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将来の夢なんて答えられるはずもない。

将来の夢ってなんだ。10年前の私からすれば今の私だって間違いなく立派な「将来」だ。

昔から自分の好きなもの・やりたい事を理解していたほうだと思う。沢山のやりたい!に優先順位を付けるのには苦労しても、「志望校どうしよう」「進路希望なんて分からない」と悩む友達が不思議だった。私の考えははいつも夢にしか向かっていなくて、そんな悩みを抱えたことはなかった。

物心ついた時からずっと変わらない夢を持ち、それを叶えるために行動している事を周りの人達は褒めてくれる。そしてとても応援してくれる。
それはありがたく誇らしい事だ。しかし、それが私を縛り付けてもいる。

「まおりって夢があっていいね!」と言われる度に、そう言いながら目の前で悩む友達よりも私は損をしている気がしてならなかった。他のものには見向きもせず目指すものに一直線。それって悪く言えば、新しい可能性に出逢うチャンスを自ら捨てているのと同じ事なのではないか。

「昔からの夢を追いかけ続けているのはすごいね!」と言われる度に、他の夢を持つことがいけないと言われているような気がしてならなかった。新しい夢を持つことは諦めや逃げと同じ事のように映るのではないか。

決してそういう意味ではないと知っていながら、褒められれば褒められるほどそう感じた。モヤモヤが広がっていった。

そもそも、ずっと変わらない夢ってそんなに褒められることなのだろうか。だって、子どもの頃は知識や経験の少なさから思いつく夢も限られているし、本気で人生設計をして自己分析をして夢を語っているわけでもないのだから。いつしか幼い頃の夢が無くなっていくのは成長の証だとも言える。私はただ21歳になっても尚、たまたま同じ事がしたいと思い続けて来ただけだ。

諦めもしない。逃げもしない。でもって執着はせず、他にやりたい事が見つかったのならそこにまた一直線に向かっていけばいいと思っていた。
だけど実際は誰よりも夢に執着していたのかもしれない。

この秋は2019年のながーいお休み期間みたいなもので、時間と気持ちに余裕があったもんだから "将来の夢" に対する違和感をそろそろ無視できなくなってきた。
別に今朝はそんなことを考えながら歩いていたわけじゃない。なのに急にポッと納得する答えが浮かんじゃって「なあんだ、そんなことかよー!」って誰かに話したくなって、忘れないうちに書いておこうと思った次第である。

今まで「将来の夢は…」なんて言っていたし、聞かれたら条件反射で即答できてしまう脳になっていたけど、そんなもの無いわ。それだけ!拍子抜け!無いものをあったかのように、またあるべき事のように考えていたからおかしくなるんだ。

ないない。私、将来の夢なんてない。あるのは今の感情だけ。

揚げ足をとるような捻くれた考えだけど、「将来こうなりたい」も将来の私が望むことではなくて、今この瞬間の私が将来に望んでいるだけの事。今すぐこうしたい!こうなりたい!に限らず、夢なんてぜーんぶ今の私の夢なんだ。

今の感情だけを考えて、もっと素直に純粋に自分の望みを叶えてあげられたらいいなと思う。将来なんて言ったってその将来が実際に訪れる時には既に将来はその更に先にあって、将来だと思っていた瞬間は「今」に変わってしまう。だから、私は今の夢だけを叶えたい。

私には将来の夢なんてない。
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新まおり Maori Atarashi

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