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2023年さようなら。


(前置き)
私はうつ病を患った友人と同居生活を送っているアラサーの会社員です。
友人との関係や日常について、「#日記」のタグで備忘録や頭の整理を目的にnoteを書いています。

友人との生活は
進んだり、戻ったり。
ちょっとずつで良いから進んで欲しいという私の想いを
友人はわかってくれない。

眠たくなるようなつまんない仕事でも、
ストレスがなく続けられるんだったらその方がいい、
と私が言っても、友人はわかってくれない。

ハードな業界に挑んで、
また鬱になっちゃうんじゃないかってくらい落ち込んでいた。
前より踏み出すのが怖くなったんじゃないかと、
仕事を始める前に感じていた私の不安は大きくなっていくばかりだった。

友人はまた紹介を経て新しい就職先を見つけたようです。
今度は長く続けられる職場でありますように。
もう祈るしかできない。

私はゾンビみたいな会社員。
仕事のやりがいとか、顧客からの期待だとか、
世の中に完璧な商品・サービスはないってこととか、
組織の人間関係の軋轢とか、元恋人とか、
異性としてみてくる上司とか、
そんなの全部に真面目に対応できない。
9時から18時まで、ただひたすら時間が過ぎるのを待っている。
いつの間にかゾンビみたいになってた。

後輩に、「昔○○のチームにいらっしゃった時とか、よく笑い声が聞こえてましたよ」と言われた。
たくさん笑ってた時期もあったんだって初めて気づいた。
今はお昼ご飯の時だけよく笑う。

私は少しでも楽しいと思ったら大きな声で笑う。
それは楽しい気持ちになりたいから。
たくさん笑ったら幸せになれそうだから。
「最近静かだね」って気づいてくれる人が居るから。

私の些細な変化に気づいてくれるすごく優しい人たち。
私もそうなりたくて、人の気持ちがわかる人になりたくて、
優しい人になりたくて生きてきた。

でも素質がないのか全然優しくなれない。

自信たっぷりな人より、気弱でも優しい人になりたかった。
今もそう思って生きてる。

友人はずっと家族を求めてる。
そして家族に恵まれた私のことを心の底では憎んでる。
私はどうしても友人の家族にはなれない。

でも友人は私にとって本当に特別。

私がもし、今の私じゃなかったとして。
今の私と友人の関係と歴史を聞いたら青ざめるだろう。
距離を置いた方が良い、あまり関わらない方が良い、
そう思うはずだ。

友人のような人にこの先出会っても、
私はあまり関わらないことを選ぶ。

私はいわゆる「メンヘラ」に、
振り回されたり、傷つけられている奴が嫌いだ。
今の私がそうだとしても。

どれだけ真にその人を心配してる人が周りから声をかけても、
その人は結局、メンヘラのいいようにされてしまうから。

今の私が、
同棲の事情を知っている家族や他の友達に、
「二人で元気にやってる」としか言えない理由、
noteにこんなことしか書けない理由がこれだ。

家族や他の友達の方が、
友人よりも私のことを愛してくれてるなんてこと、
本当はずっと前からわかってる。
悲しいけどわかってる。

たまに湧き上がってくる冷たくてどす黒い感情を
必死になだめて底に沈めてる。

そこに泥が沢山溜まった池みたい。
上澄みが濁り切って沼になってしまわないように、
水面が波立つのを必死に抑えてる。

でも友人の顔を見ると「焦らずゆっくりしなよ」と勝手に口から出る。
「無理はしないで」と、「私は大丈夫だから気にしないで」と、
いつの間にか憎い感情が消えている。

友人が当たり前に続く日常を生きてくれる日を
ずっと願ってる。
見届けるまではセーフティネットでもいいやって思う。

赤の他人である私が友人に対して思っているこの感情は、
愛じゃないのかな。
友人が欲しい欲しいと願ってる「家族の愛」に
近しいものじゃないのかな。
私のはいらないのかな。

重くなってしまった…。
そうやって落ち込んだ時には、
雨宮まみさんの文章を読んだりする。
新しい趣味を見つけたり、好きなものを調べまくったり、
それで私の小さい心は満たされていく。

私の心はとっても狭いだけで健康状態は良好です。
メンタルヘルスつよつよ人間。
気が強いとか、自信があるとか、そういうのとは違う。
心の強い人とか、優しい人とか、そういうのとも違う。

風邪を全くひかないとか、
鼻血出したことないとか、
骨折したことないとか、
そういうのと同じ。
それのメンタルヘルスバージョンが私だと思う。

来年はどんな一年になるんだろう。
正月は友人と帰省して初詣に行きます。
初詣の願い事は例年と変わらず、
「私と私の大切な人たちが幸せな毎日を送れますように」
これで決まり。




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