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【蓮ノ空感想文】蓮ノ空に見る歌舞伎のエッセンス〜箱庭で紡がれる伝統を愉しむ〜

私が蓮ノ空という作品を初めて知ったのは去年の5月くらいだったと思う。
初めてその「蓮ノ空」という字面を見たときに抱いた印象は、

「なんかこの世とあの世のはざまみたいな字面だな」
というものだった。

蓮の花といえばお釈迦様やあの世、という印象があるからだ。

昔は心中するカップルが「蓮の花の上で一緒になりましょう」と言ったとか言わなかったとか。

さておき、7月くらいからアプリ「Link! Like! ラブライブ!」をインストールして、何とか進行中の物語に追いついて、蓮ノ空にどっぷりハマった今、改めて感じるのは、
「実在性と幻想のはざま」に揺蕩うような世界であるということ。

金沢という実在する街を舞台にしながら、どこか浮世離れした蓮ノ空女学院というお嬢様学校の世界観。
With✖️MEETSというスクールアイドルを身近に感じさせる、金沢の実在の店舗名も織り交ぜたリアルな配信。

Fes✖️LIVEという金沢や周辺地域に大胆な演出を施して幻想の世界へと誘うバーチャルライブ。

さらには金沢の伝統産業である加賀友禅とのコラボ。

4/20と21にはキャスト出演による2ndライブツアー「Blooming with ◯◯◯」千葉公演が行われた。

キャストのパフォーマンスも舞台演出もとても素晴らしいライブだった。

こうしてハマってみて気付いたことがある。
それは、この作品・物語は蓮ノ空女学院という箱庭で紡がれる伝統と、金沢の箱庭のようにコンパクトに纏まった古い街の文化との親和性が非常にマッチして雅やかな空気を醸し出しているだけでなく、歌舞伎を始めとした伝統芸能に通ずる要素がそこここに見受けられるということ。

もっとも、伝統芸能が好きで、東京に住んでた頃(去年7月末に金沢から電車で40分くらいの所に越してきた)は多い時で週に4回歌舞伎を観に行っていた私が、そういうフィルタでモノを見ているから半ばこじつけで歌舞伎に結びつけている部分もあるだろう。

また伝統芸能のエッセンスが長い時間を掛けて色々な舞台芸術などに取り入れられていくうちに蓮ノ空に辿り着いただけ、つまりこの作品の運営が特に歌舞伎などを意識せずに取り入れている部分もあるかもしれない。

だがとにかく、蓮ノ空の箱庭のような世界に見られる歌舞伎・伝統芸能のエッセンスを探すのが楽しいので探してみた。

まずひとつ目。
先ごろから金沢で行われている加賀友禅コラボ。

コラボが始まる前からリンクラの「蓮ノ空歌留多」のカードとして綴理先輩の蜘蛛の巣柄の着物が話題になっていた。

現代の我々の感覚だと蜘蛛の巣の柄なんて怖い、気色悪いという印象を持つかもしれないが、昔の人はそうは捉えていなかったようだ。

実は縁起がいい!?着物の“怖い“柄 「3兄弟母、時々きもの」vol..22

古くから中国では蜘蛛は”天から地へと幸せを運ぶ使者”とされ、縁起の良い虫なのだそう。

そして蜘蛛は糸を出して巣を張り獲物を捕らえるため、”幸せや夢を掴む” “物やお客さんを集める”といった縁起の良い柄だったのです!

江戸時代には蜘蛛の待ち伏せ式の狩から、芸者や遊女たちが”待ち人(なじみ客)がくる”と縁起を担いでよく着物に使用したことで、あだっぽいイメージがついていったこともあるようです。

だそうな。
そんなこともあり、歌舞伎の登場人物の女性が蜘蛛の巣柄の着物を身に纏っていることがちょこちょこある。

例えば、「忍夜恋曲者 将門」の傾城如月実は滝夜叉姫。

綴理先輩の着物に比べるとちょっとわかりにくいが、中村壱太郎(かずたろう)さん演じる傾城如月実は滝夜叉姫の打掛に蜘蛛の巣があしらわれている。

また、中村獅童さんがNTTの最新技術による初音ミクさんとのコラボで定期的に興行している「超歌舞伎」でもこの「将門」を元にした「御伽草紙戀姿絵」では、初音ミク演じる傾城七綾太夫実は将門息女七綾姫の衣裳にも蜘蛛の巣が描かれている。

