一瞬の輝きは儚く、そして美しい

 一瞬の輝きを放つ。
 そんな存在は、すごく儚く、だからこそ美しい。

 エンターテインメントの一時代を築き上げたアイドルグループ、怪我で早期引退した天才スポーツ少女、ひと夏だけ懸命に自らを証明するセミの鳴き声、空に消えゆく花火。

 そんな瞬間が僕にもあった。


 まずは僕の生い立ちから説明させてもらう。僕は1988年に北海道札幌市で生を受け、西区の発寒(はっさむ)という地域で生まれ育った。最寄り駅は確か琴似(ことに)駅だったと記憶している。
 今となって思うと、発寒も琴似も何て北海道らしい地名なんだろう。

 僕は幸せな家庭ですくすくと育った。いや、すくすくと育ち過ぎた。幼稚園の頃(富丘つくし幼稚園:手稲区)は背が高く細い少年だったが、小学校2年生のころからすくすくと、否、ブクブクと太り出し、世代を代表するおデブちゃんになっていた。
 原因は何だったかハッキリとは覚えていないが、小学校に上がる頃から運動を敬遠し始め、家でひたすらにNintendo64をプレーしまくっていた。ちなみに一番ハマったのはマリオカート64で、世代を代表するピーチ姫の使い手だったと自負している。
 その代償は大きく、本来養われるはずの運動神経が身に付かなかった。両親共に運動神経が良かったらしいので、このマリオカートレーサー時代が響いている事は、間違いない。気を付けろ。

 しかし、そんな僕にも唯一、人並みにこなせたスポーツがあった。
 
 スキーだ。

 僕の住んでいた地域から1時間弱車を走らせた所には手稲山というスキーの名スポットがあり、シーズンに入ると家族で日帰りでスキーに行くのが幼い頃からの恒例レジャーだった。
 朝からスキー場に向かい、12回のリフト券を使い切って、夕方には帰宅。これが1シーズンに数回行われる。ウィンタースポーツ好きには怒られそうな程、贅沢な休日。まさに北国の特権。圧倒的、僥倖。

 更に冗談みたいな話だが、僕の通っていた小学校では冬になると雪を噴射するマシーンが校庭に登場し、小学校の校庭に簡易的な雪山を完成させる。この季節の体育の授業はこの雪山で行われるスキーなのだ。
 降雪量が多い日には、スキー板を履いてクロスカントリーの様に登校したこともある。本当に、本当に。
 蛇足だが、降雪量の少ない十勝や釧路では校庭に水を撒いてスケートリンクを作るらしい。
 とまあ、そんな事情で壊滅的な運動音痴の僕でもスキーだけは人並みに滑れたのだ。


 そして少し時が経ち、小学校5年生に上がるタイミングで、親の仕事の都合で大阪に引っ越してくる事になる。

 もちろんこの時の僕も、すくすくおデブちゃんだ。大阪に来て初めての50m走の測定タイムは衝撃の13.6秒。
 世界記録はウサイン・ボルトの5.47秒。ボルトが往復した上で3秒休憩できてしまうタイムだ。
 水泳自由形の世界記録はセーザル・シエロの20.91秒。さすがに水泳には勝ってた。危ない、危ない。調べながらドキドキした。

 その後、地元のサッカークラブに入り成長期も相まって世代別代表おデブからは引退することになるが、もちろん運動で脚光を浴びるなんてシーンは全く訪れない。

 しかし、その日はやってきた。
 中学2年生のスキー合宿。

 大阪の子供達は基本的にこのイベントで初めてスキー板を履くことになる。3日間の日程で運動神経の良い生徒はぎこちないながら滑れるようになるが、ほとんどの生徒にとっては雪山に行って3日間転びまくるだけの訳の分からないイベントだ。

 一方、僕は手稲山の申し子。物心が付いた頃には雪に触れ、スキー板を履き、最大の難関であるリフトからスムーズに降りる離れ業も造作なく成功させる。他の生徒と比べると、星飛雄馬や越前リョーマと同じ環境で育った様なものだ。


 予想通り、僕はスキー合宿初日でスターになった。他の生徒がまだ危なくない転び方を練習している間に、颯爽と雪山を滑り降りていた。インストラクターから”お手本”に選ばれたりもした。当然だ。僕は手稲山の申し子なのだから。
 同世代の学生とはレベルが違う。まるで松坂大輔、大迫勇也、石川遼だ。スーパー中学生だ。僕はこの日、狭山第三中学校1988世代を代表するスキーヤーに一挙躍り出たのだ。

 
 その夜、宴会場での食事。宴席でとにかく皆に褒め称えられた。未経験者からするとスキーというのはあり得ない難易度だ。何故あんな事が可能なのかと、僕の幼少期を知らない同級生からすると理解不能なのだろう。
 何てったって僕は手稲山の申し子、いや、手稲山の神童、もとい、札幌の神童、改め、北海道の神だ。(念の為言っておくが、札幌では全然真ん中くらいの実力。)

 僕はとにかく気持ち良かった。陵南の福田吉兆だったらプルプルなってしまう程だ。僕もプルプルなっていたかもしれない。
 褒められながら食べる飯は美味く、何度もご飯をおかわりし、いつもよりもガツガツとハイペースで食べ続けた。

 すると食事の終わり頃、気分が悪くなってきた。さっきまであんなに気分が良かったのに。もちろんそんな言葉遊びを思い付く余裕はない。

 やばい、これはもどすぞ。内臓が完全にもどすフォームに入っている。宴会場を飛び出てトイレに走る。

 志半ば。
 ホテルの廊下で嘔吐。全然間に合わず。
 
 終わり。

 調子に乗って、大失敗。週刊ストーリーランドじゃないんだから。


 僕の通っていた中学校は果てしなく治安が良かった為、噂が回ってあだ名を付けられる様な悲劇は起きなかったが、2日目以降僕のスター感には明らかに翳りが見えた。そこまでチヤホヤされなくなった。
 スキーヤーが嘔吐。スポーツ界のスーパースターが晩年薬物で逮捕される、それと同じだ。
 

 僕の輝きは一瞬だった。だからこそ、儚く、美しかった。
 たとえ、食べ過ぎて嘔吐していようとも。

#創作大賞2023
#エッセイ部門

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