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月刊リキップラッシュ 〜釣りの魅力ってなんだろう〜

この月刊ブログは、趣味の釣りについて言葉で整理しようとする最近全く釣れてない自称ベテラン釣りおじさんの雑記  です!

職場の定期ミーティングで、趣味である釣りについてプレゼンする機会が爆誕してしまった。何か月後かに。
人前で話すのはすごく苦手だし、やだなあ。

釣りについて、今まで言葉にして考えたことがなかった。
ので、ちょっと自分なりにまとめてみた。
とにかく思っていたことを書きつらねただけなので、まとまってはいないかもだけど。


はじめに

釣りをするきっかけについて、少しだけ自分語り。

小学校低学年の頃、兄の影響でブラックバス釣りを始めた。
全然釣れなかったけど、池にいるだけでワクワクがずっと止まらなかった。
釣りには行かなかったけど、図鑑で見た渓流に住むアマゴの美しさに見惚れた。

しばらく釣りとは疎遠になり、社会人になって足に車が必需の環境になったため、(車ではなく)オートバイを購入した。
オフロードタイプの、未舗装の林道とか走れるやつ。
契約して納車されるまでの時期(なぜこのタイミングだったのかめちゃ謎)に、未舗装がつづく渓流にアクセスできることに気がついた。

「これなら図鑑のアマゴに会える」

頭の片隅に埋もれてた憧れをふと思い出して、道が拓けた感覚がした。
約15年ぶりに釣りを再開して、それから現在もいろんな種類のお魚釣りを楽しんでいます。
月1,2度程度だけど。


釣り×○○が好き

釣り人は、釣りはもちろん、釣りじゃないところや、そのまわりにあるものも好きだと思う。

釣りに行く前の道具いじり。
釣った魚をさばいて酒の肴にする。
釣り場に着くまでのドライブ。
遠方での釣りのついでに、ご当地メニューを食べる。
水辺におけるさまざまな自然観察。
キャンプを伴いながらの山岳で渓流釣り。



釣り人に尋ねれば、それはそれは千差万別だと思う。

僕の場合は、夜釣りをするときに月を眺めたり、空がだんだん明るくなるのを見届ける時間帯が好きで、空を眺めるついでに釣りをするという感覚がある。

他には、海岸で釣りするついでに流木拾いや、遠方へ行くときは道の駅で買いものしたり、神社へお参りしたり。

何事も対象のものだけを楽しむより、そのまわりに付随するものに視野を広げることで、一味も二味も楽しめると思う。


お魚リスペクト

お魚ってすごい。
水中の世界では、人間はせいぜい2分くらいしか生きていられないのに、お魚は一生呼吸できる。すごい。
小さなお魚でも、目に留めることのできない速さで人間よりもうんと速く泳げる。

月給も社会保険も帰る家もないのに、毎日を過ごしている。
自分より大きな捕食者に食べられることに恐れながら、今日も生き延びるために食べ続けて成長して繁殖を目指す。
生まれた瞬間から毎日がサバイバル。
僕にはとてもできない。素直に尊敬する。

当たり前すぎて稚拙にも程がある思考だけど、心からそう思う。
胸を張って言える。
お魚すごい。リスペクト。


変わらぬシルエット

先日、スウェーデンの釣り具メーカー「Abu Garcia(アブ・ガルシア)」の100周年記念展を見に行ったときの気づき。

2〜3分の繰り返し流れる、歴史を振り返る記録映像をしばらく観ていた。
当時の道具開発や、釣りをしているシーンなど。
一人の男性が、岸から背中越しに逆光で光る水面に向かって竿を振るシルエットを見て、強く思ったことがあった。

「なんだ。道具は進化しているのに、釣り人の姿は今も昔もぜんぜん変わってないじゃんか!」

お魚に夢中になって竿を振るうしろ姿が、今も昔も全く同じで変わっていないのが、なんだかおもしろかった。

きっと100年経っても1000年経っても、ずっとそのシルエットは変わらないだろうなぁ。
そう考えるとなんだかワクワク!