九月南座超歌舞伎

さらに、「新作歌舞伎 刀剣乱舞」でも。

https://x.com/ivythe3rd/status/1780110795688526065?s=46&t=UvCV0ZwGPk2jGbdTqucoyA

この綴理先輩の蜘蛛の巣柄のデザインを制作された、加賀友禅作家の山田武志先生のInstagramでも述べられているが、芝居では蜘蛛の巣柄はそう珍しいものでもないのである。

決して禍々しいデザインではなく、幸せを運んでくる、またファンを集めるという意味で、スクールアイドルに適した柄だと言えるのではないだろうか。


次に、今回の2ndライブツアーのLink to the Futureの演出で使われて話題になった紗幕の振り落としである。

映像を投影すると向こうが見えなくなる紗幕、というのは実に鮮やかで見事な演出だが歌舞伎には関係ない部分ではある。

ここでは、吊ってある幕を一瞬で振り落とす「振り落とし」についてのお話。

浅葱幕や道具幕など、舞台面を覆っている幕を柝などのキッカケで落とし、一瞬のうちに美しい舞台が現れる演出法を「振り落とし」という。

リンク先の画像は、上から吊って舞台を覆っている幕を振り落として一瞬で舞台を見せる途中の写真である。

慣用句の「幕が切って落とされる」の語源はこの振り落としである。
ちなみに「火蓋」は切るだけで落とさない。「火蓋が切られる」は正しいが、「火蓋が切って落とされる」は誤り。ここテストに出るよめ゛く゛ち゛ゃ゛ん゛。

浅葱色一色の「浅葱幕」だったり、リンク先の網代壁の描かれた「網代幕」のように、壁などの絵柄が描かれた「道具幕」だったりする。

で、紗幕に映像を投影すること自体は歌舞伎には関係ないとは言ったが、映像を投影している間、紗幕の向こうではスタッフ総がかりで衣裳やヘアメイクのセットが行われていたはずである。

今回の2nd、曲によって衣裳だけでなく髪型が大きくアレンジされていたのがとても印象的だった。

地毛ではなくエクステなのかもしれないが、だとしたら尚更、「一人で複数の役を演じ分けるため、舞台袖や舞台の下で衣裳とカツラを付け替える」歌舞伎のような忙しさが、我々観客の見えないところで超速で行われていて、しかもそれを悟られることなく華やかなステージを披露してくれているのである。
こういったところにも歌舞伎のエッセンスが感じられるのである。

余談だが、歌舞伎にはトロッコどころか直接客席に降りて芝居をして、一通り歩いたところで舞台に戻るような演出もある。
「伊賀越道中双六~沼津」がそんな演目のひとつ。

沼津市内にある「伊賀越道中双六~沼津」由来の平作地蔵


ところで。
Aqoursのいる沼津が歌舞伎に縁があるように、この記事を書いてる時点ではまだ開催中の蓮ノ空スタンプラリーのエクストラスポットの石川県小松市もまた、歌舞伎に非常に縁が深い場所である。

歌舞伎十八番の「勧進帳」の舞台とされる「安宅の関」はこの小松市にあることから、小松は昔から歌舞伎の町として有名で、子供歌舞伎なども盛んだ。

また成田屋(市川團十郎家)とも懇意のようで(そもそも歌舞伎十八番とは市川團十郎家相伝の得意演目十八種のことなので。「お家芸」という言葉も、歌舞伎の家柄ごとの得意演目という意味が語源)、小松駅前には「團十郎芸術劇場うらら」という立派な劇場があり、エントランス付近には小松市と成田屋(市川團十郎家)との繋がりを解説展示するギャラリースペースもある。

今現在、小松の駅前に等身大パネルが置かれているのは先代と当代の市川團十郎と、みらくらぱーく!ということになる。

しかもみらぱのほうが駅直結。
すげえな。
そりゃ「今のうちにサインもらう?」と言うわけだ(?)



