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日本代表に緊急事態の意思決定権を

まさかの敗北だった。

しかし、この”まさか”という想いは抽象的であり感情的だったのかもしれない。

予兆は確かにあったのだ。


2月3日(土)日本時間にして22:30頃だったろうか。サッカー日本代表はイラン代表に1-2で敗れ、アジアカップから準々決勝で姿を消す事になった。

史上最高のスカッド、ドイツ代表に完勝した自信、三苫薫の帰還。グループステージでイラクに敗れたものの、きっとファイナルで韓国と死闘を繰り広げるのだろうと、妄信的に信じていた。

あのイラク戦でアラートは鳴っていたのに。


今大会の2度の敗北により、様々な媒体で例の如く戦術的な修正力の低さを指摘されているが、今回は『代表チームにおいて試合中のシステム面の合理的な修正は難しい』という前提で話を進めたい。

4-2-3-1、3-4-2-1、5-4-1を攻守両パターンで仕込み、相手のシステムによってこれをアレンジ、その上でゲーム中に使い分ける。このタスクは途轍もなく困難な事であるとの前提だ。

フットボールをチェスの様に語りたくはなるが、その気持ちは一旦押し込もう。正直、YouTubeや有料コンテンツの発達でサポーターの眼が肥えた事による、戦術批判・監督批判の増加に少し食傷気味になってきた。かくいう私もそんなサポーターの一人なのだが。

そして監督交代についても、日本サッカー中枢の人事について切り込むつもりは無い。金・権利・派閥、諸々の巨大な思惑が絡む世界の事など、企業や組織の全てを池井戸潤のドラマでしか学んでいない私に解るはずがない。


では何を書いていくかというと、もはや現場対応力を高めるしかないという話だ。

森保一監督の代名詞と言えば『ボトムアップでのチーム作り』。これは称賛されるべきであるし、いくら欧州で活動している選手がほとんどとはいえ日本人で構成される組織を率いるこのポジションには森保監督の様な人間性のリーダーが就くべきだと、私は考えている。

その上で、ピッチ上で起こる問題をどう解決するのかというテーマを投げかけたい。



2022年カタールワールドカップを観ていて印象的なシーンがあった。
準々決勝フランス代表×イングランド代表において(別の試合だったら申し訳無い)キリアン・エムバペが撤退の守備をしない事で左サイドで数的優位を作られ、フランス代表が押し込まれた時間帯があった。その際、アントワーヌ・グリーズマンがベンチに向かって怒りを顕わにしながら何かを要求し、直後にエムバペがウイングからトップへとポジションを移した。

これによりフランスの守備が安定。危険を察知し即座に対応したことで、この試合で勝利を収めた。グリーズマンの意見を監督がそのまま採用したかは定かでは無いが、真剣勝負の場でピッチ上の彼が何とか問題を解決しようと、ベンチに何かしらを要求した事は間違いない。

フランス代表のディディエ・デシャン監督はリアリストであり、守備的な戦術を好む。そして強烈な個の力をシンプルに用いてワールドカップ2大会連続ファイナル進出の偉業を達成した。強烈な求心力と、ピッチに積極的にメスを入れないというキャラクター的には森保一監督と同じタイプに分類される。

日本代表もボトムアップでのチーム作りなのであれば、グリーズマンがそうした様にゲーム中の戦術変更さえも選手が意見を述べ、実行に移せる空気でないといけないのではないか。

選手起用や采配に選手個人が口を出す事はタブーとされている事は百も承知。しかし、時代が移ろっていく中ボトムアップで回る現代的な組織を5年かけて作ったのだから、そこだけ昔の価値観を適用するのは道理が合わないように感じるのだ。

選手にそこまでの責任を負わせるのは間違っているし、別の軋轢が生まれる可能性も大いにあるが、ごく数人の選手にその権限を与えるというのであればそこまで非現実的ではないように感じる。

高度なマネジメントではあるがピッチ上の選手の感覚を信じ、それを許容するトップであるべきだ。正直それくらいしなければ現体制の日本代表は先に進まない。ベンチの監督・コーチが出来ない事を試合中のピッチの選手が出来るのか、というクエスチョンは存在するが、現在の日本代表の中心選手であれば多少の現場判断は可能だろう。

公式戦において勝敗より重要なものは無い。同列かそれ以下の対戦相手は、積み上げてきたチーム力を無力化するような対策を日本代表に対して必ず講じてくる。それに対してリアクションを起こす力は必要不可欠。世界のトップカテゴリーに足を踏み入れつつある日本代表だからこその新たな課題だ。

日本代表は能動的ならば強い、しかし対応力は低い。こんなレッテルは今すぐに剥がして燃やしてしまおう。



何よりサポーターとしては、無策でズルズルと負けていく日本代表をもう見たくない。同じ負け試合でもアクションを起こして散って欲しい。

仮にあの場面で、板倉滉を1列前に上げて3バックにする瞬間を想像すると、ワクワクしないだろうか?その結果、長身FWと毎熊晟矢のミスマッチを突かれて失点したとしても、ロングボールで押し込まれ続けるよりは幾分マシではないか?

あくまでも結果論であるし、それこそ合理的では無い感情論だ。それでも私はノーリアクションで苦しむ日本代表をもう見たくない。

遂に、大きな大きなSOSが聞こえてきた。

ここは2026年ワールドカップに向けての、生きるか死ぬかの分水嶺だ。

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