食を諦めたとき、私は生も諦めた

梅雨を待たずして、早くも夏バテかもしれない。先週からこんな調子が続いている。
移動日が多かったからお腹空かないのかな〜なんて話をしていたけど、普段なら一日中ソファの上にいたって絶えず口には食べ物。だから、そういう理由からではないとすぐに分かった。

私は大食いか少食かと問われれば前者だと思う。だからと言って大食い向きの胃袋の持ち主では決してない。残念ながら割とすぐにお腹は膨れるし、むしろずっと食べているからお腹が空くことのほうが珍しい。
胃は求めていなくても口が求めている限り食べてしまう。何なら口すら求めていないのに、好きでもないお菓子を無理して食べ続けることも多い。いわゆるエモーショナルイーティングが昔からひどく、お腹がいっぱいでも吐きそうになっても食べてしまうのだ。

まあそんな話はさておき、とにかくこれは夏バテだと思う。頭も痛いし、常に車酔いしているみたいな気分だし、食べ物には…強いて言うなら梅とかレモンとかにしか興味がない。

また話が逸れるけど、秋冬になるとどうせ夏バテで痩せるだろうからと美味しいものを思う存分食べる。これが春や夏の初めになったら、夏バテになってしまう前にと食べたいだけ食べる。そうして散々太っておいて、結局夏になっても食欲は無くならずにただただ太るばかりというサイクルが2,3年続いている。正確には"食欲は無いのに"食べてしまうのだけどね。
歯列矯正だって、食べる気力が無くなるほど痛いから痩せると思っていたのに「食べても食べなくてもどうせ痛いなら食べる」という選択をするようになって全く意味はない。ただ食べるのに相当な時間を要するが。

自分で宣言した以上に話が逸れちゃったけど、何が言いたいかというと今の私には食欲がない(もう知ってるわ)。
でもそれ以前に自分が自分である実感が無い。食欲が無いというよりも生きている実感が無いのかもしれない。こんなに恵まれた環境にいながら何を生意気な。自分次第でどうにだってなるのに、ただ繰り返される毎日を身体だけが生きていて自分が自分でないような感じがする。
それは夏バテのせいなのか、はたまた今の生活に、いや自分自身に納得がいっていないのか…。もしくはその両方かもしれない。

夏に限らず年に数回、こんな風に食に対する興味が失われる時期がある。食欲が無いわけではなくて「どーでもいいわー」ってなってしまう。まあでもダイエットする良い機会だ!くらいに考えて、思いっきり食べずに過ごしてみるのだけど、これが案外いけてしまう。とことん興味がないときって本当に食べなくても何とも思わないんだなあ。影響があるとすれば、絶えず食べるのに使っていた時間がぽっかり空いて暇になるくらい。

そういう時期が数日から数週間続いているときに、仲のいい友達とご飯に行く約束をしたりなんかする。そして美味しいものを食べて大好きな人と過ごしていると、本来の自分が呼び戻された感じでハッと我に返り、食に興味がなかった時間は空白の時間となる。
食を放棄したとき、同時に生きることも放棄していたのだと気付く瞬間だ。「食べることは生きること」。

それで何となく思った。もしかしたら食欲が無いのに食べ続けてしまうのは、「食べることは生きること」を逆説的に証明しようとしているからかもしれないと。生きている心地がしないから、食べて食べてお腹いっぱいになっても食べて、生きている実感がほしい。

こんなにお腹がいっぱいって事は、私生きてる!!

え、そういうこと?だとしたら大分ヤバイ奴だね。リストカットする人と同じ心理かもしれない。痛みを伴うことで生きていることを実感するみたいな。ただ、私が思うに(検索画面にこわい画像が出てきたときに耐えられる自信がないから、ちゃんとした事は調べられないけど)リストカットする心理にも種類がある。痛みによって生きていることを証明したい場合と、「その傷を誰かに見つけてほしい、自分で自分を傷つけてしまうような状態の私に気付いてほしい」というような場合。知らんけど(出た!知らんけど!)。

そういえば湊かなえの代表作『告白』の中では、エイズに感染した(と思い込んだ)ある男子生徒が生きている証を認識するために不潔性になる。放っておくと伸び続ける髪や爪に生きていることを実感するらしい。
分からんでもない。だって「お腹がいっぱい=生きている」と考え方は同じだから。だけど私は不潔性になるのは嫌だなあ。いっぱい食べるだけなら周りの人には迷惑や不快感を与えないもん、多分。被害者といえば、太ったり肌荒れしたりして鏡に写った自分にショックを受ける自分くらいじゃないかな。あ、実家の私は食費を少し嵩ませているか。ごめんなさい。

ここまで書いたら、やっぱり食べ物は人生を美味しく楽しく豊かにする為に役立つべきだよなあと思った。
「食べることが生きること」ではない。「生きることは食べること」でもない。言葉の綾だ。絶対に絶対に「食べることは生きること」なんだ、そうあるべきだ。逆説的なんてとんでもない。

さあ、少し読み返せばどうすべきかはもう分かるはず。この記事を書き終えたら、大好きな人達に「ご飯行こー!」って連絡するんだ。

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新まおり Maori Atarashi

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