僕は14年前に東南アジアを旅行した:Q【せめて、日本人らしく】

前回、前々回の続きであり最終章。
【序】【破】はこちらから。

 
 ベトナム3日目。この日の予定は特に無い。何でも出来てしまう自由はあるが、前日のぼったくりパブの影響で僕たちにはもう驕りや油断はない。昼は粛々と淑やかにホーチミン市街を散策する。
 すると、とてつもなく荘厳で近代的なビルが目の前に現れた。それまで歩いてきた街並みにそぐわない、その鉄の塊の正体は高級ショッピングビルだった。申し訳ないが、14年前の事なので何という名前のビルだったか全く思い出せない。調べてみてもそれらしい建物もヒットしない。もしかすると前日の事件のショックで異世界に迷い込んでいたのかもしれない。
 
 ビルに入ると、ハイブランドやジュエリーの店舗が並んでいる。外に出て少し歩くとパンツ1丁で路上で寝ているお爺さんがいる。そのコントラストがとても奇妙だったが、発展の途中段階には付き物な現象なのだろうなと理解もした。

 僕らも大して金は持っていないので新快速の如く高級店を通過して、フードコートで昼食を摂る事に。焼きそばと生春巻きを注文。フードコート内には日本食もあったが、せっかくなので現地らしいものを食べるというスタンスはブラさない。ブレないメンタルで生春巻きを口に運ぶ。

 ちょっと待って。くっせえ。天然芝を引っこ抜いて口にブチこまれたのかと思うほど香草類の香りが強い。これと比べると、日本で食べるパクチーなんか無味無臭だ。チリソースをベタベタに付けても、その匂いが止むことはない。泣く泣く生春巻きは食べ残し焼きそばのみ完食した。ブレないメンタルは早くも崩れ去った。

 一通り観光をした後に一度宿に戻ると、友人の内の1人が完全にダウンした。熱は無いが体調が悪く、夜は宿で休むから帰りに日本でも食べられる馴染みの食べ物を買ってきてくれと伝えられた。
 ちなみに前日はまた別の友人が強烈な腹痛に襲われている。これは有名な話だが、全体的に日本ほど衛生的では無い事に加え、飲み慣れない硬水のミネラルウォーターも相まって必ず日本人は腹を壊す。
 ネプチューンさんが伝説のテレビ番組「力の限りゴーゴゴー!」で発表した”日本人は胃腸が弱い”という曲を思い出した。全く関係は無いが、ついでに「ココリコミラクルタイプ」から発表された”時給800円”の「死ぬほどあなたが好きだから」も思い出した。

 3人で街に出た僕たちも前日のぼったくり事件の余波で身体共に疲れていたので、ベトナム最後の夜はちょっと贅沢に過ごしてみようという事になった。

 まずはマッサージ店に向かう。勘違いしないで欲しいが助平(スケベエ)なマッサージではなく至極真っ当なマッサージ。しかも結構な高級店。部屋の中には葉の大きな観葉植物が置かれているタイプの。それでも2000円程で施術を受けられるのだから、やはりベトナムは何をするにも安い。とにかくこの地は安いのだ。最安の地・ベトナム。

 部屋に入り用意されたパジャマの様な服に着替え、3つ並んだベッドに座るとマッサージ師の綺麗な女性が入ってくる。めちゃくちゃ美人。正直昨日のパブにいた女性とは比べ物にならない。そこからはとても気持ちの良いオイルマッサージが続く。瞼が自然と落ちてくる。しかし、太もものマッサージに入ると少し様相が変わる。僕のキンタマブクロにマッサージ師の親指の爪が接触未遂を繰り返すのだ。
 落ちかけた瞼が息を吹き返す。何だこれは。いや、偶然だろう。どっちだ。頭を色んな可能性が駆け巡ったが、昨日の件もあるのでここは知らぬ存ぜぬだ。変なミスを犯し金を毟り取られる訳にはいかない。第一人間には理性がある。せめて、人間らしく。そう努めていると、気付いた時には眠りに落ちていた。

 スッキリした体で(このスッキリは、そのスッキリでは断じてない)夕食へ。先の2日間とは違い、少し綺麗なレストランを楽しんだ。ヤギではなく牛肉、さらにカニや冷えたビールが本当に美味しく、日本語を勉強中だという女性店員に「この中で誰が一番かっこいいですか?」という地獄の様な絡みも披露してしまった。僕たちを嫌いになっても、日本を嫌いにならないで下さい。
 それでも会計は1人当たり約3000円。さすが最安の地・ベトナムだ。

 帰りに部屋で待つ友人の為に、ロッテリアでチーズバーガーセットを購入しホテルに帰る。友人の体調も戻り、一安心。翌日に向けて早めの就寝をした。

 4日目。この日は遂にカンボジアに移動する。移動手段はアンコールワット直通のバス。バスに揺られて7時間かけて国境を渡るのだ。
 少し早めに降りて荷造りをし、3日間も泊めてくれたご家族に笑顔で別れを告げる。初日、外出からホテルに戻った時に何か盗まれてないか隅々まで確認して、ごめんね。

 ここは荷物が多いので、バイタクではなく普通のタクシーのトランクに荷物を積み込みバス乗り場に向かう。バス乗り場といっても日本の高速バス乗り場の様な施設ではなく、イメージ的にはトトロのそれだ。こんな所にポツンとバス乗り場てなもんだ。
 タクシーが到着し、運転手がトランクを開けると何故か僕のバックパックが飛び出し路上の水溜りに落下した。オリンピックの飛込競技のように鮮やかに回転しながらの着水。運転手は何も言わずにバックパックを引き上げ、僕に手渡す。出鼻をバキボキに折られたが、最早これぐらいでバタバタする僕達ではない。人間強くなるもんだ。

