僕は14年前に東南アジアを旅行した:破【バイタク、襲来】

前回の記事の続き。
【序】はこちらから。


 体験版トム・ハンクスを終え、遂にベトナムの空港に到着。空港を一歩出た瞬間にドラゴンに熱風を放たれたかと思うような暑さだったが、異国の空港に缶詰めにされる事に比べれば幾分もマシだった。

 ベトナムに到着しての最初のミッションは宿探し。とにかく貧乏旅行だったので、ネットで予約できるようなまともな宿でなく激安の簡易宿を現地で探そうという事になっていたのだ。

 プラプラとホーチミンの街を歩いていると英語で「STAY」と書かれた看板を見つけた。その看板に近づくと古い3階建ての建物が目の前に現れた。この時点ではとてもじゃないがホテルには見えない。恐る恐る1階の引き戸を開けると少しパニックになる光景が目の前に広がった。

 6人家族が机を囲んで団欒をしていたのだ。
 あれ、間違えた。他人の家に無断で入っちゃった。やばい、やばい。警察呼ばれる。
 すると母親らしき女性が近付いてきて「STAY?」と尋ねてきた。間違えてなかったようだ。どうやら1階のスペースに家族で住み、2~3階部分を宿泊部屋として貸し出す商売のようだ。駄菓子屋とかタバコ屋では店舗併用住宅スタイルを見たことあるけれど、ホテルでそんな形態をとるパターンがあるんだと驚いた。この旅、最初のカルチャーショックだった。

 そんな宿なので、もちろん値段の表記などない。時価だ。時価という熟語を寿司以外で使ったのは多分これが初めてだ。
 さあ、緊張の瞬間。僕も馬鹿ではない。どうせふっかけてくるんだろう。来るなら来い。とことん値切ってやる。これから始まる、お母さんとの値切り戦争に内心ドキドキしながら、1泊で幾らかかるのか質問した。

 日本円にして1人600円。安すぎる。相場は知らないけど、これ以下があるとは思えない安さだ。こうして、値切り戦争は始まる事も無く終戦。

 交渉はまとまり、家族の団欒スペースのど真ん中を横切って2階の部屋に向かう。子供たちからは好奇な眼で見られている。ゆっくりと部屋の扉を開けるとトイレ・シャワー・エアコン付き、これで600円は安い。サラダ・デザート・ドリンク付き、これで600円。は聞いた事があるが、トイレ・シャワー・エアコン付き、これで600円。は聞いたこともないし、多分生涯聞く事も無い。

 無事に宿が見つかり、夕食へ。ガイドブック(地球の歩き方)に載っていた大衆焼き肉店へ行くことに。丸テーブルが等間隔に並べられた半野外の店舗で、イメージ的には雨でも対応できるバーベキュー場のような感じ。
 なぜこの店を最初の晩餐に選んだかというと、ここで提供される肉がヤギ肉だったからだ。せっかくベトナムに来たんだから日本では中々食べられないもの食べようぜ、ってやつだ。

 席に座り人数分のビールと、肉と野菜を注文する。すぐに短めの瓶ビールが4本届いたのだが、これが完全な常温。どうやら、東南アジア圏ではビールは必ずしもキンキンで提供するドリンクでは無いらしい。なぎら健壱が来たら怒り狂いそうな文化だ。

 そしてヤギ肉が届く。鮮度など信用できたものではないので、ウェルダン・オブ・ウェルダンウェルダンで完全に火が通ってから口に運ぶ。これが臭いのなんの。焼いたレバーのような食感で味はド獣味(どじゅう味)。まあでも、ハナから臭い食べ物だと理解すれば美味しく感じる。これに文句があるならジャポネに帰ってママと牛角にでも行きな、って話だ。

 遂にベトナム旅行が始まった高揚感で大はしゃぎしながら、かなりの量を飲み食いした。途中で友達の座っていた椅子の脚が2本何の前触れもなく折れるという面白ハプニングも起こり(現場にいないと全くおもしろくない類のハプニング)、大満足でお会計をする。
 会計は約4000円。安すぎる。この旅の間、何回「安すぎるやろ」と言えばいいんだ。供給が追い付かずに「安すぎるやろ」危機が起こったらどうしてくれるんだ。どうもしなくていいけど。
 とにかく初日は最高の夜を過ごし、移動疲れに身を任せて眠りに付いた。

 そして2日目。ホーチミンのフォー屋で昼食を済ましで、4人乗りのトゥクトゥクに乗り込む。この日は、ベトナム戦争で使われた地下トンネルを見学したり、実弾入りのライフルを試し撃ちするといった、非常にアカデミックな予定を入れていたからだ。昼からお酒を飲むような愚行はせず、大学生らしくアカデミアンなヌーンを過ごし夕方にホーチミン市街に舞い戻る。


 さあ、夜が始まる。ここからが本番だ。どこで夕食を摂ろうか悩んでいるとバイタク(バイクタクシー)のお兄さんに話しかけられた。
 「何探してるの?」
とても流暢な日本語だ。本人談によると日本の関連企業で勤務経験があるため日常会話くらいはこなせるらしい。見た目は短い七三分けで細身の体型、クリーム色の開襟シャツを着た、ステレオタイプ通りのベトナム人男性だった。彼にベトナムの名物料理食べたいと伝えると、近くにヤギ鍋の屋台があるから後ろに乗りなと言われた。
 またヤギか。この旅で、一生分のヤギを食べる事になりそうだ。とはいえ、前日のヤギのド獣味(どじゅう味)が少しだけクセになっていた僕らは別々のバイタクに乗り屋台に向かうことにした。