歌舞伎のエッセンスといえば、ここからはかなりこじつけにはなるが、活動記録。

人間国宝で私の推し役者である十五代目片岡仁左衛門丈(ちなみに「丈」は歌舞伎役者の敬称である。真打の落語家を「師匠」、講談師を「先生」、大相撲の関取を「〜〜関」と呼ぶのと同じ)が、去年か一昨年かの芸談配信で、

「芝居というのは、お客様に当時の人々の様子を覗き見ているような感覚になっていただけるのが望ましい」

というようなことを仰っていた。
リンクラの活動記録はまさに蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブの日常そして成長を「覗き見ている」のである。その証拠にいわゆるシミュレーションゲームのように、我々はそこには介在しない。「あなたちゃん」ではないのだ。

またアニメと違って主題歌もなければCMも入らないし次回予告もない。
それらがあると「作品」になってしまい覗き見ている感覚が薄れてしまう。

覗き見ている我々は、あくまで覗き見なのでそこで起こっていることは知らない体でWith×MEETS配信を視聴しコメントする。
リアルの我々は箱庭世界には参加していない体で箱庭世界のモブとして参加する、という粋な遊びではないだろうか。

もっとも、世間一般での配信へのコメントやスパチャも大向う(歌舞伎で役者に掛ける掛け声)やおひねりのようなものですが。

活動記録といえば、梢先輩が初対面で花帆をお姫様抱っこするの、金沢の文豪・泉鏡花の「義血侠血」で乗合馬車の御者の村越欣弥が初対面の旅芸人の女性・滝の白糸を抱きかかえて馬車から切り離した馬に跨り走っていく場面ちょっと思い出した。

蓮ノ空巡礼で金沢周辺を廻る際は泉鏡花を始めゆかりの文豪の作品にも触れてみてほしい。

ちなみに歌舞伎の女方の最高峰で人間国宝の坂東玉三郎丈は泉鏡花に非常に傾倒していて、金沢の泉鏡花記念館の映像ルームでも玉三郎さんが鏡花作品について語る映像が流れている。

さらにまた余談だが、前述の片岡仁左衛門丈と、坂東玉三郎丈の共演は「にざたま」と呼ばれてファンの間ではゴールデンコンビで、夫婦役者とすら言われているほどの息の合い方で見るものを幸せにしてくれる。

夫婦役者、つまりスリブのホリホリやシュガーメルトのようなものと思っていただきたい(真顔)。


そうそう、歌舞伎ファンとしてちょっと気になるのが撫子祭、竜胆祭、蓮華祭と年に3回も行われる文化祭である。

東京の歌舞伎座で毎年、團菊祭(5月)、秀山祭(9月)といった興行が行われる。

歌舞伎座では毎月興行が行われているが、例年5月の興行については團菊祭という名前で「九代目市川團十郎、五代目尾上菊五郎の功績を顕彰する」演目が掛けられ、9月には初代中村吉右衛門を顕彰(秀山というのは初代吉右衛門の俳名)し、2021年に亡くなられた二代目中村吉右衛門(鬼平犯科帳でも有名な名優ですね)を追善する演目が掛けられる「秀山祭」が行われる。

撫子祭と竜胆祭にどういう謂れがあるかは我々にはわからないが、蓮華祭については、これから先、蓮ノ空の一部生徒の間では「大賀美沙知の功績を顕彰する」という意味・隠しテーマを持つ可能性だってあるのではないだろうか。

大賀美という苗字はオオガハスから取ってるという通説もあることだし、蓮華祭の名前にも通ずる。

歌舞伎とは関係ない余談だが、沙知先輩が絶滅に瀕していた蓮ノ空スクールアイドルクラブを、蓮ノ大三角に繋いで今の104期に至ったことが、
桂米朝(後の人間国宝)が、絶滅に瀕していた上方落語を上方落語四天王と讃えられた六代目笑福亭松鶴、三代目桂小文枝(後の五代目桂文枝)、三代目桂春團治らと東奔西走して尽力して復興して今の隆盛に押し上げたことを想像させる。

落語といえば、深夜ラジオのレジェンドの笑福亭鶴光師匠は若い頃、「究極超人あ〜る」の春風高校の柳昇校長のモデルにもなった春風亭柳昇師匠に
「芸人はね、高座(寄席の舞台のこと)で上手に恥をかきなさいね」
と教わったという。

2nd千葉day2の、なっすちゃんこと野中ここなさんの、例えその場は不甲斐なかったとしても、ファンのほうをしっかり向いてやり遂げて、次に繋げる姿勢は、語弊があるかもしれないが「上手に、ポジティブに、大きく成長するための恥のかき方」だったのではないだろうかと思う。

この姿、尊敬せずにはいられない。


長くなったが、伝統が息づく街の、伝統が紡がれる箱庭のような学び舎での少女たちの「今」の物語に、日本人が昔から美しいと感じてきた文化がそこここに根付いていることを喜びながら、これからも応援し見届けていきたい。

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