釣りは残虐で儚い

「今日は何を食べようかなー。あ!こんなところにおいしそうなエサがあるー!いただきますパクパクー・・・!?!!!!!?!!?!?
ギョギョ!?ごちそうだと思ったのに口に針が刺さってる!!?逃げようとしてもどんどん岸に寄せられるヤバい殺される!!!!!」

「ウオー、どうやら釣られてしもうた…陸の上、呼吸できないじゃん泳げないじゃんもはや宇宙空間じゃん!苦しい!自分より何倍もでっかい宇宙人がこっち見てめっちゃニヤニヤしてるじゃんキモ・・・水中に帰してクレメンス・・・」

釣られたお魚の気持ちは、きっとこんな感じだと思う。

お魚にはずっと元気で暮らしてほしいけど、釣り人は魚に会いたくて釣りをしている。
大好きな存在なのに、釣りは魚の口に傷をつけ、呼吸できない環境に置かせてしまう残虐な行為だ。

だからこそ、釣り人はお魚に対して最大限の注意を払う。

・貴重な自然の資源として、魚は必要な分だけ持ち帰ってあとはリリース(元の場所に戻すこと)をする。
・お魚がかかったとき、釣り糸が切れて口に針がついたままになってしまわないよう、道具を丈夫なものにする。
・なるべく陸にいる時間をとらない。
etc.

特に、「なるべく陸にいる時間をとらない」ことが自分にとって戒めだ。
釣り上げてからお魚と対面できる時間は、せいぜい数分。
釣れたことに浮かれて悦に浸りすぎたり、お魚との自撮りなんかが長引くと、魚の命が取り返しのつかないことになる。

この儚い数分のために、最大限の注意と敬意を払って釣りをしている。

リリースするとき、言葉なんか通じるわけないのに「ごめんね」と「ありがとう」を何度も言ってしまう。

釣りは一期一会

一匹の魚が釣れたとする。
この一匹を、別の釣り方で釣ってまた出会おうとすることは、完全に不可能だ。
釣り上げた以上、その魚を別の釣り方で釣る確認の取りようがない。タイムマシンが要る。

釣りは、使う道具、その日、その時間帯、天候、水温、風向き、水中の状況、潮回り……あらゆる条件がうまいこと重なって、お魚がエサやルアーに気づき、口に釣り針が触れて、釣り人の下へやってくる。

一つでも条件が違えば、釣れなかったもしれない。
かといってそんなこともなく、いくつ条件が違ったって簡単に釣れたかもしれない。

釣り場の環境や道具を自分で考えて選択して、条件が重なった結果が「釣れた」につながる。

そのときの「釣れた」という正解は、他の選択肢でも導けたかもしれないし、そのときただ一つだけだったかもしれない。
釣れた事実を振り返って、自分の選択は間違ってなかったんだと心が満たされる。

その時に釣った魚を別の方法で釣ることは二度とできないし、これが一期一会なんだなあ〜〜。

釣りってロマンチック

「そんなに魚に会いたけりゃ、池の水全部抜いたり、どデカい網でも投げて何匹でも捕まえればいいじゃないか」と自問した。
そりゃそっちの方が確実に、一度にたくさんの魚を捕まえられる。
だけどなんか違う。
想像してみたところ、魚に会う感動が釣りの方が5億倍くらい大きい。

そう!感動したくて釣りをしている。
この「感動」がどこからやってくるのか考えてみた。
答えは、人と魚、お互い住む世界が別なことにあった。

竿から伝った一本の釣り糸が、水面という膜を堺に陸から水中へ入り込む。
糸の先に結ばれたエサやルアーを、水中のお魚がくわえた瞬間、その振動が陸にある竿に視覚・触覚として届く。

この水中という、届かない・見えない世界に住む生き物からの反応がほしくて、釣りをしている。

釣りは、陸に生きる僕たち人と、水に生きる魚をつなげてくれる。
すなわち陸上と水中、別の世界に生きる者同士をつなげてくれる、とってもロマンチックなレジャーなんです。

魚からしたらいい迷惑だけどな!


おわりに

人と世間話をするとき、「釣りをしたことがありますか?」とよく尋ねる。
(ウソ。あまり聞けてない。そういうこと気軽に聞ける人間になりたい。)

そのエピソードを聞くのがすごく好きだ。
その人がお魚の住む水中の世界に近づいたことがあることが、すごくうれしい。
たとえ釣れなかったり釣りをした経験がなくても、その人にこれから釣りをする機会があるかもしれないと思うと、ワクワクしてしまう。

みなさんは釣りをしたことがありますか?
魚に会うのも、誰かが釣りを通じて水中の世界とつながることも、僕はとても楽しみです。