個別指導塾での講師バイトの回顧録

 僕は高校3年間ラグビー部に所属し、引退後は受験勉強が待っていたため、人生初のアルバイトを始めたのは大学生になってからだった。
 そんな人生初のアルバイトに選んだのは個別指導塾の講師。振り返ると何故いきなりそんな責任重大なアルバイトを選んだのだろうと不思議だが、社会というものを0.01ミクロンも知らない当時の僕にとっては魅力的に見えたのだろう。

 僕は関西大学(関西の名門大学カテゴリーの中では下の方)に通っていたため基本的には小中学生・高校1~2年の授業を担当するのだが、数件だけ高校3年生の受験生の授業も受け持った。つい最近まで高校生だった男に、大事な大事な受験生を預けるなんて、今思うと何てクレイジーな親御さんなんだろうと思う。

 結局、アルバイトとしての融通の部分で都合が悪くなり1年で辞める事になるのだが、その1年間で印象に残った生徒を回顧したいと思う。

Case.1 神童小学生

 入塾して間もなく、小学6年生の受験生を受け持つ事となった。彼の志望校は大阪府下でもトップクラスの偏差値を誇る中高一貫私立・清風南海中学。学校名の圧力に少しビビっていたが、事前に授業資料をもらい目を通すとそこは流石に小学校向けの問題。コツさえ掴めば何てことは無い。胸を撫で下ろし、生徒の待つ授業ブースへ歩みを進める。

 そこに座っていたのは、ふくよかな色白の眼鏡をかけた少年。白いポロシャツを短パンにインして、足元は白いソックス。
 いで立ちがどう見ても天才だ。テレビマンが演出した、あっぱれ・さんま大先生の天才枠の子供みたいだ。

 挨拶を済ませ、大まかな学力を測るための問題集を解いてもらう。
 この塾は2つのブースの間に通路があり、講師はそこに陣取りながら2人の生徒を受け持つのが基本のスタイル。逆側の生徒の授業を済ませ、天才少年の授業に戻ると問題集は白紙。何故だ。
 すると、彼が口を開く。

 「こんなんわざわざ解かんでも全部わかるで」

 なんやこいつ、と一瞬口にしそうになったが、心を落ち着かせ答えを確認してみる。すると、彼は口頭でスラスラと回答した。全問正解。
 天才だ。

 続いて、彼は言う。
 「先生、大学どこなん?」
 将来の結婚相手を探すハンター女子大生のような質問が飛んできた。僕は、関西大学と答える。
 「ふ~ん」
 ふ~ん?!完全に「僕が生涯関わる事のないレベルの大学だけど、今は7歳差のアドバンテージの分、言う事聞いてあげるわ」の「ふ~ん」だ。
 彼は遥か高みから受け答えしている。神童だ。こんなの僕の手に負えるレベルの子供じゃない。
 
 神童すぎ。神童過ぎて腹が立つ。これは、天才性に嫉妬している訳では無くて、普通に人間性に腹が立っているパターンだ。
 結局彼の授業は2回ほどしか受け持たなかった。彼は今も遥か高みから社会を動かし、それに比例して人から嫌われているんだろう。

Case.2 生真面目な受験生

 夏期講習の時期に、高校3年生の男子生徒の英語と現代文の担当を受け持つことになった。彼の志望校は関西大学で、つい半年前まで関西大学の受験勉強を行っていた僕が適任だろうという塾長の判断だ。
 最初の授業で顔を合わす。ジーンズにチェックのシャツ、銀縁の眼鏡をかけ、伸ばしっ放しになったスポーツ刈り。絵に描いたような真面目な青年だった。雑談から始めようとするが中々会話は盛り上がらず、目もほとんど合わない。
 仕方無いので授業を始める。最初の授業は英語。単語や熟語はそれなりに入っており、文章題で少しミスはあったものの、夏の時点でここまで解ければ上出来というレベルだった。その日の授業は淡々と終わり、次の授業日を迎えた。
 この日の教科は現代文。現時点での実力を測る為の問題を解いてもらう。まあ、彼ならばそれなりの点数は取れるだろう。そう思いながら採点したが、驚愕した。ほとんど解けていない。

 現代文は公式や単語の暗記、そこからの応用といった流れを必要としない反面、ある程度のアドリブ力が必要とされる。これは1年間塾講師をした僕なりの経験則なのだが、真面目で堅い生徒は現代文を不得意にしているケースが多い。彼はその最たる例だった。

 一方、僕は理系科目がてんで駄目な代わりに、現代文が大の得意教科だった。自慢になるが、ほとんど対策をせずに模試で偏差値70を超えた事もある。
 そんなに得意なら教えるのにうってつけじゃないの、と思ったそこの貴婦人。それは大きな間違い。現代文には、文章を読み、そこから作者・登場人物の心情、作品の意図を抜粋する問題が多い。僕のように現代文の得意な人間からすると
 「だって、書いてるやん」
となってしまうので、教えるのはとても苦手なのだ。

 現代文を教えるのが苦手な19歳と現代文が苦手な18歳の青春活劇の始まりだ。僕は自分なりにどうにかこうにか噛み砕いて授業をした。すると、秋に入りこの生徒から現代文の指名が入った。この塾では、生徒が教科毎に講師を指名する事が出来るのだ。上手く教えられた自信は無かったし、相変わらず雑談で盛り上がる様な雰囲気にはならなかったが、そんなに悪い印象を与えていない事に安心した。

