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2024年こんにちは!

(前置き)
私はうつ病を患った友人と同居生活を送っているアラサーの会社員です。
友人との関係や日常について、「#日記」のタグで備忘録や頭の整理を目的にnoteを書いています。

2024年、こんにちは!

今回の年末年始は同棲中の友人と一緒に同郷へ帰省していました。
とは言っても、往きと帰りの二日は友人と一緒に居ましたが、
それ以外は各々の用事で会いたい人に会っていました。

私は年末年始に帰省するのは3、4年振りで、
元旦の親戚の集まりに参加するのがとても懐かしかったです。

一粒万倍日だとか、天赦日だとか、
大変おめでたいと噂されていた1日でしたが、
地震がありましたね。

被災された方へ心からお見舞い申し上げます。

天災に人間の都合など関係ないのは当たり前なのですが、
地震などいつだってどこだって関係なく、ずっと起こって欲しくないのは当たり前なのですが、
どうしてこんな日に、と思わずにはいられませんでした。

私の故郷周辺の最大深度は4だったようです。
地震発生時、私は両親と姉夫婦と一緒に、母方の祖父母の家へお邪魔していました。

昭和に建てられた戸建ての家は、応接室があったり、
勝手口があったり、庭に柿の木やビオトープがあったり、
サンルームへとリフォームされた元縁側があったり、
「サザエさんで観たことある」な趣ある造りです。

天井から手の届くところまで吊り下げられた照明が、
大きくぶらぶらと揺れていました。
腰が曲がって小さくなった祖父母のために低くされているそれは、
背の高い人なら頭をぶつけかねないので、
父か姉が頭をぶつけたのだろうかと揺れる照明を眺めていました。

私自身は慣れない正座から立ち上がった瞬間でした。
ふらついているのはそのせいだと私の脳は認識していました。

母親が地震に気づいて、
すぐ外に出られるようにと元縁側に皆が集まりました。
スマホで震源地と震度を調べてみんなに伝え、
揺れが収まるまでじっとしていました。

その日は父方の祖父母の家にも行く予定でした。
おじいさんが地震を大変怖がるので心配していましたが、
先に着いていた伯父伯母家族がそばにいたようでした。

車で移動している間、
カーナビは地震速報と避難勧告のラジオ音声がずっと流れていました。
家に帰ってからもテレビはずっとニュースで震源地域の状況を伝えていました。

次の日、2日は友人と共に帰る日でした。
朝から友人とともに初詣へ行きました。
神社までの道中に私たちが通った小学校や中学校がありました。
卒業から10年以上経つのに何も変わっていないように見えました。

初詣では両親をはじめとする親戚一同の安全と多幸を願いました。
私自身と友人の安全と幸せは、自宅近所の神様にお願いしようと思います。

その後引いたおみくじは、2人とも大吉でした。
今年、いい事あるのかな。

正月ボケしながらも、
いつも通り会社に行く毎日に戻りました。

私は相変わらずのんびり生きていくだけ。




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