見出し画像

「危なかった」釣り体験記

 きのう七戸の兄に電話してみたら、渓流釣りの最中、指に釣り針が刺さり、病院で手当てをしてもらったと聞いた。
 釣り針は時には指を指し抜いたり、衣服を痛めたり、時には地球引っ掛ける時もある。
 魚を釣るのが本来の目的だとは思うのだが、特にビギナーの頃はよく色々なものを釣り上げる。
 私なんかも釣りを始めたばかりの頃ほ、単なる根掛かりでも大物が掛かったと勘違いして高価な釣竿なんかを傷めたりした。
 私が釣りを始めたのは東京にいた頃、二十年ほど前のことだった。
 きっかけは久しく逢わなかった友人と五年ぶりに再会した時のこと。彼らと共に活動していたその当時を振り返りながら、苦労話に花が咲いた。
 そして当時の話題も一段落したところでお互いの近況を確認しあう。

 仕事・暮らしぶり・女、そして趣味の話題に差し掛かると、私はパチンコへ出掛けること以外、「遊び」と言えるような話題がなかった。
 彼は寝室の押し入れから竿やリール、仕掛けなど溢れんばかりの釣り道具を持ち出した。
 そして、彼のふるさと岩手の山上湖でのヘラブナ百匹釣り。千葉県五井の川であげた九十センチの野鯉の話などを展開し始めた。
 私の頭の中は既にスクリーンになっていて、巨魚と格闘している彼の雄々しい姿が展開されている。
「釣ってみたい」次の朝、早速彼と千葉県船橋での防波堤でのカレイ釣りに出た。

 十二月。風のない良く晴れた午後。現地、三番瀬は釣り人の多いこと。二・三百メートルの長さの堤防に約五メートル間隔で釣竿が立て掛けられている。
 彼に真似てリールの付いた竿を振り上げた途端、仕掛けは飛ばず足元にコツンと落ちた。
 初心者には必ず覚えのある出来事だ。それからリールの糸をからませる。仕掛けが取れる。エサが付けられない。よその人の釣り糸とオマツリをしてしまう。
 そんなことの度に彼が私に手助けをしてくれる。
 仕掛けをどうやらまともに海へ投げ込めるようになったのは、陽が傾きかけ柔らかな初冬の陽射しに代わって北風の冷たさを首筋辺りに感じはじめた頃。
 私たちは物陰に身を寄せて竿先にアタリが出るのを待っていた。
 そろそろビルの谷間に夕日が落ちる。と、私の投げた竿の先につけた鈴が「チン」と一度鳴った。北風が鳴らせたのだろうと思っていたが、追いかけて二度三度と鳴り出したのである。
 確かに見えない海の底で魚が食い付いているらしい。竿を握りリールを巻こうとした私の手を止めて友人が言った。
「カレイはすぐには食い付かない。アタリがあってから三十かぞえてから合わせたほうがいい」
 待ちぼうけを食らった気分で、その三十とやらが何とも長い。それに待っている間に魚が逃げてしまうことだってあるだろう…
 と思いつつも仕方ない、ここは経験者の言うことを聞こう。三十。リールを巻いた。
「重い!」しかし手元まで巻き上げた時、そこには十センチもあっただろうか、ひし形の木の葉のようなカレイが北風にゆられて目の前にぶら下がっていた?
 それが海で初めて手にした「獲物」だった。

 それ以来、その友人に誘われるままに釣り道具を仕入れ、機会をみては伊豆半島・房総半島方面へ出掛けるようになった。
 以後、釣り仲間も三人・四人と徐々に増えていった。
 こうして始まった私とその友人を中心にしたメンバー達の少し変わった海釣り体験記録を綴ってみました。

 はじめに紹介した友人を「リーダー」と呼称していました。一応ではありますが、当時の私たちの釣り仲間では一番の釣りの経験者でしたので。その彼が伊豆半島石廊崎沖でとてつもない大物を掛けたことがあった。この体験記録はこの一件をメインに展開されていきます。

 私たちは「フィッシング・アドベンチャー・クラブ」略して「F・A・
C」と銘打った釣り同好会を結成した。
 名前の由来に大した意味はなかった。「釣りを通してチャレンジスピリッツを養おう」とでも解釈すればよいだろうか。しかしまあ後でつくづく感じたのだが、大きな看板を立てるよりは「我輩は猫である。名前はまだない」の猫の方がよっぽどりっばなのではないかと思う。猫は自己主張もせずせっせとネズミを捕るのだから。それに比べ私たちは…
 会則らしい事といえば、釣り場でのゴミの持ち帰り。釣行の際、会費を集めて予算を組んだ中での釣り場や対象魚の選択。あとはお決まりの居酒屋での反省会。
 重だった釣行の場所は、小笠原島・八丈島・神津島・伊豆半島・房総半島一円のキャンピング釣行等だった。
 変わったところではエンジン付きゴムボートによる千葉県富津岬・神奈川県観音崎間東京湾横断釣行がある。
 わずか一馬力のエンジンを搭載したゴムボートによる東京湾横断は正に愚挙・暴挙以外の何物でもなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?