 冬になり、この生徒は無事志望校である関西大学に合格。
 そんな或る日、講師室で授業の準備をしていると塾長に呼ばれた。ロビーに向かうと、その生徒と母親が立っていた。合格の報告をしに来てくれたみたいだ。
 照れ臭そうに俯く生徒の横で、明るくお喋りな母親が口を開いた。

「この子、鈴木先生の授業が分かりやすいって、家でずっと言ってたんですよ。先生の授業になってから塾に行くのが楽しいって」

 どういう種類か分からない汗が噴き出た。喜びと照れと色々な感情が混ざった発汗だろう。講師とはいえ、19歳の子供には余りある称賛だった。
 時給1000幾らで働くには責任が大きすぎる仕事だとは思うが、こういう瞬間の為にこの仕事を続ける人はいるのだろう。
 僕にとって最も忘れられない生徒の1人である。

Case.3 可愛くて偏差値の高い女子高生

 正直に言ってこの生徒の話を伝えたくて、この記事を書き始めた。Case.2の彼。ごめん。

 僕が講師のバイトを始めたのは19歳の春。大学生になりたての頃でまさに自由の身を謳歌していた。見た目で言うと髪を伸ばし、パーマをあて、少しだけ茶色に染め上げ、オダギリジョーに憧れて髭を生やしてる、そんなド級に調子に乗っている大学生だ。この塾を選んだのも、その辺りのルールが厳しくなかったのが一因だった。

 そんな嫌な感じの見た目で働き始めた頃、1人の3年生の女子高生の英語の授業を担当した。彼女は僕の通っていた高校の2ランク上の高校に通っていて、志望校も大阪市立大学、私立では関西学院大学と、関西大学の僕では到底手助け出来ない大学を狙っていた。
 とはいえ、高3の春の時点では文法の応用や少し難易度の高い作文をする程度。夏期講習から本格的な入試対策に入るということで、この時点では僕でも授業をする事は可能だった。

 初回の授業。生徒の待つブースに向かう。かなり顔のおレベルが高い女子高生が座っていた。はっきり言って普通にタイプだった。
 「講師の立場でそんな事を思うなんて気持ち悪いわ!」と思ったそこの貴婦人。よく考えて欲しい。僕は19歳。彼女は18歳。講師と生徒と言う関係性だが、年齢は1歳差だ。自然に女性として見てしまう、当たり前だ。
 彼女は性格も明るく、タメ口で喋りかけられても嫌な気がしない、同じクラスにいたら自然と好きになってしまいそうな女性だった。というか、ちょっと好きだったかもしれない。

 しかしまあ、ここで連絡先を聞いてしまうほど僕はイカれてはいない。そもそも彼女とは夏期講習前までの関係なのだから。
 その後、数回の授業を担当し、季節は夏。前述した、生徒からの夏期講習の指名講師が張り出された。
 僕は目を疑った。何故か彼女からの指名が入っていた。関西大学の学生が、大阪市立大学志望の生徒に何を教えられるというのだ。
 草野球しかやっていないおじさんが大阪桐蔭野球部の選手にホームランの打ち方を教えるような、将棋アプリで遊んでいるだけの男がプロ棋士に定石を教えるような、ネットサーフィンが趣味のオタクがGoogleの社員にインターネットのノウハウを教えるようなものだ。そりゃ、例えも3つ出る。
 
 すぐに塾長のもとへ行き、どうしたらいいか相談する。すると塾長は「ルール上は問題無いので鈴木君がやる気であれば担当して欲しい」と言い放った。

 気付くと僕はこう答えていた。
「やります」
 我ながらおかしな判断だったと思う。でも、この判断をした理由は何となく分かっている。
 その生徒が可愛かったからだ。可愛い子に指名を受けた、悪い印象は与えていないのだろう、その事実に浮かれていたのだ。

 「講師の立場でそんな事を思うなんて気持ち悪いわ!もう!」と石を投げつけようとしているそこの貴婦人。一度その手に持った尖った石を地面に置いて冷静に考えて欲しい。
 僕は聖人君主じゃない。夏に恋に浮かれている19歳の男子大学生なのだ。

 しかし、浮かれていられるのは一瞬。ここから地獄のセンター試験・後期試験対策が始まる。
 僕は、授業が始まる1時間前に講師室に入り、英語の長文を電子辞書で全て訳して授業に向かう事にした。作業としてはほぼ翻訳家のそれだ。受験生を預かっているという責任感と、可愛い子にカッコ悪い姿を見せたくないというハイブリットの精神状態が僕をそうさせた。
 1時間前などまだ良い方で、後期試験の対策授業の前なんかは2時間近く早めに出勤した事もある。最早、セルフブラック企業。背中に汗をかきながら毎回授業に臨んでいた。もうとっくに夏は終わっているのに。

 彼女は無事志望校に合格しお別れとなったが、その約1年後。
 大学からの帰りの電車、同じ車両で彼女の姿を見かけた。少しだけ心臓の鼓動が早くなったが、もちろん話しかけられる訳がない。
 大学に入りかなり大人びた雰囲気になった彼女から目を逸らし、僕は静かに隣の車両に移動した。


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