貧乏性から膨らませた原稿用紙11枚分の話を、たったの2枚半に収めてみたバージョン

私がTwitterで貧乏性について書いたところ、貧乏性の物を捨てられない特性は野生本能の名残りじゃないかとのご意見をいただいた。
確かに今日生きていく為の食料が手に入る保証がない、いつ食料が無くなるか分からない世界では「もしも」に備えて蓄えられるだけ蓄えておくのが生きる術かもしれない。

私は中学生の時に "手放す" 快感を知ってしまった。(私は専らこんまり流!あ、誰もそんなこと聞いてないですね。)それからは何となく胸がザワザワしてくると「そろそろ片付けが必要かも」と、沢山の物たちとサヨナラしてきた。
そうやって本当に好きなものにだけ囲まれていられるのは、それでも私達が生きていけるからだ。 "手放す" にはとても勇気がいる。

一度手放してみましょう、意外と困りませんよ。もし本当に困ったなら、それはあなたにとって本当に必要なものだったという事ですね。

この根底には「必要だと気づいた後にまた買うことができる」という考え方がある。必要な時に手に入れたらいいから、「もしも」を考えずに手放すことができるのである。
これは、例え私個人が持っていなくても「社会全体で所有している」というイメージなんだと思う。私が何一つ買わずに買い物から帰って来られたのは「今すぐ "私の物" にしなくてもいいや」と思ったから。

分かりやすい例が、つい最近も大きな被害が出てしまった台風だ。
地震と違って台風は予め来ることが分かっているから備えやすい。被害が大きいと予測された地域では、棚がすっからかんになった食料品店も多かったはず。なぜなら、台風が来た後には「必要だと気づいた後にまた買うことができる」という保証がないからだ。必要なときに自分が買いに行ける状態ではないかもしれないし、そもそもお店が開いていないかもしれない。開いていたってお店にも在庫がないし、すぐに納品されるわけでもない。

つまりそれは「社会全体も所有していない」状態だ。となると、自分個人の物として自分で所有しなければならない。このような状況になって初めて、必要かどうかは分からなくても "もしも" に備えて蓄えられるだけ蓄えておく必要性が出てくるのだ。

最近よくある定額制の洋服やブランドバッグのレンタルサービス、音楽のストリーミングサービスなどからも見えるように、現代の世の中では "所有" するという事にあまり価値を見出さなくなっているのかもしれない。

だからこそ、わざわざ所有すると決めた物は本当に大切にできる物でありたいと思うのである。

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新まおり Maori Atarashi

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