 市街地中心から少し離れた商店街のようなエリアの屋台居酒屋に到着。するとそのバイタクのお兄さんが同席させてくれと持ち掛けてきた。料理の説明やお薦めの観光スポットを教える代わりに、チップ代わりに食事をさせてくれないかという事だ。
 僕たちは旅先での出会いに飢えていたし、昨晩の焼肉店の会計の安さで大した出費にはならないだろう事を理解していたので快く了承した。

 ヤギ肉やキノコ、あと見たことのない緑の野菜などが入った名もなき鍋料理と常温のビールを屋外で食べ、現地住民とトークをする。これぞ海外旅行。求めていたものがすべてそこには存在していた。昨日を更新する最高の夜だった。

 2時間ほど食事を楽しみ、会計。3600円。安すぎ。そろそろ安すぎの過剰摂取で体調を崩しかねない。市街地に戻って飲み直そうか等と考えていると、バイタクのお兄さんがこう言った。

 「おっぱいパブとかどう?」

 僕たちは即答した。行きます、と。
 若い僕たちには待ち望んでいた展開だ。全員上機嫌でバイタクに乗り、お兄さんの紹介してくれた店へ向かう。
 目的地に到着し上を見上げると、そこには雑居ビルのような建物があった。今思えばここで違和感を感じるべきだったのかもしれないが、楽しい夜にそんな思考は挟み込まれない。バイタクのお兄さんと別れ、赤ら顔で招かれるままそのビルに足を踏み入れた。

 少し体格の良いスタッフが現われ部屋に通してくれる。通された部屋は扉は1つだけ、中央にテーブル、周りにソファーが並んでいる質素なカラオケルームのような空間だった。そこに等間隔に座りドリンクの注文を聞かれる。ビールを注文すると、数分後キンキンに冷えた缶のハイネケンが運ばれてきた。なるほど、こういう店ではビールも冷やしているんだ、何てことを考えていると女性が4人入ってきた。厚化粧で丈の短いワンピースを着た如何にもといった感じの女性だ。
 膝の上にちょこんと乗ってきた女性と片言の英語で会話を試みる。しかし、全くもって会話が成立しない。当然だ。お互いに公用語ではない言語でコミュニケーションを取ろうとしているのだから。
 その状態に少しずつストレスを感じ、酔いも醒め始める。他の3人もほぼ同じタイミングだっただろう。冷静になって建物の外観を思い出した。そして今いる部屋の薄暗さ、異様さが気持ち悪くなってきた。そして、友達の1人が言った。
 「もう帰らへん?」
その意見に全員がすぐさま同意した。本能が叫んでいる。すぐにここを出るべきだ、と。

 先ほどのスタッフを呼び、帰る意思を伝える。残念そうな顔を少し挟んだ後、彼は英語で話し始める。まず、女性が付いた分の代金と席料金がかかると説明される。まあ、それはそういうもんだろう。
 次はドリンクの料金を計算すると言うと、おもむろにその場で膝を着き、大きな机の下に手を伸ばした。達人の挙動のようにスムーズな動きで。

 「カタン、カタン、カタン」

飲んだ覚えの無いハイネケンの空き缶が次から次へとテーブルの上に置かれていく。上質なマジックのように、流れるように、とめどなく空き缶が増えていく。
 その様子に見とれながら、ここでようやく事態を飲み込んだ。ぼったくりだ。やられた。浮かれている若い日本人がまんまと罠にかかったという訳だ。

 「カタン….。」

最後の1つが置かれたテーブルを見ると、20個以上の空き缶が並べられていた。これを全て飲んだのだから代金を払えとスタッフは身振りを交えて言っている。雑すぎるだろと指摘したくなったが、それどころではない。もちろん恐怖はあったが、こんなに雑なぼったくりに屈するわけにはいかない。
 飲んでいない、さすがに無理がある、と大きな声でクレームを入れる。するとスタッフの背後の扉が開いた。

 「どうしたの?」

暗闇から現われたのはバイタクのお兄さんだった。全てを理解した。黒幕はこいつだったのだ。
 流暢な日本語で近付き、観光客好みの良い店に連れて行ったのも、全てはここに連れて来る為の下準備だった。バイタクのお兄さんが張り巡らせた蜘蛛の糸に絡め捕られた哀れな日本人が僕たちだ。
 
 「僕は見ていないけど、飲んだんだから払わないといけないよ。友達だから安くしてもらおうか?払わないなら警察を呼ぶことになるけど。」

 先程まで見せていなかった冷たい表情でまくしたてる。その表情の変化は阿修羅像のようだった。こうなったら仕方ない。出入口は抑えられているし、もし仮に警察が来たとして的確に説明や抗議も出来ない。悔しいが社会勉強だと思い込むしかない。最悪、親に泣きつく事になるかもしれないと覚悟を決め、僕たちは支払う事に決めた。

 提示された額は1人あたり”1,600,000ベトナムドン”。日本円にすると”約8000円”だ。
 全然、払える。ぼったくりにしては安すぎる。まさか、この場面でも安すぎると感じるとは。バイタクの野郎に札束を投げつける様に渡し、建物を出た。

 とまあ、一応ぼったくられはしたので、帰りの交通費を浮かすために歩いてホテルまで帰ることにした。ホーチミンの街並みは、何故かさっきより煌びやかに見えた。



※続き【Q】はこちら


サポートをしてくれたら、そのお金で僕はビールを沢山飲みます!