がりが見えないというか、ね。


先ずはそこから。


「羽目を外す」とは「自由」「思い切り」といった意味がありますね。


それに対して『坊主喫茶』。

ここにあるのは「お寺」や「仏教」に対するイメージでしょうか。

おそらく「堅苦しい」「厳しい」といった、「羽目を外す」とは正反対の言葉を連想されたのではないかと思います。

僧侶(仏教)=修行というイメージからのことでしょう。


けれど、私の思う仏教の本質はそこに非ず、もっと別の部分だと思うのです。

それは何か問われれば、『心を見つめる』です。


己のこころ

他者のこころ


見えないけれど、確かにある『それ』。

そんな『こころ』を捉えるための教えが仏教なのではないかと私は考えております。


その辺はここらのnoteでだらだらと書いた気がします、気になる方はご覧下さいませ。


そんでまぁ、「こころを捉える」って私のnoteではもう言い過ぎて、ずっと読んで下さってる方は「耳タコだぜ」って感じだと思うんですけど、まぁ頑張れ。


おんなじようなことを繰り返しますが、現代は『こころを捉え辛い』時代です。

それは何故か。


一つに、文明の発達です。

それについてはこちらをご覧じろ。


二つ目は、可視化です。


こころ、可視化されてるんですよ。

まぁ、これも文明っちゃ文明なんですけど。


SNSです。


個人の考えや想いが文面となって、こちらが知ろうとする前に勝手に手元へ届くようになっちゃった。

バカッターと呼ばれるような愚か者も、SNSが無ければ自分も他人もあんなに愚かだなんて知らされることはなかったと思います。

SNSさえ存在しなければ分からなかった心の内が、目に見えて晒される時代になっちゃったんです。


おそろしい。


でもね、SNSで知れる『こころ』は本質足り得ないのです。


何故か。


所詮『独り言』だからです。


前回のnoteでも書きました。

社会における『存在』は「他者と交わして」こそ成り立つのです。


「私はこう思う」だけでは、駄目なんです。

それはこころのほんの上澄みでしかなくて、その先にある本質まで潜るには「どうしてそう思うの?」という他者の眼が必要なのです。

己のこころを捉える為なら、他者のこころが不可欠。


なのに、SNSで上澄みを掬いあってそのこころ全てを知った気になれちゃうもんだから、交わさない。

「これで良いじゃん」って、受け皿がないから交わせない。


知ってるはずなのに、繋がってるはずなのに、浅い浅い上澄みだけの交流だから、孤独感が拭えない。むしろ強まっちゃう。


現代病ですね。


だから、こころの羽目を外す場が必要なのです。

羽目を外して、思いっ切り交わし合う場が必要なのです。


『仲秋の坊主喫茶』は、そういう場でした。

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出会ったばかりの人たちと、友人ともしないような、こころの奥に触れる話をする。出来る。出来た。


それは、直接日常では関わるが無くなった『僧侶』という存在が醸し出した非日常感故なのか。

ならば、この『坊主喫茶』なる空間は、現代における僧侶だからこそ作り出せた場なのかも知れない。



この世の中に人間は沢山居て、国内であれば言語が通じる。

他の国の言葉だって喋れる方もいるでしょう。


けれど、その言語の通じる方の中で話が通じる人は何人居ますか?

さらにその中で、こころの通じる人は?


一人でも浮かんだなら、貴方はとっても幸せ者。


世の中って、そのくらい生き辛くて難しいんです。

誰かと笑い合って過ごすなんて至難の業、もんのすごく有難い事なのです。


でも、楽しく生きたいじゃあないですか。


だからね、学びましょう。

我々宗教者が先人の教えを現代に合わせた形にして伝えます。

建築家が災害に強い家を作るように、医者が新たな治療法を見つけるように、宗教者は心の在り方を探します。


みなさんも、そう思ってくれたら嬉しいな。


そんな気持ちで来月、10月11日にまた坊主喫茶を開催します。

会場は東京のおむすび専門店『まい芯』さん。

詳細な情報は、FBページにて追って連絡致します。



どうぞ、よろしくお願いしますね。


では、また。




ありがとう、だいすき。