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『Beautiful Harmony』


こんばんは。

夏バテ中の私です。


暑さに弱いんですよ、運動会の練習で必ず倒れるタイプの子です。

日光に弱過ぎて前世はバンパイアなんじゃないかと疑っています、常に貧血気味だしね。


だけど、冷房も苦手なんです。困ったことに。

これはもう、夏バテるしかないよね。


アイスにリキュールがせめてもの抵抗です。

チョコアイスにミントリキュール、おいぴい。



はい。

週1note最終回です。


最後だし、なんかキリの良いお話がしたいですよね。


何が良いかな。


皆さん、もう『令和』には慣れましたか?


このnoteを始めたのは今年の4月、adṛṣṭa phalamが終わらなくて
「元号を跨いじゃいました」って書いた覚えがあります。

あれからもう2か月、3か月目か。早いですね。


その間に色々、まぁ色々ありました。よね。

良いことも悪いことも。


時代が変わったんだから、そりゃあそうでしょうよ。


なんて、そんな実感有りますか?


『あぁ、時代変わったなぁ』

『これが「令和」かぁ』


なんて、噛み締めましたか?


私は噛み締めてないよ。


4月も5月も変わらずネコさんは尊かった。

きっと9月もネコさんは尊い。


人間の決めごとなんて、そんなものです。

己がそうあろうとしなければそうはならない。

20才になったからと言って自動的に大人に成れるわけじゃない、そういうものです。


だけど、それでも時代の流れというのはあってですね。

過去の歴史を振り返れば、やはりそれぞれの時代ごとに特色っていうものがあると思うんです。

それはどこに現れているのかというと、やはり名前、『元号』です。

時代を象徴しているんですよ。


例として「平成」から見ていきましょう。

これは字の通り「平を成す」と読みます。

「平」とは、「平穏」とか「平静」といった意味合いで、それを「成す」。

ざっくり「世を平和にする」という意味ですね。


それを知った上で「平成」の時代を見返すとどうでしょうか?


平和、でしたか?


もちろん、事件が無かったわけではありません。

改元の際には、平成に起きた事件を集め「怒涛の平成」みたいなキャッチコピーをつけた番組が沢山流れていました。

そう捉えようと思えばそうともなるでしょう。


でも、私は平和だったんじゃないかなぁと思います。


そして「平」は「平等」という意味もあります。

学歴とか性別とかあらゆる差異が、この期間にだいぶ薄まったように思います。

それも、「平成」時代の特色なんじゃないかな。


「こじつけじゃん」って思うかもしれないけど、こういう見方も面白いよ。


そんなこんなで、お次は『令和』です。


『令和』

これを書き下すとしたら「和を令する」でしょうか。

「令」は「命令」や「掟」、「和」は「和合」「協力」など。

英訳は「Beautiful Harmony(美しい調和)」で統一されたそうです。

総理の挨拶でも「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という意味を込めたと説明されてましたし、他者間における「和」という部分に焦点が置かれたということが伺えますね。


これ個人的にはですね、めちゃんこ良いなぁと思いました。


なんでかっていうとね、「他者間の和」。

つまり「協力」って、人間にとってすこぶる重要な事柄だからです。


そもそも、人間がここまで絶滅せずに生きて来れたのはその「協力」というスキルのおかげなのです。

個々人の非力さ、半端じゃないからね。

一人じゃ何にもできない、犬さん一匹にも勝てない。

勝てたとしても、負った傷を治すのには他者の力が必要でしょ?


一人じゃね、生きていけないんです。

綺麗ごとでも何でもなくて、力を合わせて、協力して、出来ないことを出来るようにするのが人間という種の生き方なんです。


今だってそうです。

誰かに作ってもらったPCでnoteを書いてます。

私の力だけじゃ皆さんにこの言葉は届けらんないよ。


支えられて生きる私です。


だけど、現代はそれを自覚し辛い。


平和な世では衆より個に意識がいっちゃうんです。

「私が調理した」

「私が稼いだお金で買った」


その食材は誰がつくってくれたの?

お金を出して買ったその服は誰が?


私の前に誰かを通ってきたはずなのに、自分が触れた部分しか捉えられない。

想像しなきゃわからない、見えない誰かが見えないんです。


「いただきます」が、「食材の命」や「見えない誰か」を素通りして、目の前で調理したお母さんにしか向けられないんです。

それが、現代ってやつなんです。


どう思う?


怖ろしいのは、それでも生きられること。

他者への感謝も持たず、協力もせず、一方的に貰い続けるつもりでも何の問題もなく生きられちゃうんです。現代って。

楽ちんだよ。


他者の存在を無視さえすればね。


「私さえ良ければそれで良い」

そう思って生きるのであれば、何の問題もないさ。


ただ、人間「社会」で生きようと思うのであれば難しいね。


さっきも言った通り、人間という種の生き方は『協力』なのです。

『協力』無くして人間は成り立たないのです。

みんながみんな一方的に貰い続けちゃったら、人間の未来はDEAD or DIEですよ。


だから、『協力』って重要。

だけど、現代はそれが見え辛い。


どうしようか。


見えるようにしよう。


『令和』

「協力という掟」


やりよったわ。

言って、聞かせて、やってみせ。

分からないなら教えれば良いのさ。


「名前を付けられれば、人間はその事柄と関係を持てるようになる」と、ミヒャエル・エンデさんが言ってました。

言語化って、そういうこと。


こういった意味を持つ言葉を元号として冠する時代。

つまり、意識的に他者と関わっていかなければならない時代が来たのです。

同じ行動でも、他者を意識に含み、より良い道を模索する。

与えられた義務だけでなく、+αが必要。

それが、『令和』時代です。



「いやいや、こじつけじゃん」って思うかな。


思っても良いよ。

信じなくても良いんです。

全部飲み込む必要はありません。


信じなくても「そうあろう」とすることが大事なんです。


先にも言いました。

「20才になれば大人」じゃないんです、「20才だから大人で在ろう」と思うから大人なんです。


時代も同じです。

時代は人がつくるものです。

「こう作ろう」と思えばそうなります。


『令和』

『Beautiful Harmony』


他者との関わり方について、改めて向き合いなおす時代。


私は、好きだなぁ。


そして、そんな時代だからこそ見えない誰かを具体化させる宗教・哲学・芸術は重要になる。

お坊さんは、今だからこそ就く価値のあるオシゴトです。


「生まれる時代を間違えた」って言い続けてきた私だけど「そうでもないかもね」って、最近は思えるようになってきたよ。


そんなわけで、こんなわけです。


暫くのお付き合いを、ありがとうございました。

またね。



ありがとう、だいすき。