オカン、まぬ家への参加理由【後半】

投稿者:オカン

長男は学校で深刻ないじめ、次男も発達障害と診断され、学校で先生とうまく行かず、三男も高校にいく意味がわかんないと進学はしないという決断をしました。
どれをとってもイレギュラーで、その度にめちゃめちゃ悩みもがいてましたが
一つだけ自分に欠けているものがありました。

それは、自分の感覚を信じるってこと…

周囲のアドバイスや常識に振り回され前が見えない状態。
でも、心の中では先生のアドバイスや常識がなんか違うよなって感じていました。

ある日、子供のサッカーの練習があり、支度に手間取って遅れた私は血相を変えて車を飛ばしてました。
遅れると連帯責任制度があり、コーチや他の親御さんに迷惑をかけると思っていたからです。
そんな焦りからか、その道すがら交差点で大事故を起こしてしまいました。
車は大破、相手の車もペチャンコに大破。
でも奇跡的に自分も子供も無傷で、ドライバーも無事でした!!
警察の実況見分で「あなた、これ普通だったら自分も子供も相手も死んでたよ。生かされたと思った方がいい。」と言われ、九死に一生を得た気持ちでした。
義理の父母に「生きてくれてさえいればよい。」と言われ、感謝の気持ちで涙が止まりませんでした。

子供が再三もう辞めたいって言ってるサッカーに、行ったら楽しいよってなんとか説得して
周囲の目を気にして、こんな大きい事故起こして。
一体なんのために、何がしたいんだ、自分。


またある時、次男が学校行かなくなり始め、担任の先生に相談したら「お母さん、子供の時から自由を与えていては取り返しのつかないことになりますよ。締めるところは締めていかないと、一旦相手を尊重するとか言って、野放しにすると手に負えなくなりますから。」
なんかその会話ですごい違和感あって、支配的な学校の構造にもすごくなんか…もう…違うかも…!と思いはじめました。

私は何がしたいんだろう…っていう子供の頃からの疑問がここにきてめちゃくちゃ大きいモンスターとなって私に問いかけを始めてきたんです。
見ないようにしてきた意識を、しっかり向き合えよ!って肩揺さぶられてる感じでした。

色々なモンスターが学校や子供の習い事、過度な仕事などに姿形を変え、問いかけてきて、その度に子供の時の自分が私に言うんです
「なんか違ってるよねぇ、これでいいの?自分の感覚全部後回しにしてるよね。」って。

どんな人も自分が正しいと思った道を進んでますよね、先生だって、サッカーのコーチだっていじめっ子だって。
でも、何が正しいとか間違ってるとかないんですよね。
否定したり対立したりするともっと大きなモンスターが出てくるだけなんだよね。

何が原因かと考えるよりも、自分が楽しいと感じたりリラックスできると感じてる時や、場所を自分で作ることがその人にとって正解じゃないかと。
自分の世界、小さくてもいいから少しずつ作っていけばいいんだよなって。

うちの子はみんな、私がそうであったように生まれつき自由で自分に自信を持っていたと思います。
きっと、世の中の大抵の人はみんなそうじゃないのかな。

他人にとって都合のいい人間になるより、自分が自分を信じてあげて満足すれば、早い話もっと自分を自由に表現できるんだよね。

そんなこんなでやっと、息子たちのもがきを理解するというか、共感できるようになったんですよね。

社会に適応できない理由を考えるより、自分たちがリラックスできる人たちと繋がって広がりたい。
今の社会の見方からすると息子たちは学歴や職歴もないニートかもしれないけど
別の側面からみると、その意識を実行できるチャンスをゲットしたんじゃないかって思ってます。
そこに気づいて、私も一緒に思い切り表現していきたい。


それが参加理由でーす。✌️

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