"言葉の壁"

言葉って、言葉の意味以上にならないと思うんです。
当たり前のことなんですが、そんな風に思ってます。そのせいか、少し苦手なんですよね。言葉。

何言ってんの?って思われると思うんですけど。

世の中、名言とか綺麗な言葉は持て囃される気がするし、歌モノの歌詞が偏重されたりするイメージもあるし、

そういうの自体は別に嫌いじゃないし、名言をみて唸ったり、大好きな歌詞もあるし。

でも人間が文化を築いて、そういう文化と共に成り立っている概念じゃないですか、言葉って。

いつだったかのクリスマスのどこか。

想いとか意思を言葉にするのは大切だけど、脳内の森羅万象を人間の言葉に変換すると抽象度が下がる。抽象度が下がるってことは、内容が欠落する。

言葉にならない広々とした景色・空間を「綺麗な空」とか言った瞬間に、綺麗な空でしかなくなるというか。言葉にならなかった色とか温度感とか匂いとか胸の中で感じる広がりとか風の冷たさとか光の眩しさとか全部、行間に溶けちゃう。

…伝わりますかね?これ。苦笑

そんな「文章」を書いている時点で逆説的だなって思うんですけど。

何かが起きた時に、言葉にするのが本当に苦手なんですよね。言葉への変換で脳が停止しちゃうっていうか。
それを人に伝えるのも苦手。だから多分言葉足らずだと思います。

でも想いの温度感が伝わる感覚って確かにあるんですよ。共有できている感覚、というのかな。

だから言葉を伴わない音楽がすごく好きなのかもしれません。

別にギターじゃなくても良いのかもしれないけど。

何を言っているのかというと、人の生死の話を聞くにつけて、何も言葉にならないし何も言えなくなるなという自覚をするんです。よくわからなくなる。頭がぐるぐるすると何か言葉にしたくなる。でもそんなの発信するのも、自分の想いをスキマだらけにして残すみたいで、とても苦手。


言いたいのは、みんなもっと病院に行ってくれ、とかかもしれない。全然心で感じた何かとかじゃなくて、そういうの。

病院に行くだけでいろんなものが守れるかもしれない。よくわからないけど、綺麗な言葉よりもそういう事実に繋がってくれるほうが私は嬉しい。

そんなことを思う11月でした。これから寒くなるのでみんな体も心も暖かく過ごせますように。

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