 大型のバスが到着し、乗り込む。このバスを降りる頃には国境を越えて別の国なんだ。エンジンが唸りを上げ、世界遺産の国・カンボジアへの旅路が幕を開けた。


 と、同時に腹がめちゃくちゃ痛くなってきた。まだ出発して5分なのに、今にも出そう。やばい。本当にやばい。停めてもらえる様に頼むか。いや、上手く意図が伝わらず、置いて行かれる可能性が高い。では。何時間後に休憩があるのか。そもそも休憩はあるのか、あったとしてもそこにトイレはあるのか。世界遺産への旅路ではなく、何もわからないまま便意に耐え続ける地獄のレースが幕を開けた。

 舗装がされていない荒れた道を走るバス。がたがたという振動が腹に響く。そして痛みで気が回らなかったが、車の窓が全部開いている。何故だ。理由は簡単。冷房が付いていないからだ。車内の温度は35℃を超える勢い。冷や汗なのか、暑さからくる汗なのか判断は付かないが、とにかく汗だくでになって腹痛に耐え続ける。それに、シートがめちゃくちゃ固い。日本のバスのようにフカフカな絨毯生地ではなく、OLさんがオフィスチェアに敷く座布団ぐらいしか反発性がない。
 ウ〇コを我慢する環境としては世界最悪・史上最悪と言える。しかし、異国の地のバス車内で漏れ出てしまうなんて人間の尊厳を失ってしまう。せめて、人間らしく。その想いだけでシートに座り続ける。

 さて、こういう状態に陥ると人間はどうなるのか。答えは簡単。
 僕はこの時人生で初めて「心を無にする」という境地に行き着いた。心を完全に閉じる。全ての思考をストップさせる。景色も網膜に映っているが脳神経まで到達することはない。
 どれくらいの時間が過ぎただろうか。時間感覚など、とうに無くなっている。気が付くと、バスは減速しながらゆっくりと停車した。

 休憩場所に到着したのだ。意識が戻る。血が流れる。時計を見ると3時間経過していた。窓の外を見ると、そこは木造の小さな小屋が2つと、屋根が付いたベンチだけが置かれている荒野だった。こんなところにトイレがあるのだろうか。最悪、野に放つ覚悟を決める。
 とにかく僕はバスを飛び降りて、小屋に向かった。震える手で小屋の扉を開けると、そこには便器があった。

 勝った。僕は勝負に勝ったんだ。勢いよく座り込み、無事に体の中に巣食う悪霊を退治した。そこは清潔さを全て排除したような空間だったが、僕にとっては楽園だった。バスに戻ってからの事はあまり覚えていない。猛烈な疲れが襲ってきて、すぐに眠りに付いたから。

 そして、夕刻。僕たちはアンコールワットに辿り着いた。日が暮れるまで遺跡内を散策したが、バスでの戦いの印象が強すぎてあまり頭に入らなかった。こんな壮大で複雑な建物が900年前に建てられたのかあ、という非常にベタな感想が出たのは覚えている。
 楽しい反面、色んな意味でクタクタだった一同は、プノンペンでは1泊2000円の宿に泊まった。それはそれは豪華絢爛な部屋。クーラーの効き目も強いし、浴槽もあって、ベットも大きい最高の部屋だ。この日はスーパーで久しぶりのアサヒスーパードライを買って、泥の様に眠った。

 翌日は朝の4時からアンコールワットに向かい、寺院の後ろから朝日が昇るという超神秘的な景色を観た。幻想的なのに穏やかで、この光景は本当に凄かった。最後の夜は豪勢に現地の踊りを観ながらビュッフェを楽しむレストランで食事をした。

 明日、遂に帰国。寂しいようなホッとするような不思議な気持ちで眠りに付く。
 翌日の昼。プノンペンの空港から飛行機が飛び立ち、窓から景色を眺めて、僕は「ああ、やっと日本に帰れるんだなあ」と呟いた。勝手に旅行に来ておいて、勝手に帰りたいと思うなんて本当に甘えん坊だと思うが、やっぱり住み慣れた国が一番なのだ。

 さあ、プノンペンの空港から一路、日本へ。

 ではない。
 そう、最後に台湾でのトランスファーがもう一発待っている。

 しかし、侮るなかれ。もう往路の俺たちじゃない。一回り逞しくなった僕たちは、空港に着くやいなやバスに乗り込み台北の街に向う。最後にデッケェ花火打ち上げようや、みたいなテンションで。

 台北に到着。煌びやかでお洒落な街。歩いている人々も美男美女ばかりだ。さあ、何をして遊ぼうか。クラブでも行っちゃうかなどと話し合ったがが、ここでまたしてもドッと疲れと面倒臭さが押し寄せた。華やかな街を楽しめるほどHPもMPも残っていなかった。だって、4人ともプノンペンで飛行機に乗った辺りから猛烈に日本が恋しくなっているのだから。

 少し歩くとグルメビルに辿り着いた。店舗一覧の看板を見ると、僕たちはそのビルのと或る店舗に吸い込まれた。
 片言の日本語が大きな声で響き渡る。

 「いらっしゃいませ!ご新規4名様です!」
 「ようこそ和民へ!」

僕達の7日間の東南アジア旅行。最後の晩餐は和民・台北店だった。


【終】

サポートをしてくれたら、そのお金で僕はビールを沢山飲みます!